ねずみ



「なんだ、の横なんてついてねえな」

 いつも通り就寝準備を終え、四人の寝る位置も決まったところで虎丸が大げさに溜息をついて見せた。もちろん、それは当のに聞こえるようにだ。

「どういう意味だよ!」

 こちらを睨んでくるは可愛そうなほど迫力がない。長いまつ毛を震わせていて、まるで小動物が天敵に向かって吠えているようだった。
 Jがつっかかろうとするを止め、富樫が「もう止せ」と虎丸を制する。

「まあいい。どっちにしろ俺は今日も押入で寝るからな」

 なぜかは押入で寝る癖があった。本人はその方がよく眠れるからと言っているが、よくあんなにジメジメとして埃っぽい所で寝れるものだ。押入に一度出した布団を元に戻しているの華奢な後ろ姿を見て、

「そういやさっき馬乃介の野郎が、ここからネズミが出てきたって言ってたぜ」

 そんなことを虎丸は言ってみた。もちろん嘘である。
 は「ひゃっ」と甲高い悲鳴をあげて押入から飛び退いた。

「なんだ、はネズミが嫌いだったか」

 布団の上であぐらをかきながら富樫が笑う。富樫もJも知らないだろうが、虎丸は知っていた。いつだったかが飛燕にそう話していたのを横で聞いていたのだ。

「そうなんだ。あいつがどうも苦手で……」

 見ればの顔は真っ青だ。これではとてもからかう気になれないので、虎丸は自分の布団に寝転がった。その横にが布団を敷く。布団を置いた時に起こるわずかな風が虎丸の頬をさっとなでた。
 消灯を過ぎるとも、富樫もJもすぐに寝てしまったようだ。富樫のいびきがうるさい。
 虎丸も寝ようと思ったが、それがなかなか、目が冴えて眠れない。それになぜか胸がざわついている。
 寝返りを打って、の方を向いた。するとの寝顔が近くにあったので驚いた。暗くてもの肌は白く輝いている。その整った顔を見て余計に胸が高鳴った。

 なんだってんだ、くそ!

 の前になると、なぜ自分はこうも落ち着かなくなるのか。腹が立ったが、その怒りの矛先を寝ている者に向けるわけにはいかない。舌打ちをして、虎丸はまた寝返りを打とうとした。
 だが、思い直す。もう少しこいつを眺めてみよう。気まぐれにそんなことを思いついた。
 は本当に女みたいな顔をしていた。変な趣味を持った二号生や三号生に襲われないかと心配になる。いや、しかしこいつならうまくはねのけそうだ。顔は女でも身体は男なのだから。そんなことをつらつら考えているうち、虎丸は突然を抱きしめたい衝動にかられた。

 何を考えてるんだ俺はよ!

 息を殺して富樫やJ、それにの気配を読み取ってみると、三人とも疲れたからかぐっすり眠っているようだった。だから虎丸が何をしても感づかれないだろう。当のにさえも。

 だから、何を考えてるんだ俺は!

 感づかれようが感づかれまいが男が男に抱きつくなんて気持ち悪いこと、できるはずがない。改めて寝返りを打とうとした。しかし今度はの唇に目を奪われた。
 つまらない嘘をついてしまったと虎丸は後悔する。ネズミに驚くをからかおうと思っていただけだったのだが、が近くにいてこんなにも落ち着かなくなるとは思わなかったのだ。
 そして今、の唇から目を反らせずにいる自分がいる。

「くそ!」

 小声で呟いて、虎丸はに這い寄った。思い切ってその体を抱きしめてみる。
 思ってみたよりも細くて、柔らかかった。

「う……、虎丸?」

 感づかれたか! 虎丸は慌てて身を離し、自分の布団に戻った。背中にびっしょり汗が流れる。
 しかしは目を閉じたままで、起きている様子はない。さっきのは寝言だったようだ。虎丸はほっと溜息をついた。

 体つきまで女でやんの。救いようがねえな。

 これでは変な趣味の二号生、三号生に襲われても身を守れないだろう。そう思うとからかいたくなる気持ちよりも、哀れむ気持ちの方が強くなった。

 何かあったら守ってやらなくちゃな。

 ふと、虎丸はそんな思いに捕われた。いや、変な気持ちはない。さっきは変な行動を起こしてしまったが、自分に変な趣味などないはず。虎丸は胸の中で何度も葛藤を繰り返していた。



 一時間目の九九が終わった後、大あくびをしている虎丸に、

「眠そうだな、虎丸」

 横の席にいるが笑った。誰のせいだ、と言いたいのを虎丸は抑えた。その代わり、

「今朝、馬乃介のやつネズミを全部捕まえたとか言ってたぜ」
「本当か?」

 目を輝かせてこちらを見てくる。虎丸の目が覚めた。

「ああ。だから今日の晩飯はネズミの姿焼きだとさ」

 を見ると、その顔は真っ青だった。昨日はそれを見てからかうのを止めたが、今日は……。

「嘘だっつーの! ネズミごときでビビりやがって情けねえー!」
「な! 騙したな虎丸!」

 が席を立つと同時に、虎丸は椅子を蹴って走り出した。そのまま教室を出る。
 後ろから追いかけてくるの気配。奴は今、自分の背中だけを見てる。そう思うと虎丸はなぜか分からないが、自分の胸が踊るのを感じた。

ねずみ:終



 ひさびさの更新です。なぜ男塾の虎丸を選んだか。まあ、前から書こうと思ってメモをしていたのがたまたま見つかったからなのです。本当は桃が書きたかったのですが、断念。
 次は死天王あたり書いてみたいです。  
      冬里