桜散ル春だ。塾の桜も今が盛りと、満開である。 「きれいだ」 は木の下で、うっとりと桜に魅入っていた。 「たまには、こういうのも悪くないな」 一升瓶と盃を持って、桃太郎がつぶやく。今日は一号生で花見をしようと、皆で校庭に出てきたのだ。桜を肴に酒を飲むのは粋なものだ。何も敷いていない木の下に座り、それぞれ、瓶を開ける。 「くあああ、うめえ!」 富樫が皆より先に一杯飲み干した。 「ほら、も飲めよ」 「それなら、少しだけいただこう」 が盃を差し出す。富樫はそこに溢れるぐらい注いだ。 「多いじゃないか」 「なあに、男ならそれくらいグイッと一気に飲んでみせろや」 そう言う富樫を受けて、横にいた虎丸がの顎をぐいっとつかんだ。 「それとも、チャンは男じゃないのかな?」 虎丸の顔は、赤かった。酒の臭いが嫌でも届く。少し酔いかけなのだろう。 「女みてえな顔してよお。体も華奢だ。お前、本当に女じゃねえのか」 虎丸が何気なく発した言葉に、はカチンとなった。 「女なんかじゃねえ! バカにしやがって。見てろっ」 は盃に口をつけ、傾けた。酒が一気に喉に滑り込む。空になった盃を地面にカチンと置いて、虎丸を睨みつけた。澄んだ瞳に、長いまつげ。虎丸は一瞬、胸が高鳴った。何だってんだ、野郎なんかにときめいっちまうなんてよ。虎丸の顔が酒とへの奇妙な感情で、さらに熱くなる。 「そんなチャチい盃空けたからって調子に乗るな、真の男はこれくらい飲め」 そう言って虎丸は一升瓶に口をつけ、飲み始めた。 「ああ、数少ない酒に何てことをしやがる!」 後ろから田沢や松尾が殴って止めたので、一升瓶が半分に減るにとどまった。しかし、あんなに短時間でそこまで飲めるのは大したものだ。悔しそうに、は一升瓶を見つめる。このまま、虎丸に一本取られたまま引き下がれるか。は虎丸の残した一升瓶をつかんだ。 「、やめるんだ」 桃太郎が止めるのも間に合わず、一升瓶をぐいっと傾けた。大量の酒が喉を流れる。くらくらする頭、焼ける喉、胸。しかし、気合だ。は一升瓶の残りを、飲み干した。瓶を口から離し、ぷはあっと一息つく。皆が、恐る恐るの方を見た。 「どうだ、虎丸。これで引き分けだな」 勝ち誇ったかのような顔をして、は虎丸を見た。仕方なく、虎丸がうなずく。 風が吹いた。 風が、桜の花をさらっていく。花びらが舞って、皆の座っているところにも降りてきた。 「きれいだ」 酒のためにピンク色に染まった頬をして、がつぶやく。 花びらがひらひらと舞い、の髪についた。 「ぎゃはははは、それで髪が長くてドレスでも着てたら、完全な女の子だぜ」 虎丸がを指差して笑い転げた。 「なんだと」 カッと頭に血が上り、は立ち上がった。 「よさないか、二人とも!」 桃太郎が間に入る。 「どけろ桃! 虎丸の奴、さっきからオレをバカにしやがってゆるさねえ……」 突然、は視界が歪みだしたのに気がついた。桃も、虎丸も、富樫も、みんな歪んでいる。これは一体何だ? すると急に目の前が真っ暗になった。 は、倒れた。桃太郎がすぐに支える。 「そら、やっぱり無理して酒飲むから」 桃は日陰となっているところに、を寝かせた。 「そーら見ろ、やっぱりにゃムリだったんじゃねえか」 後ろで言う虎丸に、桃は睨んだ。それを見て、虎丸はたじろく。 「悪かったよ、そう睨むなって。が可愛いからつい、からかっちまったんだよ」 「そうじゃのう、はかわええからのう」 虎丸の横で、松尾がつぶやいた。心に思っていたことをそのまま口に出したかのようだ。松尾の、その一言に皆が同意し始めた。 「そうだなあ、虎丸の気持ちも分かる」 「そう言えばの奴、俺たちと一緒に風呂も入らねえし、立ちションしてるとこも見たことがねえ」 「部屋は桃と一緒だから、寝る時は別だしよお。奴が寝てる時に男かどうか確かめたくてもできねえよ」 「気になるよな」 「言いたいことはそれだけか」 桃太郎が叫んだ。皆が一瞬にして静かになる。 「お前らがそう言うのは、よく分かった。しかし奴が、お前ら皆がそう言っていると知ったら、どう思うだろう。毎日血へド吐きながら耐えている、男塾で、同じ釜の飯を食っている仲間に、だ」 さらに、静まり返った。普段は冷静な桃がそこまで熱くなるなんて。皆、己の言ったことに後悔した。 「すまねえ、もうをからかったりしねえよ」 虎丸が、謝った。顔はもう、元通りになっている。虎丸に続いて、皆が口々に謝った。 「分かったら、片付けて寮に帰れ。俺はしばらくここでを看ているから」 一同が、瓶や盃を片付けて門から出て行った。 また、風が吹いた。桜が舞う。 は、赤い顔をしたまま寝息を立てていた。桃太郎は少し安心する。 細い体に、綺麗な顔。 こんな姿であれば例え本当の男であったとしても、体を奪われる危険があるだろう。 「まして、お前は女だ」 桃太郎は、誰よりも早くその事実に気づいていた。やはり、寮では筆頭専用の個人部屋で寝かせて正解だったと思う。前の高校の男子寮で集団に襲われかけて以来、集団で寝るのは嫌らしいのと、奴が集団で寝ることで風紀も乱れかねないというのを言えば簡単にそれを認めてくれた。 「……桃」 の声がした。 「気づいたか」 見ると、は目を閉じたままだ。寝言だったのだろう。 本当の男であっても地獄と言われるこの男塾に、どういういきさつで女のが入ってきたのだろう。それは、分からない。 桃太郎は、の手をとり、そっと握った。 「大丈夫だ、守ってやる」 フッと笑い、空を見上げた。 桜の花と花の間から青い空が見える。空を、風に乗った花びらが渡っていく。 桜散ル、か。 いつ何時、散るか分からない自分たちだ。もし自分が散る時は、と、桃太郎はを見る。 その時は、こいつも一緒だといい。そう、桃太郎は思った。
終
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