試し読みから来られた方はName Changeでお名前を変換してください。




大掃除



 鬼の二号生が棲む校舎に来た。一人である。
 は扉の前に立ち、よーし、と気合を入れた。両頬を手でパンパンと打つ。
 そしていざ扉を開けよう……としたところで、向こうから自ずと開いた。そこから大入道のようにニュッと顔を出した江戸川がいる。ニコニコとした顔で、

「ごっついのう、よう来たのう」

 今日、は二号生部屋の大掃除を手伝いに来た。が掃除名人だというので二号生の方から呼び出したのだ。
 一人を二号生のもとにやれるか、と最初は本人の周囲が騒いだ。頑としてを差し出すまいとする。
 そこで二号生側は条件を出したのだ。がきちんと掃除を手伝ってくれた暁には、一号生全員を二号生寮に招いて夕食を食べさせよう、というものだ。いつもデンデン虫やカエルを食べている一号生はこれに飛びついた。

「行ってくれ、俺たちのために」

 現金なものである。もっとも、は始めから二号生の申し入れを受ける気でいたので、いいのだが……。

「メシのために仲間を差し出すとは、なんて奴らだ!」

 ということに腹を立てた。
 話は戻る。
 さて、は二号生部屋に入った。二号生の強面たちが部屋の両端に並んで立っており、真ん中に通路をあけていた。その通路の奥、王者席とも言うべき位置に赤石が座っている。それを見ての胸が高鳴った。
 二号生の申し出を受けたのは、普段はなかなか会えない赤石に会えるかもしれない、という期待を抱いていたためなのだ。

「おし、今から始めるぞ」

 江戸川のかけ声に、皆が押忍!と返事をした。その音は耳が裂けそうなほどで、窓が揺れたような気がする。
 そこで気になったのは、赤石がずっと座って目を閉じたままだということだ。こんなやかましい状態でも平然としている。
 二号生は赤石という筆頭を恐れているようなイメージがあったので、はこの状況がシュールに思えた。

「あの、赤石さんは?」

 あのままでは掃除ができない。江戸川に聞くと、ニコニコした顔のまま、

「困ったのう。瞑想中じゃ。ああなったら誰にも起こせん」
「しかし、あのままだと掃除するのに邪魔です」

 と、つい口に出してしまい、慌てて口を閉じた。が、遅い。江戸川がさらにニッコリ笑う。

「なら、が筆頭殿に声をかけて、掃除すると伝えてくれるかの?」

 ポム、と大きな手を肩に乗せられ、その分体が下に沈む。

「マジっすか」

 冷や汗が流れた。



 赤石は先ほどから邪念を感じていた。
 二号生の輩に加えて、誰か異質な者が紛れ込んできたようである。
 そいつが近づいて来た。
 落ち着かない。
 目を閉じたまま、左手に刀をつかむ。
 目を開けた。
 そこにいたのは、一号生のだ。

 こいつか。

 は目を丸くして立っていた。赤石が急に立ち上がったので驚いたのだろう。ズボンのすそを膝までめくっており、色白で華奢な足が丸見えだ。赤石は必死でそれから目をそらす。
 上着は中国拳法家が着るような動きやすいものだ。学ランと比べると薄いものなので、華奢な体のラインがはっきり見える。

 バカかこいつ。

 が女だというのは偶然知った。しかし本人は、誰一人として自分の正体に気づいてないと思い、油断しているらしい。こんな格好をしているのが何よりの証拠だ。そんな調子であれば正体がバレるのも時間の問題じゃないか。

 そうではなく。

 なぜこいつが、二号生の部屋にいるか、ということが問題だ。赤石はしかめっ面をして見せた。

「ここは二号生の部屋だが?」

 言うと、江戸川が来た。手にホウキを持っている。

「ワシらが呼び出したんです。今日は大掃除ですから、掃除のうまいに手伝ってもらおうと」

 余計なことをする。掃除がうまいからって、一号生を連れ込むほど掃除に力を注いでるわけではあるまい。何か別の事情でもあって呼び出したんだろう。一号生も一号生だ。鬼の巣窟と言われるここに仲間を一人で放り込むとは。

