「うへえ、遅刻しちまう!」

 は寮から出て、男塾への道を走った。
 誰も起こしてくれなかったのを恨み、歯を食いしばる。それに遅刻をしたら地獄のシゴキが待っているではないか。シゴキの内容によっては自分が女だと人に悟られかねない。特に油風呂だと最悪だ。それを思うと恐ろしくなり、走る速度をあげる。

「死んでも遅刻はしねえ!」

 叫ぶと、耳元でクスクス笑う声がした。右の耳たぶに息を吹きかけられたような気がしたので驚き、そちらを見る。

「おはようございます」

 と同じ速さで走っていながら、少しも息を荒げていない美人がいた。その美人……飛燕は太陽の光を浴びて、さわやかに微笑んでいた。



守り人





「息が上がってますね。休んだ方がいいですよ」
「バカ! 遅刻しちまうだろ!」

 そう言っている間も、はだんだん疲れてきて息切れがしそうだった。寮から全速力で走ってきたのでそろそろ苦しい。本当なら喋っている余裕などないのだ。
 そうしている間も、飛燕は涼しい顔で走っている。その気になれば追い越して先に行けるのに、わざわざにあわせて走っているみたいだ。

「俺のことなら、何とかするから、先に行けよ」

 途切れ途切れにそう言ったが、飛燕はかぶりを振り、またさわやかに微笑んだ。

「どうしてそんなに遅刻するのが怖いのです?」
「遅刻したら、どんなシゴキが待ってるか……たまったもんじゃねえだろ?」
「そうですねえ。男塾名物のシゴキは人が受けているのを見るのは面白いのですが、できることなら自分が受けるのは避けたいですよね」

 笑顔で恐ろしいことを言う。は何も言わずに走り続けた。とにかく遅刻だけは免れなければならない。今はそれに集中しなければ。

「いいことを思いつきました」

 そろそろしゃべる気力もなくなってきたので、返事はしない。飛燕は構わずに続けた。

「もう、サボっちゃいましょう」

 さらりと言う。

「何恐ろしいことをサラリと言ってるんだ?!」

 疲れていても突っ込むことは忘れない。
 男塾の校舎が見えてきたので、疲れていたのもいくらか吹き飛んだ。今からラストスパート! 根性で最後の力を振り絞り、そして走って行けばギリギリ間に合うはずだ!
 はそう思い、拳を握りしめた。左右の足を動かすテンポを上げる。

「ラストスパートですね。がんばってください」

 の速度に合わせながら、飛燕は相変わらず涼しい顔をしている。ちくしょう、と胸の内で悪態をつきながら走り続けた。男塾の門まであと少しだ。
 キーンコーンカーンコーン。
 非情なチャイムが鳴り響いた。は遅刻をしたという事実を認め、走りやめた。

「決まりですね。サボりましょう」

 横にいた飛燕が笑顔を見せた。その一瞬後、の視界が移り変わり、気がつけば青い空を見ていた。飛燕が自分を抱きかかえたのだと分かったのはそれからすぐ後だ。

「何するんだ? 下ろせ!」

 もがいたが、飛燕はを抱く手に力を込めていたので、逃れることができない。それに、風景の移り変わりが早いのを見て驚いた。人を抱えながら走っているとは思えないほどの速さで走っている。人間じゃない。そう思い、はもがくのをやめた。



「どうです? 河原に座って石でも投げながら過ごすなんて、なかなかいいでしょう?」

 飛燕はを抱いたまま河原で立ち止まった。

「ちょっと待て! ここ、乱忍愚(ランニング)のコースじゃないか! バレたらどうするんだよ?」
「大丈夫ですよ。あなたに罰が下されないよう、私が守りますから」

 ずっと抱きかかえたままで、女の子が聞いたらあまりの甘いセリフにぼうっとなりそうなことを言う。
 女の姿であればも心をときめかせていただろう。しかし男になりすまして男塾にいる身なので、はそんなことにはならない。なんとか飛燕の腕から抜けて、着地した。

