今日は買出し当番らしいのだが、宗嶺厳は日本に来たばかりであり、どうも勝手が分からない。そのことを寮長の馬之介に言うと、をつれて来た。
何かと編入生達の世話を焼いていることから、を選んだのだろう。
馬之介から事情を聞かされると、
「ああ、いいぜ」
と快く返事してくれた。
――実は女であるのに男装して入塾している。それを知ったのは全くの偶然であり、は嶺厳が知っていると言うことに気づいてはいない。
「行こうか」
凛々しい表情では寮の門を出た。
ベンチ
二人は商店街に着いた。
宗嶺厳は日本の通貨や物価などが分からない。それどころか、買い物自体が初めてなのだ。狼髏館では、買い物その他雑用は全て下っ端の仕事だ。幼い頃より狼髏館の館主として育った嶺厳は、文武の修行に専念していればよかったのだ。
だからと二人で、こうして買い物に出ているのが新鮮でたまらない。
「お前に買い物のことを教えておけと馬之介の野郎に言われたが……」
は顔に似合わずそういうガラの悪い喋り方をする。表情もわざとしかめっ面だ。
「メモを見て、商店街のおっさんおばさんに欲しいものを言って、金を渡して、物をもらう。最初のうちはそれさえできればいい」
そして野菜ばかりを売っている店の前に来た。「八百屋」と書いて「やおや」と言うらしい。同じ漢字を使っていても、日本では読み方が違うものだと嶺厳は感心した。
「らっしゃい! くん相変わらず美人だねえ」
店のオヤジが威勢良く声をかける。
「男が美人と言われても嬉しくねえっての!」
舌打ちをしてから、は嶺厳の手からメモを抜き取り、野菜を注文した。オヤジは慣れた手つきで用意する。手を動かしながら嶺厳を見て、
「見ない顔だねえ。新入りかい?」
嶺厳が答えようとすると、が肩を叩いた。
「最近編入してきた宗嶺厳だ。今日はこいつの付き添いで来たんだよ」
と、答えた。
「そうやって並んでると兄弟みたいだな」
商品の袋を渡しながら言う。
兄弟みたい、か。
別の店にも寄り、それから帰る時もずっとその言葉が嶺厳の中でひっかかっていた。
はいつも嶺厳や泊鳳に対して子どもと接しているかのような態度をとる。分かりやすいほど母性本能をあらわにしたり、穏やかな口調に変わったりするということはない。が、たとえばさっきの八百屋でのように嶺厳の代わりに返事をするなど、保護者めいた態度が自然と出る。
本人も知らないうちに嶺厳のことを子ども扱いしているということだ。それが周囲の人間に分かるほど表に出ている。さっきのオヤジもそれを感じ取ったのだろう。が兄で、自分が弟で。それで兄弟みたいだ、ということになったのだ。
それが嫌だ。もっと対等でありたいのに。
帰り道。
近くで泣き声がした。それが道を進んでいくうちに大きくなる。
公園にさしかかった。四人くらいの子どもたちがいる。そのうちの一人が泣き声の持ち主らしい。見ると、五、六歳ぐらいの女の子だ。
公園の真ん中に木があり、それを取り囲むようにして遊具が配置されている公園だ。
泣いている子は木の下にいる。それを他の子が取り囲み、どうしようもなく戸惑っていた。泣いている子をいじめている、というわけではないらしい。
が駆けつけて、泣いている子の横にしゃがみ込み、その子の顔を見つめた。なぜか子どもの扱いに慣れている。
どうして泣いているの? とはこっちをハラハラさせる女性的な口調で聞いた。
女の子は木の上を指した。見ると、木の上にピンクの風船がひっかかっている。それで泣いていたのだ。大人でも取るのが難しいと思われる。それほど高い所にあった。
すると、が木の枝に飛び乗った。
続いてひゅん、ひゅんと華麗に枝を上って行く。あっと言う間に風船を手にした。子どもたちが歓声をあげる。それを受けては枝の上に立ち、手を振った。夕日をバックにしていて、さながら女神のように佇んでいる。美しい。
