疾風の彼女

――第参話 鋼 対 疾風――

 は朝から姿を見せなかった。
 少佐である彼女は、ロイとは別に多くの仕事に囲まれている。わざわざ、姿を見せなくてはならない、というわけでもないのだが。
 あの一日のことを思い出し、ロイは少年のように頬を赤らめた。
 はじめて、本気で愛し合ったのだから。
 しかし、仕事の上ではあくまでも上官と部下という関係でいこうと思った。もそう思っているのだろう。軍人は人の命にかかわる立場にいる。そんな中で恋愛に現を抜かしていてはきっと、命取りになる。軍の中に恋人が居るとなると、なおさらだ。だからロイは今まで部下には手を出さないようにしてきた。側近のホークアイ中尉も、他の女性軍人も、ロイは女性として見ることが出来ない。だけが、唯一ロイの心を動かした女性軍人だったのだ。
 仕事上ではあくまでも、上官と部下として。仕事以外に恋人として会おう。
 そう決めなければ、いけないと思った。
 しかし、部下としてでも挨拶に来るぐらい良いじゃないか。
 少し不機嫌になりつつもロイは執務室で書類に取り掛かっていた。最近、テロリスト集団「三本の矢」が東方で暴れている。対策、作戦などを立てて中央に送らなければいけない。
 もうすぐ昼休みだという頃、ホークアイ中尉がやって来て、書類の山を渡した。ロイはぞっとするものを感じる。
「これは、私の分か?」
 涼しげな顔で、ホークアイは答えた。
「いいえ、少佐が片付けたものです。後は大佐のサインが必要なだけなので持って参りました」
 この山を、午前中だけで片付けたのか。ロイは驚いた。すさまじい集中力と処理能力だ。やはり彼女は自分に必要な人材だった。他にとられるより先にとっておいて良かった。ロイは渡された書類を見る。全て、「三本の矢」に関するものだ。銀行強盗や、この前の「居酒屋ミランダ事件」の始末書、報告書。今後の出現地予想。それの対策案。さっと目を通しただけでも、全てうまくまとまっていた。
 昼休みの鐘が鳴る。
「後は、午後からやろう」
 そして、残業だ。
 ならば、昼ぐらいゆっくりと休憩するのも悪くない。
「今、少佐は?」
 聞くと、
「さあ。これを私に渡した後、部屋を出られましたので」
 カフェか食堂か。とりあえず探してみて、会えたら一緒に食事でもしよう。これくらいなら構わないだろう。仕事のことで話したいこともあった。



 見つからない。
 少佐の執務室に来ていた部下に聞いても手がかりが得られなかった。いつもどこで食事をしているのか分からないという。
「誘っても、断られるので」
 そう言う曹長を睨み、相手を脅しつつ部屋を出た。
 食堂にも、カフェにもいない。外に出たのだろうか。そうなると外に出て探しているうちに昼休みが終わる。

 半ば諦めつつ、庭に面する渡り廊下を歩いていると、剣術訓練所を通りかかった。剣術の訓練所は屋内にもあり、普段はそこがメインとなる。昼休みということもあり、屋外には一人しかいない。
 その、一人で訓練しているのがだった。
 声をかけようとしてロイは止めた。藁束の人形と向かい合っている。剣は、抜いていない。目を閉じていた。
 空は青く、雲ひとつない。
 軍服に、下は相変わらずスカートだ。
 どこからか、風が吹き、のポニーテールが揺れた。そこで、目を開ける。
 は地面を蹴って人形に向かって走った。速い。人形とすれ違った。
 いつの間にか、は刀を抜いている。そして、人形は……。
 堂を斜めに真二つに斬られ、上半身を地面にボトリと落としていた。
「見事だ」
 拍手をし、に近づく。
「お褒めに預かり、光栄でございます」
 軍人らしいキリリとした敬語で話し、は礼をした。あくまで部下として接する彼女に驚く。昨日まで、あんなに自分に甘えていた彼女は幻だったのだろうか。
「錬金術に頼ってばかりでは腕がなまるので、訓練をしていました」
 そう言って微笑む。午前中にあの書類の山を片付けたとは思えないほど、爽やかだ。
「ちょうど会えてよかった」
 探していたということを隠し、ロイは真面目な表情を保ちつつ言う。
「食事に行かないか」
「大佐と?」
 は怪訝そうな顔をする。
「仕事のことで話があるのだが」
 そこで初めては刀を収めた。
「承知いたしました。参ります」
 ツカツカとロイに近づいてくる。横に並んでくるのかと思いきや、ここから先には近づきませんとでも言うように、距離をあけて立ち止まった。微妙な距離。遠くでもなく、近くでもない。仕方なく、ロイは歩き出す。本当に、仕事の話だけになりそうで、残念だ。



