―― 第零話 風と共に来た女 ――
この風はどこから来るのか。今までこんなに強い風に襲われたことは無い。まったく、こんな時になんて風だ。ハボック少尉は目の前にあるビルを睨みながら、タバコを踏み消した。味方は20名ほど。銀行に立てこもっている敵は5人に満たない。しかし人質がいるためうかつに手を出せないのだ。こういう時に限って大佐は中央に行って不在。
「ついてねえなあ」
新しいタバコを取り出し、火をつけようとした。が、風が強い。つけてもすぐに消えてしまうためなかなかタバコに火をうつせないのだ。舌打ちをし、タバコをあきらめる。
その頃、汽車から降りて駅を出た者がいた。白いワンピースにスーツケース、それに長い黒髪は幼い少女を思わせる。しかし凛とした目、細長い手足は大人のそれだった。胸元があいた服から見える胸の谷間が悩ましい。しかし、何よりも周りの人を驚かせたのは、彼女の持っている奇妙な刀だった。遠い東の島国で使われている、斬ることに重点を置いた刀だということは、東方の者には分からない。
駅員に聞いた道順を頭の中で繰り返しながら、彼女は歩く。強い風だ。まるで歓迎してくれているかのよう。彼女は風でばたばたまくれるスカートを抑えようともせず、悠々と歩いた。
「目指すは、東方司令部!」
「司令部なら、あっちの方角だよ」
駅員に言われ、慌てて指された方に向かった。その様子を見ていた人は、やれやれ、と言った感じで肩をすくめる。この女は、ものすごく方向音痴なのだ。
「オレらの要求通りにするのか、しねえのか、はっきりしやがれ!」
野太く荒々しい声が窓から聞こえ、同時にライフルの威嚇射撃が始まった。軍の盾が弾丸を受け止める。
「あーあ、あちらさんは威勢のいいことで」
「のんきにしている場合じゃないですよ」
フュリー曹長がハボック少尉をたしなめた。
「そんじゃまあ、当初からの予定通り、作戦3でいきますか」
部下たちが催涙弾の用意をした時、
「そこの軍人さんたち、ちょっといいですかあー?」
高い、女の声がした。声のした方を見ると、白いワンピースを着た女性が風でスカートがまくれるのも気にせず、こっちに向かって歩いて来るところだった。
「あなたが、ここの責任者ですか?」
よくもまあ、こんな時に、しかも軍人に話し掛けてくるものだ。ハボック少尉はたじろいた。綺麗な顔をしているが、どこか変な女だ。それに、大きな刀。何者だろうか。
「東方司令部って、この近くですか?」
「いや、全く違う方向だよ」
ハボックが司令部の方向を指差すと、女性は頭を抱えて、
「あっちゃあ、また道間違えたみたい」
「君は、司令部に何か用があるの?」
すると、女性はピシっと背筋を伸ばし、敬礼した。
「今日から東方司令部に配属になりました、・少佐であります。あなたが、ロイ・マスタング大佐でありますか?」
「いやいや、違う、オレはハボック。ハボック少尉だ」
あんな女たらしの極悪大佐と間違われては困る、と言うかのように、必死になって否定した。は残念、といった顔になった。
「まあいいわ。んじゃあ、悪いけど司令部に案内してくれる?」
相手が少尉だと知り、急にタメ口になった。
「それがね、今、手が離せないんですよ」
「じゃあ、さっさと終わらせましょう。長旅で疲れてるし、早く休みたいの」
は持っていたスーツケースを地面に置き、刀を持って店に向かった。
「人質は?」
が、さっきまでとは違った真面目な顔で、盾を持って待機している部下に質問を投げかけた。
「およそ、20名だと思われます」
「ちょっと待ってくださいよ、少佐」
ハボックが後ろから止めるが、聞かずには銀行のドアを開けた。
中では、軍が動くのをライフル片手に待つ敵の一人が、外の様子を窓からうかがっていた。
「誰か来るぜ」
「何人だ」
カウンターの奥で人質に銃を突きつけている仲間が聞く。
「それが、女一人だ。ナメられたもんだな。いい女だが、どうする?」
「構うことはねえ。ドアを開けた瞬間、ハチの巣にしてやれ。軍の奴らに思い知らせてやればいい」
「ああ」
ドアが開いた。が中に入って来る。
「ジ・エンドだ姉ちゃんよ!」
男がマシンガンを撃つ。バリバリバリバリ。ひとしきり撃った後、死体と化したであろう女の方を見る。
「う、うそだろ」
弾は、女の目の前でその進行をストップさせていた。空気の壁に、弾が突き刺さったかのようだ。見ると、女は抜き身の刀を握り、笑っている。
「こんな物で私を倒そうなんて、百年早いわ」
が刀を構えると、弾丸がボロボロと地面に落ちた。
「くそ、撃て!」
奥にいた者もに向かって発砲する。人質が悲鳴をあげた。
は刀を振り下ろした。すると練成時に出る特有の光が現れた。弾丸は、の目の前でポスポスと音を立てて、止まる。練成によって空気の壁が出来たのだというのが、敵にも分かった。
「銃がきかねえなら、これだ」
奥にいた敵も、の前に来た。手にはサーベルや槍などの武器を持っている。向かって来る敵は、3人。奥にはもう1人人質についている者がいる。
は刀を構えた。左手の指で刀身をなでた。刀身の練成陣が光る。
3人が、同時に踏み込んで来た。
「人質の皆さんは、伏せといてね」
敵が武器を一斉に振りかぶると同時には刀を振り落とした。それと同時に突風が吹き、敵に向かって体当たりする。
「うわあああっ」