嶺厳はに見とれていた。
フッ、とその姿が消える。子ども達は静かになった。驚いたのだ。やがて、スタっという音がし、が地面に舞いおりた。
また子ども達がわいわい言い、に駆け寄って行く。たちまちのうちに人気者になってしまったらしい。
「今のはマネしたらダメだよ!」
女の子に風船を渡してから、男の子の頭を撫でて言った。そして、笑顔になる。
宗嶺厳は胸がしめつけられる思いがした。がそんな風に笑うのを見たことがない。いつもキリリと引き締まった表情をし、しかめっ面になっている。男を演じているためだ。
あの笑顔を自分に向けてくれたら、と嶺厳は思う。
子ども達が口々に礼を言って帰って行った。
「少し休むか」
はそう言ってベンチに近づく。
「早く帰らなくていいのか?」
もう夕暮れだ。そろそろ帰らなくては夕飯の仕度に遅れるのではと心配した。
「いいんだよ。馬之介の奴はアバウトだから」
と、ベンチに腰を下ろした。
どういうことか分からないが、ここはの言葉を信じよう。嶺厳も横に座った。ここからは公園の遊具が全て見える。ブランコ、滑り台、砂場……それらが夕日を浴びてオレンジ色に染まっていた。
そういえば、嶺厳はこんな公園で遊んだことなど一度もなかった。拳の修行が務めであり、遊びでもあったからだ。
しかし幼い頃にこういった場で同い年の友達と遊べていたら……そうしたら、今頃はもっと別の人生を歩んでいたかもしれない。
「さっきの子とどこか似ている」
が言った。その方を向くと、こちらを興味深そうな目で見ている。思わず眉をひそめた。
「ほ、ほら。目元とかが似ていた」
たぶん嶺厳が眉をひそめたので、は焦りながら弁解がましくつけ加える。少し不愉快だ。
「俺のことを子ども扱いしているだろう?」
聞くとすぐに、
「すまねえ」
素直に謝った。こうも素直になられると余計に腹が立つ。
「同じ塾生なのだ。たとえ俺が年下だとしても、対等に見てほしいものだな」
から目をそむけ、前を見る。誰も乗せていないブランコがどこか寂しそうだ。
「そうだな」
が、普段より柔らかな調子で言う。
「しかし、てめえを見てると、どうも弟ができたように思っちまうらしい」
いたずらっぽい目をして、嶺厳の頭をなでてきた。
その行動に思わずカッとなり、嶺厳は頭をなでてきたの手をつかんで、こちらにグイと引っ張った。
不意をつかれたためか、は簡単に倒れこんでくる。それをすかさず抱きとめた。
の顔が近くにある。
衝動的に、その唇をうばった。
そしてすぐに離す。
見ると、は目元を赤く染めていた。かなり狼狽している。
嶺厳も嶺厳で、自分でやったことの大胆さに我ながら恥ずかしくなり、から顔をそむけた。
「ほら、そうやって子供扱いしているからこういうことになる」
自分でもわけの分からないことをつぶやき、立ち上がった。荷物を持ち、進む。
「待て」
後からが追いついて来た。一緒に公園を出る。
「ええと、その……てめえには、そんなシュミがあったのか?」
かなりうろたえながら聞いてきた。
なんだか、その様子がおかしい。たまらなくなって、嶺厳からクスリと笑いが漏れた。
「何だ、何がおかしい?」
ムキになって、怒っている。
今のは今までと違って、嶺厳を一人の男として見ている。それが嬉しい。
「別に。何でもない」
嶺厳は先に進んだ。後から来るの足音がなんとなく、可愛らしい。
ベンチ:終
ここでの様は飛燕みたいに、素早い系武道の達人てことになってます。
ああー、宗嶺厳さまより年上設定でこんなの書いちゃいましたが、どうなんですかねえ。
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冬里
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