刃鋼線を操り、ターゲットの急所を狙った。それは常人の目では捉えられないほどの速さで確実に急所をつく。
 ターゲットがSPの背に倒れこんだ時にはもう、は現場から数百メートル離れていた。  ターゲットがホテルから出て車に乗り込むまでの数秒で仕事は片付いた。騒ぎ出す大衆を背に、は帰路を辿る。早くアジトに帰らなければ、という気持ちが強かった。

水と蛇



、行ってほしい仕事がある」

 と主頭に呼び出されたのは、その日の朝だ。

「お前には役不足だろうが、確実に仕留めてほしいとの依頼だったから頼んだぞ」

 主頭は革張りのソファに座り、首に巻きついている蛇の頭をなでていた。
 現場はアジトのある山を下りてからバスで二時間ほどの所にある、街だ。
 はうなずいた。

「すぐに戻ります」

 仕事は要人暗殺。SPに守られているとは言え、ターゲットは武道の使えない素人である。宝竜黒蓮珠でもトップクラスに君臨するが仕留められないはずがない。しかし、

「いや、今日はゆっくりしていい」

 主頭は慌てた。

「そうだ、帰りに街で買い物をするのはどうだ?」
「まさか。現場に長くいるのは危険です」
「……そうだったな」

 何かがおかしい。いつもの主頭ではない。
 後ろ髪引かれる思いで部屋を出た。気づくと、主頭の蛇がの後を追ってきている。に懐いているのだ。

「ダメ。今日は連れて行かないよ」

 言うと、部屋に戻って行く。蛇は素直だ、とは思った。それに比べて主頭は素直ではない。何かを隠している。隠していて、その上でを遠ざけようとしている。



 それが気になって、仕事が片付くと急いで帰った。バスを降りてからは走る。宝竜黒蓮珠のアジトは人里離れた山奥にある。一時間ほど獣しか通らない険しい道を駆けた。やがて、おとぎ話に出てくるような御殿、と言っていいほどのアジトに着く。
 いつもは空き地となっているはずのヘリポートに、見慣れぬヘリが停まっていた。誰か客人が来ているのだろう。
 門をくぐると、阿們と吽們が館の出入り口を塞いでいた。

「誰か客が来てるの?」

 聞いたが、二人とも黙っている。

「主頭に今日の報告に行くの。そこをどいて」

 二人の間を通ろうとすると、二人は身構えた。

「主頭からの命令だ。ここは通させない」

 二人、声をそろえて言う。はため息をついた。

「わかった、わかった。好きに守っておいて」

 わざわざこんなことで戦うこともない。はその場を去り、自室に向かった。報告は後でもいいと思ったのだ。それよりもあの二人の行動で、主頭はやはりに何かを隠していて、今日はずっとアジトから遠ざけようとしている、というのが分かった。後で問い詰めなければ。
 の部屋は本館とは別の棟にある。本館の脇を通り、中庭を横切って奥の別棟に向かうのが早い。
 山頂にあるとは言え、庭は立派なものである。遠くにある野生の木々も庭の一部に見えるような、自然美あふれる庭だ。
 池がある。日光を反射して水面がまぶしいくらいに光っていた。
 池のほとりに、二つの影が見える。
 たくましい体にくせのある長髪のシルエットは、主頭のものだ。もう一つは……。

「女?」

 気がつけばは近くにあった木の上に飛び乗り、隠れていた。二人がこちらに近づいて来るのを察したのだ。

「こんな山奥……退屈じゃありません?」

 女の声がする。物憂げな、しかし美しくて上品な声だ。

「こんな所でも、住めば都でしてね」

 主頭が答える。二人の姿が次第にはっきりと見えるようになってきた。は葉と葉の間から二人を見下ろす。二人は、そう近くもなく遠くもない位置にいた。
 あの女性は恋人というわけじゃないんだと分かり、は安心した。安心してから、

「何をホっとしてるんだろ?」

 小声でつぶやく。別に、主頭に恋人がいたっておかしくないはずだ。
 は主頭のことが好きだ。しかしこの恋心は抱いてはいけないものなのだ。主頭は宝竜黒蓮珠を背負う者であり、は先代の主頭に拾われ暗殺者として教育された、ただの一兵卒に過ぎない。主頭と恋仲になろうと夢見てはいけないのだ。

「分かってるけど……」

 さっきからは主頭の横にいる女性に嫉妬心を抱いている。あれは、誰なのだろう。そして主頭はおそらく、彼女と会うからをアジトから遠ざけようとしていたのだろう。

「なんで?」

 分からないだけに、無性に悲しくなった。
 その女性は声だけじゃなく容姿もきれいな人だ。それで胸が痛む。

「きゃああっ」

 叫び声がした。女性は主頭に抱きついた。

「へ、蛇が!」

 よく見ると、女性の足下に主頭の蛇がいる。どこから出てきたのだろう。主頭は困り果てた様子だ。蛇を招きたくても、女性は蛇が苦手なためにそれができない。かと言って蛇を追い散らすと、相手は蛇と言えども主頭への信頼をなくして懐かなくなるだろう。そうなれば蛇彊拳を使うのに支障が出る。ここは主頭を助けなくてはいけない。

 は懐から蛇笛を取り出した。主頭にもらったものだ。それを吹く。人の耳には聞こえないが、蛇にはその音が聞こえるのだ。蛇はするするとこちらにやって来た。
 これでは自分が木の上にいると教えているようなものだが、仕方がない。
 懐からワイヤーを取り出し木の枝に巻くと、蛇をつれてそれにつかまり、塀を越えた。宙を舞い、塀の向こうがわに着地する。そのままどこへともなく走り去った。
 涙が出た。