悲鳴をあげ、敵は風に飛ばされ、向こう側の壁に激突した。気絶している。
「動くな」
人質についていた残りの1人がマシンガンを人質に構えた。
「武器を捨てろ。でないと、撃つぞ」
仕方なく、は刀を床に置き、手を上げた。しかし、こんな状況にもかかわらず……笑っている。
「何がおかしい!」
「べつに?」
「くそ、バカにしやがって。武器が無きゃただの女じゃねえか。見せしめだ」
マシンガンをの方に向け、バリバリバリと撃った。今度こそやられてしまう、と思ったのか、人質が悲鳴をあげた。
しかし、は素早く弾をよけ、身を伏せ、一瞬のスキを狙ってカウンターに上がった。
「くそう、ちょこまかと」
敵がカウンターにいるにマシンガンを向けた。その時、はカウンターを蹴って高く飛んだ。
「バカじゃない?」
次の瞬間、の足が敵の顔面にめり込んでいた。さらに力を加えてぐりぐりと足を顔の中に埋める。敵は、ゆっくりと倒れた。
が着地すると同時に、人質が歓声を上げた。
ふうっとため息をつき、窓の外から様子をうかがっているハボックらに手招きをした。わらわらと軍の者が来て人質を解放し、敵を連行する。は置いていた刀を取り、鞘に収めた。
「少佐、お見事でした」
手を叩きながら、ハボック少尉が来た。はうなずく。
「しかし、ハデにやりましたねえ」
確かに、銀行内はマシンガンの弾丸があちこちに散らばり、突き刺さり、突風によって書類や観葉植物の鉢が本来あるべきではない所に移動していた。割られたガラス窓から外の強い風がびゅうびゅうと入ってくる。
「事後処理は大佐に任せましょう。それより、早く司令部へ。お腹もすいたわ」
まるで司令部がレストランか何かであるみたいに言う。すごい人だが、変な人だとハボックは思った。
「大佐、少佐がもう着いている頃です」
「うむ」
それにしても、外は強い風だった。台風が来るわけでもないのに。ロイ・マスタング大佐とリザ・ホークアイ中尉は中央から東方司令部に帰って来た。
風と言えば……。ロイは少佐の噂を中央で聞いたのを思い出した。士官学校を主席で卒業し、先の紛争での活躍により若くして少佐の地位についた。奴の通るところには風が吹き、破壊の神が降りるという。中央では問題児扱いされていたようだ。
「どんな男だろうな」
上手くいけば、味方にすることも可能だろう。聞けば、国家錬金術師の資格も持っているとか。自分の夢をかなえるためにも、ぜひとも味方につけたいものだ。
ホークアイ中尉が執務室のドアを開けた。いつもは中で仕事をしているはずの部下がいない。
「何か、あったのでしょうか」
ロイはふと、窓の外が騒がしいのに気づいた。
「何だ?」
窓際に立ち、外を見下ろす。と、そこにはシュールな光景が広がっていた。
白い服の女性を先頭に、部下たちがぞろぞろと移動して来ている。強い風の中、女性はたなびくスカートを抑えようともしない。
「あの女性は誰だ?」
見れば、ハボック少尉もフュリー曹長も彼女の後にいるではないか。ロイは幻を見ているのかと自分を疑った。
ホークアイ中尉に仕事をするよう促され、狐につままれた様な気分になりながらも席につく。
しばらくして、ノックの音が聞こえた。返事をすると、例の白い服を着た女性が現れた。後からハボックとフュリーが入って来た。
「君は?」
綺麗な顔立ちをしたその女性は持っていたボストンバッグを置き、敬礼した。奇妙な刀は左手に持ったままだ。
「私、本日より東方司令部に配属となりました、・少佐であります」
「・……男ではなかったのか」
「大佐、少佐は女性であると、書類にも書いてあったはずです」
ホークアイ中尉が呆れたかのように言った。そうだったか。すぐに書類をさがし、見てみる。・。写真は載っていない。しかし、小さな性別欄に「Female」と書いてある。
気を取り直し、ロイは自己紹介を始めた。
「ロイ・マスタング大佐だ。よろしく。ちなみに国家錬金術師。二つ名は焔だ」
席から立ち上がり、に近づいて握手を求めた。はにっこりと微笑んでそれに応じる。天使のように愛くるしい微笑だ。ロイは思わずドキリとする。いけない。軍属の女性には手を出さないと決めている。
「私も、国家錬金術師の資格を持っております。二つ名は、疾風」
風を操るのだろうか。それにしても、それは何だろう、との左手に握られた刀を見る。
「これですか?」
刀を持ち上げ、ロイにそれを見せた。この国では見かけない形の刀だ。
「遠い東の島国でつくられた刀です。斬ることを重視したつくりになっています」
失礼、と言っては後ろに下がり、鯉口を切ってゆっくりと刀を抜いた。
「ほお」
ロイはその刀身を見て感心した。びっしりと錬成陣が描かれている。武器として使えるだけではなく、錬成するのにも使える、便利なものだ。
「何なら、ここで何か錬成してみせましょうか」
「やめてください」
側にいたフュリー曹長が止める。
「そうだ、いつでもそのカッコじゃあ浮いてしまう。少佐の控え室に案内しましょう」
ハボック少尉がに言う。仕方なく、は刀を収め、ロイに一礼してハボックの後について部屋を出た。
「……変わった人が、来ましたね」
ホークアイ中尉はの出て行ったあともドアを見つめていた。
「いや、おもしろい奴だ」
ロイは頭の中で、・の名を反芻させていた。
第零話 風と共に来た女:終