 ロイの予想通り、本当に仕事の話だけになった。恋人たちがよく行くオシャレなレストラン。軍服姿の二人は周りから浮いていた。
「『三本の矢』のことだが……」
 我ながら色気の無い話だとロイは思う。かつてこの手の店で仕事の話をしたことはなかった。
「あいつらは最近になって東方で暴れるようになった。少佐は何か奴らについて知ってることはあるか?」
 少佐、と相手を呼ぶ時になぜか胸が重くなった。フォークにパスタをからませながら、が顔を上げる。
「私は以前、中央で奴らを追っておりました。以前は中央で暴れていたのです。軍部への嫌がらせが主な目的。資金は銀行強盗、金の錬成から調達しています……」
 澄んだ瞳で話す。ロイはその顔にしばし、魅入っていた。こういう表情も、いいかもしれない。
「……ということですが、大佐?」
「ああ、分かった」
 最後の方は、の話す様を見ているばかりで、聞いていなかった。
「少佐から受け取った報告書は午後に読ませてもらう」
 食事も終わりに近づいた頃、店のドアが勢いよく開いた。
「たまには、こういうトコで食べたいもんだよな、アル!」
「兄さん、声がでかいよ」
 聞き覚えのある声、名前。見ると、エルリック兄弟が店内に入ってきたところだ。
「鋼の!」
 立ち上がって、声をかける。すると、奴はこちらに気づいた。手を振り、笑顔で、
「よお、大佐」
 二人はこちらに来た。はエドの機械鎧を見て、少し驚いたかのようだ。
「こんにちは、大佐。デート中ですか?」
 弟のアルが気をつかいながらも挨拶をした。二人は、たまたま空いていた横のテーブル席につく。店員にオーダーをし、再びこちらを向いた。
「デートではない。仕事中だ。それよりも、ここはお前たちが来るような店でもなかろう」
「軍服の人が来るようなとこでもねえよ」
 エドがさらりと言った。こいつはどうしてこう生意気なのかと思う。
「あの、この方たちはもしかして、噂のエルリック兄弟?」
 が聞く。
「ああ、紹介が遅れたな。こっちのでかいのが弟のアルフォンス・エルリック。で、小さいのが兄のエドワード・エルリックだ」
「小さい言うな!」
 エドが「小さい」に反応して吼えた。相変わらず、「小さい」や「豆」や「チビ」などの言葉に敏感だ。よほどのコンプレックスを抱いているのだろう。
「では、あなたが鋼の錬金術師なの?」
 がエドに向けて微笑む。豆つぶのくせにに微笑んでもらえるとは。ロイは少しムッとした。
「強いんですってね」
「まあな」
「お手合わせ願えるかしら?」
 ふふっと笑うを、兄弟は驚いて凝視した。
「あんたは?」
「申し遅れました。私、少佐です。国家錬金術師。ふたつ名は疾風」
「疾風?」
 がこくりと頷く。
「おもしれえ、やってやろうじゃんか」
「そういうことです、大佐」
 がロイの方を向いた。笑っている。
「久々に、暴れてもいいですか? 後始末は私がやります」
 そう言われると頷かざるを得ない。が鋼の錬金術師相手にどう戦うのかも気になる。ロイは二人の手合わせを許可した。



 場所は、屋外の剣術訓練所だ。ちょうどが剣術の訓練をしていた所である。
「リングはこの訓練所内とします。その範囲内ならどこをどう移動しても良い。あとは、何でもアリっつーことで」
 ジャッジを任されたハボックが二人に告げた。ロイ、アルら観客は渡り廊下にいる。
「これが終わったら仕事に戻ってくださいね」
 ホークアイ中尉が冷ややかに言い放った。
「それじゃあ、はじめっ」
 ハボックが合図をおくる。エドは機械鎧の右腕を構え、は刀を抜く。ハボックは二人に巻き込まれないよう素早く渡り廊下に戻って来た。
「あの二人でしょ? 近くで見るのムリっすよ」