 小川に出た。
 川の真ん中にある岩に座り、蛇をひざに乗せる。
 女性と、主頭のことで頭がいっぱいだった。
 あの女性は蛇を怖がるほどのお嬢さまで、色白で、か弱い。そして何よりも、きれいなのだ。容姿だけじゃなくて、存在そのものが。
 はふと、自分の手を見た。今日もこの手は血を吸ってきた。自分は、汚れている。あの女性とは比べようもない。
 小川は静かだ。日光を反射して輝く水は、ゆらゆらと流れていく。
 主頭とあの女性はお似合いだな、とは思い、悲しくなった。

「分かってるんだけど……」

 先代主頭に暗殺拳を仕込まれ、今や一人の兵になっているを、現・主頭が女として見ることはない。当たり前のことだ。
 だが、この悲しさは止めようがない。
 好きだ、主頭が。
 だから、今日みたいなことがあると辛い。

「どうしたらいい?」

 蛇に話し掛けた。しかし蛇は当然、答えてくれない。それどころかのひざを離れて川を横切り、どこかへ行ってしまった。

「どこ行くの?」

 立ち上がり、追おうとする。すると、蛇の向かった先に主頭がいた。

「ここだったか」

 蛇は主頭の体を這って、首に巻きついた。その頭をなでながら、

「さっきはすまなかった」

 謝りながらに近づいて来た。やはり、さっきが庭にいたことに気づいている。

「見たか?」

 と同じ岩に来て、座った。も隣に座る。

「何をです?」

「今日の、客人だ」

 は静かにうなずいた。
 この後、主頭はあの女性についてどう言うのか。こうして待っている間に「あれは婚約者で……」と教えられそうで、それが怖い。

「あれは、その……」

 主頭が話そうとした。は主頭を見れずに小川の流れに目をとめていた。

「今日の見合い相手だ。先代の顔をたてるために受けただけの見合いだから、断った」

 主頭は一気にしゃべり、息をついた。
 は主頭の方を恐る恐る、見た。
 いつも冷静な主頭からは考えられないほど、動揺している。

「本当に、断ったのですか?」

 念のために聞くと、主頭はを見つめ、うなずいた。

「蛇の嫌いな女性と付き合うなど、この俺ができるはずがない」

 は庭でのことを思い出した。あの女性が蛇を怖がる様を思い出し、おかしくなる。そんな自分が少し嫌な奴だな、とは思う。が、主頭とあの女性とは何ともなかったんだと思うと、嬉しさがこみ上げてきた。  しかし、どうして主頭はを遠ざけようとしたのか、という疑問が残った。

「どうして今日、私をアジトから遠ざけようとしたのですか?」

 思い切って聞いたみる。すると、主頭はまた動揺した。

「それは……」

 答え難そうだ。顔を赤く染め、必要以上に蛇の頭をこすっている。たまらないと思ったのか、蛇はの所に避難して来た。それでも主頭は蛇のいたあたり、自分の肩をこすっていた。
 あまりにもおかしい様子に、はふきだした。

「笑うことはないだろう」
「す、すみません」

 一応謝ったものの、その動揺ぶりが主頭らしくなくて面白かった。
 すねた子どものような表情をして、主頭はつぶやいた。

に、俺が他の女と会うのを見せたくなかった」
「え?」

 意外なことを聞いたような気がする。主頭は、いつもの冷静な顔に戻り、を見つめてきた。

……」

 名前を呼ばれる。はい、と返事しようとした次の瞬間にはもう、は主頭に抱きしめられていた。
 何が起こったのか、状況が飲み込めない。

「こういうことだ。分かったか?」

 耳元でささやかれる。

「好きだ」

 信じられない言葉を聞いた。
 主頭が、ただの暗殺者である自分を好きでいてくれるなんて、そんなのは……、

「夢だ……」

 は思った通りのことを口に出した。

「夢であってたまるものか」

 主頭がさらに強く抱きしめてくる。痛いほどに。
 夢ではない。夢であれば、こんなに強く抱きしめられるはずはない。

 主頭はの耳元でぽつりぽつりと語った。
 のことがずっと好きだったこと。
 今まで縁談を断り続けてきたが、今日の見合いは仕方なく受けざるを得なかったこと。
 自分が見合いしている様を見られたくなくて、今日はわざとに仕事を頼んでアジトから遠ざけたこと。
 でも、に見られた。しかも、見合い相手に抱きつかれたところも見られた。だからすぐに追って来たということ。
 そして、見合いを受けたのは仕方なくだということをに伝えた上で、主頭は自分の気持ちを打ち明けようと思ったこと……。
 主頭の話す一言、一言がの胸をいっぱいにしていく。

「信じられない。嬉しい」

 思わず口に出した言葉は、ちゃんと主頭の耳に入ったようだ。

「本当か?」

 そう聞かれた。はうなずく。
 自然に、主頭は唇を合わせてきた。
 は目を閉じて、それを感じた。

水と蛇:終

 主頭はケフウ傑という名前で、その「フウ」が漢字で出ないんスよ。だから主頭、という呼び方で統一しました。
 阿們・吽們の「吽」は、本当はこの漢字じゃないんですが、これもまた出ないので、阿吽の吽を使わせていただきました。
 ベタネタな上にぐたぐたな話ですみません。苦情など、ドンと来い!

      冬里

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