バイク
校門を出た所でエンジンをふかそうとしていた東郷総司は、前を歩いている人に気がついて軽く舌打ちをした。
前を歩いている人。それは男塾二号生、。東郷が苦手とする人物だった。
本当ならさっさとバイクで通り過ぎてしまいたかった。しかし仮にも先輩である人にそんな態度はとれないだろう。男塾に入塾して数ヶ月。ここ独特の縦社会を理解してきた東郷は、そんな気づかいをするようになっていた。
かと言って、後ろから挨拶などをしてから通り過ぎるのも億劫だ。できればあの先輩には関わりたくない。
東郷がと出会ったのは、男塾総代の剣桃太郎に挑んで負けた直後のことだった。
総代の拳を受けて倒れた東郷に寄って来て、肩を貸してくれたのがだったのだ。
保健室で手当てまでしてくれて、本当なら有り難いはずだった。
落ち着いてからを改めて見る。
華奢な体と、きれいな、女性みたいな顔。
思わず胸を高鳴らせた自分を殴りたい。この世の地獄、男塾に女がいるわけがないのだ。
そう考えてみると、急にこの男を見るのが嫌になった。こいつの前だと自分が自分じゃなくなるような。頭のどこかで警報が鳴っているような気分に陥る。
目をそらしたまま、東郷は一応礼を言う。
するとが、
「君がロシアンルーレットの東郷か!」
などと明るい調子で話してきた。こっちは総代に完敗して、少しだけだが落ち込んでいるというのに。それに、ロシアンルーレットの東郷って何だその通り名は。
「しかし君は凄いね。俺たちが一号の頃なんて総代とサシで勝負なんて思いつかなかったもんな。二号生筆頭だった赤石さんにさえビビってたし」
な? と横のサザエさん頭に同意を求めた。サザエさん頭はうんうんと頷いていた。
なんだ、この緩い空気は。
東郷は男塾に似合わないその穏やかな雰囲気に我慢できなかった。男塾は厳しく、激しい場所だ。男を磨く絶好の場であり、それだけに自分は入塾してきた。なのになぜこいつらは、こんな風なのだ?
どうやらそれは、が醸し出している雰囲気なのだと気づいた。
それ以来、東郷はどうものことを苦手に感じてしまう。
そして今、東郷の前を歩いているは本を読みながら歩いているらしい。
と、東郷が見ている前では電柱に頭をぶつけた。前をよく見ていないからだ。
なのにそれも気にせず、ひき続き本を読みながら歩く。ふらふらとしていて、頼りない。これが本当に男塾二号生なのかと疑ってしまう。
見ていられなくなった。この調子で、目の前で事故にでも遭われたらこっちの気分が悪くなる。
東郷は舌打ちをしてバイクを横に引きつつに近づいて行った。
「押忍、先輩」
声をかけると、が振り向いた。その顔を見て東郷の心臓は何かで強く打たれたように震える。は東郷よりも背が低い。こちらを見上げてくる表情は、認めたくないが愛らしいとしか言いようがなかった。
これが女だったら何も問題はない。しかし、は鬼の男塾二号生。男なのだ。
東郷はまた早くこの場から離れたくなったが、こちらから話し掛けてしまった手前、断りもなく通り過ぎることができない。とりあえず、東郷は進行方向まっすぐを見ることにして、から視線を外した。
「東郷。今帰りか」
「はい」
横目でちらりと見る。は笑顔を向けてきていた。あわててまっすぐ前を向く。そのままの状態で、
「歩きながら読書か? 危ないだろ」
忠告すると、は「ああ、これか?」と何やら説明したそうな雰囲気だ。
「受験勉強してるんだ。塾の授業だけだと追いつかないから」
「受験勉強?」
男塾は馬鹿ばかりの集まりだと思っていたが、受験勉強をする人がいるとは。少しだけ、を見る目が変わってきた。
「大学に行きたいんだ。ま、金がないから国立大一本勝負ってとこだな」
「だからって……」
歩きながら勉強はないだろう。
「桃……総代も、Jも受験するんだ。二人ともかなり出来てて俺だけ遅れてるから、今から必死に勉強しなくちゃな」
東郷がまた横目で見てみると、は勉強を再開していた。本のタイトルは『必勝!英単語』だった。ぶつぶつと何か言いながら必死に覚えようとしている。何かを目指して必死になっているその姿勢は、評価すべきものじゃないだろうか。東郷がそう思い始めた時、
