鬼の二号生が棲む校舎に来た。一人である。
「ごっついのう、よう来たのう」
今日、は二号生部屋の大掃除を手伝いに来た。が掃除名人だというので二号生の方から呼び出したのだ。
「行ってくれ、俺たちのために」
現金なものである。もっとも、は始めから二号生の申し入れを受ける気でいたので、いいのだが……。
「メシのために仲間を差し出すとは、なんて奴らだ!」
ということに腹を立てた。
「おし、今から始めるぞ」
江戸川のかけ声に、皆が押忍!と返事をした。その音は耳が裂けそうなほどで、窓が揺れたような気がする。
「あの、赤石さんは?」
あのままでは掃除ができない。江戸川に聞くと、ニコニコした顔のまま、
「困ったのう。瞑想中じゃ。ああなったら誰にも起こせん」
と、つい口に出してしまい、慌てて口を閉じた。が、遅い。江戸川がさらにニッコリ笑う。
「なら、が筆頭殿に声をかけて、掃除すると伝えてくれるかの?」
ポム、と大きな手を肩に乗せられ、その分体が下に沈む。
「マジっすか」
冷や汗が流れた。
赤石は先ほどから邪念を感じていた。
こいつか。
は目を丸くして立っていた。赤石が急に立ち上がったので驚いたのだろう。ズボンのすそを膝までめくっており、色白で華奢な足が丸見えだ。赤石は必死でそれから目をそらす。
バカかこいつ。
が女だというのは偶然知った。しかし本人は、誰一人として自分の正体に気づいてないと思い、油断しているらしい。こんな格好をしているのが何よりの証拠だ。そんな調子であれば正体がバレるのも時間の問題じゃないか。
そうではなく。
なぜこいつが、二号生の部屋にいるか、ということが問題だ。赤石はしかめっ面をして見せた。
「ここは二号生の部屋だが?」
言うと、江戸川が来た。手にホウキを持っている。
「ワシらが呼び出したんです。今日は大掃除ですから、掃除のうまいに手伝ってもらおうと」
余計なことをする。掃除がうまいからって、一号生を連れ込むほど掃除に力を注いでるわけではあるまい。何か別の事情でもあって呼び出したんだろう。一号生も一号生だ。鬼の巣窟と言われるここに仲間を一人で放り込むとは。
「筆頭、後の掃除はワシらに任せてください」
丸山が言う。赤石はうなずいた。さすがに掃除はごめんだ。終わるまで外をぶらついてくるか。
まったく、危機感のない奴だ。
赤石は丸山の手からホウキを取り上げた。驚いている彼に言う。
「一人でも多いほうが早く済む」
あの赤石が掃除! とは笑いそうになるのを必死でこらえた。イメージが合わない。いったい、どういう風の吹き回しだろう。
「江戸川さん、あの戸は押入れですか?」
ゴミを集めている場所の近く……入り口から入って右手に、引き戸があった。
「あれはここんとこ、ずっと開けていない扉じゃ。たしか防具を入れていたはずじゃがのう」
江戸川の答えで顔が真っ青になる思いがした。防具である。ただでさえ独特の臭気を放つものが、ずっと開かずの扉の奥に押し込められているとは。考えただけで鳥肌が立つ。きっと得たいの知れない生物が巣くっているに違いない。
「開けましょう。そしてキレイにしてしまいましょう」
固いのだろうと思っていた扉は意外と簡単に開いた。
「ダメじゃ!」
という江戸川の静止は遅く、戸を開け放ってしまう。ものすごい臭気と共に、黒い山が現れ、こちらに倒れこんできた。
「大丈夫か」
聞き覚えのある声に、ドキリとする。恐る恐る振り向くと、案の定、そこにいたのは赤石だった。
「あ、ありがとうございます、だ、だ、だいじょうぶです」
舌をもつれさせながらもなんとか礼を言った。
「あれは使わなくなった防具を保管していた所だ。勝手なマネするんじゃねえ」
赤石はため息をつき、江戸川に防具を捨てろと命じた。
「ご迷惑をおかけしました」
頭を下げて、赤石に謝る。胸の動悸がまだ治まらない。
「いいから片付けろ」
そう言われ、なんとなく安心した。その言葉自体は命令口調なのできついのだが、言い方にどことなく優しさが込められているような気がしたのだ。
「はい」
嬉しくなって、は思わず微笑んだ。
ようやく掃除が終わった。長かった。
それはいい。
しかし、奴がいるためにガラにもなくホウキを持って掃除をしたり、好色な連中を見張ったり、おまけにさっきはを助けるなど甘いところを部下に見られた。
まったく、とんだ災難だ
あれはあれで、も男としてここにいるわけで、だから他の野郎と同じく放っておけばよかったのだ。なのに、つい体が動いてしまった。部下たちの変な誤解を招きかねない。
「押忍! を返してもらいに来ました」
入り口を見ると、桃がぬけぬけと入ってきていた。そうだ、奴には言いたいことがある。
「桃!」
飼い主のもとに走り寄る犬みたいに、は桃に駆け寄った。その態度を見ていて腹が立つ。まったく誰のために自分はどれだけ振り回されたと思っているのか。しかし、さすがにそれを本人に言えるはずがない。
「桃、少しツラをかせ」
それではこれで、と去ろうとする桃を呼び止めた。そして自分も外に出る。は気を利かせて、
「赤石さん、さっきは本当にありがとうございました!」
それでは失礼します、と頭を下げ、スタスタ去って行った。
「貴様、仲間を一人でこっちに送り込むとはどういうことだ」
問うと、桃はフッと笑った。
「俺も反対したんですが、他の奴らが行かせたがりましてね。何よりも、本人がぜひ行きたいと言ったものですから止めようがなく」
がそんなことを言ったのか、と思っていると、桃がじっとこちらを見ているのに気づいた。赤石の服をじろじろ見る。何だ、と自分でも見てみると、服はホコリで汚れていた。をかばった時についたのだろう。
「先輩が掃除とは。明日は雨ですかね」
桃はまた例の不気味な笑いを漏らした。
「先輩。本当はが思いのほか機嫌が良くて残念なんです。鬼の二号生にいじめられて、こっちに泣きついてくるのを期待してたのですが……」
何だか物騒なことを言っている。おい、と詳しく聞こうとすると、桃はイタズラっぽい目で赤石の顔を見てきた。
「誰かお優しい先輩でもいたようですね」
この男にはいろいろと見透かされているようで不愉快だ。
奴め、の正体に気づいてやがる。
と。だからと言ってどうしようもない。どうしようもないのだが、
「気に食わねえ」
吐き出すように言い、赤石は掃除されてキレイになっているであろう二号生部屋に、戻って行った。
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