婚約者





 その日のシゴキ……いや、授業も終わった。
 は掃除当番を終え、男塾を出る。まだ五時だというのに、辺りはもう暗くなっていた。これから冬に入るんだな、としみじみ思わされる。
 校門を出ると、見知った顔の者がいた。
 学ランだが、男塾のではない、自前のものを着用している。くるっと巻いたモミアゲ、先がピンとはねた眉毛。
 間違いない、あれは藤堂豪毅だ。
 その藤堂と、もう一人。女性だ。
 その人はこの暗がりの中でもそれと分かるほどの美人だった。明るいところで見ればもっと美人に見えることだろう。
 ロングヘアー、白いブラウスにジャケット、ロングスカート。おしとやかで、清楚だ。同じ女に生まれてきても、かたやお嬢様然としたいでたち、かたや男装……。
 は自分が哀れに思えてきた。
 なんだか深刻そうなので、藤堂に黙ってその場をすり抜けようとした。藤堂たちの所を通り過ぎる時、

「忘れてくれって、どういうことですの?」

 悲しそうに、女性が詰め寄っていた。すごく気まずい。
 は早足でその場を離れることにした。

 寮の屋根が見えてきた時、早歩きで近づいて来る足音が聞こえた。思わず振り向くと、藤堂がいた。が急に振り向いたのがいけなかったのか、彼は気まずそうに目を伏せる。

「すまん、さっきは見苦しい所を見せてしまって」
「いや、気にすんな」

 でも、こっちが気になっている。あの女性は誰だろう。
 聞きたかったが、女性の悲しそうな姿を見てためらった。興味本位に詮索するものではない。

「彼女は、親父が勝手に決めた許婚だった」

 藤堂が言った。
 まさか本人から言うとは思ってなかったので、は「はあ」としか返事ができない。驚いた。

「だが、勘違いするな。俺は親父の道具ではない。政略結婚になぞ乗りはせん。だから彼女がさっき、ここまで来たので言ってやったのだ。『もう俺のことは忘れてくれ』とな」

 そこまで一気に喋って、藤堂は息をついた。
 許婚、政略結婚……まるでドラマみたいな話だ。さすが藤堂家の跡取として育てられたことはある。一般人とは世界が違うみたいだ。
 でも、彼女は政略結婚だと分かっていても、藤堂のことが好きだったのだろう。だからここまで来たのだ。

「彼女がかわいそうだ」

 はそう言ってやった。
 すると、藤堂は片方の眉をつり上げた。

「仕方ないだろう。好きでもない女と結婚できるか! なぜ貴様にそれが分からん?」

 と言われても……。藤堂はなぜにそう弁解してくるのか。
 分からずにいると、「もういい」とつぶやいて、藤堂はの腕をつかんだ。そのままずんずんと歩いて行く。

「なんだよ?」
「夕食に行く。付き合え!」
「なんでそうなる? 寮の食事は?」
「あんなもの、口に合わん!」



 ついて行くからと言って、腕を離してもらった。
 そのまま歩いて六本木に出る。おしゃれな街に学ラン姿はかなり浮いていたので、は気後れした。
 藤堂の後について入ったのは、一流ホテルだ。そこの最上階にあるレストランに入る。
 顔パスなのか、学ランでも丁寧な案内がついた。
 は席につき、そのまま固まる。
 冗談じゃない、なんでこんな高級レストランに入らなければいけないのだ。
 いや、高級レストランというのはすごく嬉しい。
 でも、よりにもよって男装している時にこんな機会に恵まれなくてもいいだろう。

「何でも好きなのを頼め」

 と言われてメニューを見ても、さっぱり。とりあえず藤堂に任せることにした。
 最上階の、窓際の席だ。窓の外は夜景。
 宝石箱の中身みたいな光が遠くにまで広がっていて、は思わずうっとりと見惚れた。今この瞬間、心は女に戻っている。

「きれい」

 そうつぶやいてから、今のは本当に女性的だったと気づき、

「きれいだ」

 と言い直す。あまり変わっていないのが少々痛い。

「他の奴の前では、そういう顔をしない方がいい」

 意味の分からないことを言われて、は思わず藤堂を見た。
 藤堂は、少しだけ目元を染めていた。
 いつの間にかグラスにワインが注がれている。ワインに少し酔ったんだ、とは勝手に解釈した。



 料理も、ワインもおいしかった。高級所はやはり違う。

「ごちそうさま」

 ホテルの外で礼を言った。
 どういう気まぐれかは分からないままだったが、ご馳走になったのがありがたい。

「今度は、もっと違った格好で来たいものだ」
「ああ。学ランはさすがにレストラン側も困るだろう」

 は笑って、歩きだした。ワインが体にまわってきたのだろう。ふわふわと雲の上を歩いているみたいな感覚だ。少し飲みすぎた。

 呼ばれて、振り向いた。バランスを失って、よろける。
 そこを、藤堂が受け止めてくれた。
 藤堂のがっしりとした胸が頬に伝わる。背中に腕をまわされ、抱きしめられた。温かい。

「今度はドレスでも着て来い」

 低い声でささやかれる。すぐ後に、体を離された。すぐに寒くなる。
 ドレス? 今度は?
 頭がぼうっとしていて、うまく思考がまとまらない。
 とりあえず寮まで歩いて行かなくては。
 横には割と素面な藤堂がいるので、安心して歩ける。


婚約者:終

 ええと、桃夢を書こうと思っていたのに、どういうわけか書いてしまった藤堂豪毅夢です。
 タイトルはなんで婚約者なのかと言いますと・・・藤堂の中では様を次の婚約者に・・・あ、寒っ!
      冬里

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