「あたっ」
ゴン、という鈍い音との声がして、反射的にそちらを向く。
はまた電柱に頭をぶつけていた。
これ以上ぶつけてたら覚えた物も頭から抜け出る。
「送っていくから乗れ」
気づけばそんなことを口走っていた。
は頭を抑えながら「悪いからいいよ」と遠慮している。その態度がおよそ先輩らしくないので、東郷は少し腹が立った。
「危なっかしいから乗れ!」
東郷も後輩らしからぬ態度で、バイクにまたがった。エンジンをかける。
は「すまない」と呟きつつ本をカバンにしまいこみ、東郷の後ろにまたがった。
エンジンがよく温まらないうちに走らせる。
バイクは男塾を離れ、道路に出た。エンジン音が耳に響く。
なぜを後ろに乗せるはめになったのか、東郷は自分でもよく分からなかった。
は東郷の座っている座席の端をつかんでいるらしい。背中に体が密着していなかった。まだスピードが出ないうちはそれでも構わないが、エンジンが温まってスピードが出るようになると、きちんとつかまってくれなければ危ない。
赤信号で止まった時にそう言うと、は「分かった」と東郷の腰に両腕を回してきた。背筋がぞくっと冷たくなる。自分からつかまれと言ったのに、東郷は離せと叫びたくなった。
信号が青になった。
バイクを走らせた。さっきよりスピードが出る。空気を切るような感覚に、背筋の寒さを忘れさせた。
「俺たちの寮は、一号生寮の近くだ」
後ろからが声を張り上げて言ってくる。東郷はうなずいた。そして、
「次、曲がるのでしっかりつかまってください」
エンジン音に負けないくらいの声で叫ぶと、が体を東郷の背に密着させてきた。
おい、マジかよ?
カーブの所で危うくハンドルから手を離し損ねて、冷や汗を出した。いや、その冷や汗は危うくバイクを横転させそうになったことだけによるものではない。
現在、東郷が背中に感じている柔らかい感触。
それは、まるで、女性特有の……。
「おいおい、行き過ぎだ!」
叫ばれて我に帰り、思わずブレーキを思い切り握る。こんなに乱暴な運転をするのは生まれて初めてだ。これも、後ろに乗っているのせい。
バイクは二号生寮より百メートルぐらい先で止まった。
「ありがとう」
は礼を言った。スタっと軽やかに着地する音が聞こえる。
東郷はバイクをターンさせて反対の方向に向いた。の姿が見える。
その胸元に思わず目がいってしまう。膨らみは分からない。しかし、さっきの感触は確かに……。
「帰ったか、」
聞き覚えのある声がして、見上げるとそこに剣桃太郎がいた。
は軽やかに桃に駆け寄る。本人は何気ない動作のつもりだろうが、東郷にはそれが不快だった。
「東郷がバイクで送ってくれたから、早く着いた」
の言葉を聞いて初めて、桃が東郷を見てきた。口元に笑みを浮かべている。しかし、目は笑っていない。
「押忍、先輩。俺はここで失礼します」
そそくさとバイクを走らせてその場を去った。
エンジン音にまぎれて、が何か言ってきたのがかすかに聞こえたが、振り返らないことにした。胸の鼓動がエンジン音以上に耳に響く。
「あいつ、女だったのか」
つぶやいてから、顔が火照ってきた。
背中に感じた柔らかい感触を振りほどきたい。しかし、バイクのスピードをいくらあげてもそれは叶わなかった。
目を閉じればの姿が頭に浮かぶ。どうやら今日は眠れそうにない。
一号生寮の前を通り過ぎ、このまま遠くへ行こうか。
東郷はあてもなくバイクを走らせて行った。
バイク:終
ああ、桃夢を書こうと思ってたらいつのまにか別キャラ夢になってたよシリーズ第二弾!(←なんじゃそれ)
バイク野郎ネタって、好きです。D弾陸王夢でも何回か使ってて、急に男塾でもやってみたくなりました。
関係ないけど、東郷総司と藤堂豪毅って名前の語呂が似ててややこしい。
冬里
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