「筆頭、後の掃除はワシらに任せてください」

 丸山が言う。赤石はうなずいた。さすがに掃除はごめんだ。終わるまで外をぶらついてくるか。
 赤石はざっと二号生を見回した。
 そのうちの何人かがを好色な目で見ていた。そこで、思い出す。一号生にそこらへんの女より可愛いのがいると噂をしている奴がいたのを。
 赤石は思わず舌打ちをする。
 男ばかり、しかも血気盛んな野郎ばかりの集団だ。女が欲しくても厳しい取締りで思うようにはいかない。だから女の代わりに男ですまそう、という奴がいても不思議ではないだろう。古来、織田信長や上杉謙信は戦地に女の代わりとなる美少年をつれて行っている。だから限りなく女に近い野郎に迫る奴がいても、それは構わないと赤石は思っていた。迫る奴も迫られる奴も、それは当人同士で解決すべきことなので、こっちが止める権利はない。
 しかし、は女なので話が違ってくる。今日、奴らがを指名したのは何かしらよからぬことを考えてのことだったのだろう。

 まったく、危機感のない奴だ。

 赤石は丸山の手からホウキを取り上げた。驚いている彼に言う。

「一人でも多いほうが早く済む」



 あの赤石が掃除! とは笑いそうになるのを必死でこらえた。イメージが合わない。いったい、どういう風の吹き回しだろう。
 しかし、赤石はすぐに部屋を出て行ってしまうだろう、と思っていたので、これはラッキーだ、とは思った。こんなに長い時間、同じ部屋にいられるなんて。
 赤石が加わっているためか、掃除前のテンションはもう無い。の指示通りに黙々とホウキや雑巾を動かすのみである。
 ところで、一つ気になるものがあった。

「江戸川さん、あの戸は押入れですか?」

 ゴミを集めている場所の近く……入り口から入って右手に、引き戸があった。

「あれはここんとこ、ずっと開けていない扉じゃ。たしか防具を入れていたはずじゃがのう」

 江戸川の答えで顔が真っ青になる思いがした。防具である。ただでさえ独特の臭気を放つものが、ずっと開かずの扉の奥に押し込められているとは。考えただけで鳥肌が立つ。きっと得たいの知れない生物が巣くっているに違いない。

「開けましょう。そしてキレイにしてしまいましょう」

 固いのだろうと思っていた扉は意外と簡単に開いた。

「ダメじゃ!」

 という江戸川の静止は遅く、戸を開け放ってしまう。ものすごい臭気と共に、黒い山が現れ、こちらに倒れこんできた。
 こういう絶体絶命に近い状況では、物事が全てスローモーションになる。
 まず、黒い山が崩れ、剣道の面、篭手、胴が宙に舞った。そしてそれがに覆い被さろうとした。身をかわそうとする。が、こういう時に限って足を滑らせた。防具は頭上に迫っている。
 と、そこへ誰かがに近づき、背後からその身体を抱いた。そのまま防具の山から逃れる。
 スローモーションが解除されて、時間が一気に流れた。
 すぐ近くで防具が床に落ちる、ものすごい音が響いている。
 は床に伏せっていた。床の木目が目前にある。誰かが上に乗っていて、どうやら自分の身を守ってくれているらしい。男塾に来て、こんな風に映画のヒロインみたいな守り方をされるとは思ってもみなかった。

「大丈夫か」

 聞き覚えのある声に、ドキリとする。恐る恐る振り向くと、案の定、そこにいたのは赤石だった。

「あ、ありがとうございます、だ、だ、だいじょうぶです」

 舌をもつれさせながらもなんとか礼を言った。
 赤石が自分の身体に覆い被さっている。
 赤石の顔が近くにあり、厚い胸板が間近に見えていた。赤石の吐く息を耳元に感じ、赤石の汗の匂いが鼻をくすぐる。
 その状況がとてつもなく心臓に悪かった。今日はたぶん、眠れそうにないだろう。
 赤石が離れたのを見計らい、は素早く起き上がった。
 防具がそこら中に転がっているのを見て、一気に現実に引き戻される。これを全て片付けるのかと思うと、気が遠くなりそうだ。