 エドが両手を叩き、そして機械鎧を変形させた。右腕の先端は刃となった。は刀を青眼に構える。
 両者、にらみ合ったまま動かない。相手の出方を読んでいるのだ。
 しかし……。
「ああ、めんどくせえ、こっちから行ってやらあ!」
 エドがに向かって行った。刃でを攻撃する。しかし、は一撃、一撃、器用にかわしていた。
 の刀が錬成光を放つ。
「させるかあ」
 エドはの攻撃を自分の攻撃で止めようとした。だが、
「うあっ」
 見えない何かに弾かれ、エドは吹っ飛ばされた。
「こっちからもいくわよ」
 は刀を振り下ろし、竜巻を発生させた。エドは器用に、地面に身を伏せて守りに入る。構わず、疾風、空気の刃などをエドに放つが、ことごとく避けられてしまった。渡り廊下では観客の悲鳴があがる。今にも、建物の方に行って破壊しそうなのだ。
「的が小さいと当たりにくいものね」
 の一言に、エドがカッとなった。手を合わせ、機械鎧で地面を打つ。地面から無数の槍が出てきた。中央の、半径二メートルほどのスペースを残して、あとは長いのや、短いのが乱雑に立ち並ぶ土の槍でできた林となった。
「すごい力ね。なるほど、これじゃ竜巻や疾風は進めない」
「やっぱ、接近戦じゃねえとな」
 腕を刃に変形させたエドが、足場の悪いところを飛び跳ね、中央にできたリングに来た。
 後は、二人の接近戦が展開された。
 エドがの刀を錬成でもろくしようと、刀に触れようとする。しかしは素早くそれを動かして相手を打とうとする。それをエドがかわし、今度は拳で攻撃してくる。は避けて、刀を振り下ろす。それをまたエドはかわして……。
「兄さんが苦戦してる」
「ああ」
 ロイは二人の戦いを、土の林の間から見守っていた。どちらも、素早い。特に、は懐に潜り込まれれば不利なはずの刀を用いながらも、間合いをとりながらうまく攻撃を避けている。
 エドは必死かのような表情をしていた。じっと、相手を睨んでいる。それに対し、は涼しげな顔をしたままだ。微笑さえ浮かべている。
「あいつは、楽しんでいるのか?」
 ロイはそう思った。そして、
、いつまでも相手してないで、さっさと終わらせろ」
 そう声をかけた。それを聞いたのか、はエドの攻撃をかわした後に頷いた。
「大佐、今少佐のこと、名前で呼ばなかったッスか?」
 ハボックがタバコの煙をくゆらせながら、聞いた。横にいたホークアイとアルがそれに同意して頷く。
 その時、が信じられない行動に出た。エドの攻撃をかがんでかわしたと思えば、地面に手をつき、エドを蹴り上げた。急な下からの攻撃に対応しきれず、ダメージを受けないようガードに入ったものの、エドは空中に浮かび上がった。強烈な、蹴りだったのだ。
 は体制を立て直し、錬成光のする刀を振り下ろした。疾風が空中にいたままのエドを襲う。
「なにを!」
 吹き飛ばされながらも、エドは両手を合わせ、近くの土で出来た長くて、太い槍を右手でつかんだ。槍の胴から、土で出来た矢が飛び、の手にあたる。は刀を落とした。疾風が止む。
「どうだ」
 錬成で元に戻しておいた地面に着地し、エドは再び構える。
「私の、負けだ」
 その一言にエドをはじめ、観客全員が、ふいをつかれて「へ?」と声を出した。
「命に等しい刀を落とされたから。私の負けよ。強いわね、あなた」
「な、なんだ、そうか。じゃ、オレの勝ち?」
 喜ぶエド。それを見て微笑む。観客らは納得できないかのようだ。



「少佐あ、どうしてあっさり負けを認めたんですか?」
 後片付けを手伝いながら、ハボック少尉がこぼす。
 エドが地面を直したものの、訓練所は風などで酷い有様だった。木は倒れ、訓練用サーベルなどを収納していた小屋は半壊していた。しかし、すげえ戦いだったとハボックは思う。
 少佐は錬金術で直すので大忙しだ。錬成陣を書き、錬成する作業は楽そうに見えて実はものすごく疲れるらしく、結局ハボックやフュリーやブレダ、ファルマンも手伝うことになった。大佐はホークアイ中尉に連れて行かれた。
「あっさりじゃないわ。刀を落とされてまで、戦い続けるつもりはないもの。何事も、いさぎよさが肝心よ」
 そのいさぎよさは、軍人として、上官として、プラスとなるのかマイナスとなるのか。
「そういや、少佐」別の話題を持ち出す。「大佐と何かあったんスか?」
「どうして、そんなこと聞くの?」
「大佐が、少佐のこと名前で呼んでましたから」
「そう。でも、今は言えない」
 少佐はそう言って、最後の錬成を終えた。



 下の後始末は終わっただろうかとロイは思う。窓の外はもう暗い。さすがに終わっただろう。残業さえなければ、と思いかけてロイは否定した。仕事中に、相手にのめり込むようではだめだ。
 ノックが聞こえた。
 返事をすると、が入って来た。その姿を見て、ロイは心が軽くなる。
「何か用かね?」
「今日のお礼に参りました。大佐、私にできる仕事なら手伝わせて下さい」
 予期せぬことに、ロイの心臓がうるさく鳴り始めた。はホークアイに、今日は私が大佐を見張りつつ仕事するからもう帰っていいわよ、と告げる。それでは、とホークアイは早々と退室した。
「君と残業デートを申し込まれるとはね」
「久しぶりに、暴れさせていただけた、そのお礼です」
 の笑顔を見て、ロイは残業中に理性を保てるかどうか不安になった。

第参話 鋼 対 疾風:終 

前回とは打って変わって、全く色気ナシです。
次回はやや逆ハーぎみ。

    冬里 ■ブラウザを閉じてください。