「まったく、しょうがねえなあ。乱忍愚の時に見つかるまで河でも眺めとくか」

 草のはえている土手に行き、座れそうな状態なのを確認してから腰をおろした。ついでなので、そのまま土手の勾配に身をあずけて仰向けになる。
 飛燕もの横に来て腰をおろした。どこからか刺繍を取り出し、やり始める。

「男のクセに刺繍をやるのか?」

 聞くと、飛燕は微笑んだ。

「あなたにそんなことを聞かれるとは思ってませんでした」
「なんだと?!」

 起き上がり、飛燕の胸ぐらをつかむ。思い切り睨んでやると飛燕は、まあ落ち着いてください、とをなだめた。

「凄むなんて、あなたには似合いません」
「俺が女みたいだからか?」
「そんなに怖い顔をしないで。凄むことが男らしいことだとは限りませんよ。ただ、キレイなあなたが凄むなんて似合わないと言っているのです」

 キレイだと言われては唖然とし、飛燕をはなした。キレイ。女であれば、真正面から見つめられてそう言われると、嬉しくて顔が赤くなることだろう。男ならどうだろうか。そう言われてどんな思いをするのだろう。女のには分からない。

「……よせよ。女じゃあるまいし、キレイだと言われても気色悪いだけだぜ?」

 静かに、そう言った。そう言うのが精一杯だ。は飛燕の顔を見ず、土手に生えている名前も知らない雑草を見ていた。それにしてもこの男はさっきから女心をくすぐるようなことを言う。

「あなたが好きです」

 極めつけがこれだ。そんなことを言われると誰だって……。
 は、ビデオでいうところの一時停止状態になった。

 今、飛燕は何と言った? 好きって、それは俺を男だと思ってか。それとも女だとバレてるのか……。

「どうしたんです、固まっちゃって」

 飛燕が笑った。その笑い声を聞いての全身硬直が解ける。そうか、奴はからかってたんだ。まじめに受け取ってしまった自分が情けなくなり、同時にからかった飛燕に対して怒りがこみあげてきた。 「からかいやがったな、飛燕!」

 顔を上げる。笑っていると思っていた相手は、まじめな顔をに向けていた。

「からかってなどいませんよ。本気なんですから」

 真剣な表情で言われる。飛燕は穏やかな日光を浴びて、きれいに輝いていた。本当に、本気らしい。
 飛燕は自分のことを女だと見破った上で言っているのだろうか。悲しいことに、の考えはそういうことに及んだ。女の姿であれば嬉しくて飛燕に抱きついていただろう。しかし、男なのだ。塾生でいる間は、男なのだ。

「俺は男だ。分かっているとは思うが」

 とりあえず、そう言って相手の様子をうかがう。
 飛燕は、涼しげな笑顔を見せた。

「どっちでも構いません。あなたが男であろうと、女であろうと、好きなんです」

 そう言われてはじめては、顔が赤くなり、胸がドクドク早鳴るのを感じた。飛燕は、男の自分も女の自分もまとめて好きだと言ってくれているのだ。

「俺……」

 何か言うべきかと思い、口を開いた。しかし、何も思いつかない。胸がいっぱいだった。

「あなたの答えを聞こうとは思ってません。私が一方的に想ってるだけです。何も見返りは求めてませんから」
「しかし……」

 言い返そうと思ったが、何が言いたいのか分からなかった。そこへ、飛燕との名を呼ぶ鬼ヒゲの声が聞こえた。皆が乱忍愚に来たのだ。

「思ったより来るのが早かったですね。行きましょうか」

 飛燕は立ち上がり、皆に向かって優雅に手を振った。そういえば、罰はどうなるのだろう。急に現実が押し寄せてきて、はとまどった。立ち上がり、飛燕の後ろに立つ。
 彼は振り返り、ウィンクをしてから、また皆の方に向いた。それは一瞬のことだ。
 どうやって自分を守ってくれるのだろう。は興味深く、飛燕を見守った。

守り人:終

 ひさびさに男塾夢、しかも飛燕さんでした。
 書いててわけが分からなかった・・・。
 あ、急に暁世代夢が書いてみたくなった・・・。てなことで、もしかしたら次回は獅子丸かもです。
      冬里

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