「あれは使わなくなった防具を保管していた所だ。勝手なマネするんじゃねえ」

 赤石はため息をつき、江戸川に防具を捨てろと命じた。

「ご迷惑をおかけしました」

 頭を下げて、赤石に謝る。胸の動悸がまだ治まらない。

「いいから片付けろ」

 そう言われ、なんとなく安心した。その言葉自体は命令口調なのできついのだが、言い方にどことなく優しさが込められているような気がしたのだ。

「はい」

 嬉しくなって、は思わず微笑んだ。



 ようやく掃除が終わった。長かった。
 しかし時計を見ると、始めてから一時間ほどしか経っていないことに気づく。
 それだけの時間でよくここまでキレイにできたものだ、と赤石は感心した。やはり掃除名人と呼ばれているがいたお蔭だろう。
 よからぬことを考えている奴がいたのは確かだが、少なくとも江戸川や丸山はのそういうところを見込んで、呼び出したのだろう。

 それはいい。

 しかし、奴がいるためにガラにもなくホウキを持って掃除をしたり、好色な連中を見張ったり、おまけにさっきはを助けるなど甘いところを部下に見られた。

 まったく、とんだ災難だ

 あれはあれで、も男としてここにいるわけで、だから他の野郎と同じく放っておけばよかったのだ。なのに、つい体が動いてしまった。部下たちの変な誤解を招きかねない。

「押忍! を返してもらいに来ました」

 入り口を見ると、桃がぬけぬけと入ってきていた。そうだ、奴には言いたいことがある。

「桃!」

 飼い主のもとに走り寄る犬みたいに、は桃に駆け寄った。その態度を見ていて腹が立つ。まったく誰のために自分はどれだけ振り回されたと思っているのか。しかし、さすがにそれを本人に言えるはずがない。

「桃、少しツラをかせ」

 それではこれで、と去ろうとする桃を呼び止めた。そして自分も外に出る。は気を利かせて、

「赤石さん、さっきは本当にありがとうございました!」

 それでは失礼します、と頭を下げ、スタスタ去って行った。
 掃除が終わったのだからズボンのすそを下げて足を隠せと言いたい。が、それを呑みこんだ。そして桃を見る。

「貴様、仲間を一人でこっちに送り込むとはどういうことだ」

 問うと、桃はフッと笑った。

「俺も反対したんですが、他の奴らが行かせたがりましてね。何よりも、本人がぜひ行きたいと言ったものですから止めようがなく」

 がそんなことを言ったのか、と思っていると、桃がじっとこちらを見ているのに気づいた。赤石の服をじろじろ見る。何だ、と自分でも見てみると、服はホコリで汚れていた。をかばった時についたのだろう。

「先輩が掃除とは。明日は雨ですかね」
「うるさい、黙れ」

 桃はまた例の不気味な笑いを漏らした。

「先輩。本当はが思いのほか機嫌が良くて残念なんです。鬼の二号生にいじめられて、こっちに泣きついてくるのを期待してたのですが……」

 何だか物騒なことを言っている。おい、と詳しく聞こうとすると、桃はイタズラっぽい目で赤石の顔を見てきた。

「誰かお優しい先輩でもいたようですね」
「さっさと去れ」

 この男にはいろいろと見透かされているようで不愉快だ。
 桃は、「押忍、失礼します」と一応の挨拶をして去った。
 その後ろ姿を見て思う。

 奴め、の正体に気づいてやがる。

 と。だからと言ってどうしようもない。どうしようもないのだが、

「気に食わねえ」

 吐き出すように言い、赤石は掃除されてキレイになっているであろう二号生部屋に、戻って行った。

大掃除:終

 はいー。赤石さん夢をスピードアップです。急に書きたくなって、書いてしまいました。
 ちょっとクロい、っていう桃を出すのが難しく。結局はマジでクロい奴になったかな、と思うのです。
 感想やダメ出しなど、お待ちしております。       冬里

感想などがあれば一言どうぞ。拍手ワンクリックだけでも嬉しいです。↓
WEB拍手