君の笑顔が
査定の日を忘れるなんて、どうかしていた。最近バタバタしていたから仕方がないのだが……。
列車の中で書き上げたレポートを片手に、エドワードは南方司令部に駆けつけた。初めて入る司令部で、文字通り右も左も分からない状態。どこに何があるのか確かめるために案内板を睨んでいると、誰かが近づいて来る気配がした。
「何かお探しですか?」
鈴を転がしたようなきれいな声。振り向くと、優しそうな軍服の女性が立っていた。金色の長い髪をポニーテールにしている。柔らかい微笑を浮かべているその表情を見て、自分の母親を思い出した。母とその女性はそっくりだというわけでもないのに。
じっと相手を見ていたことに気づき、あわてて目をそらしながらエドワードは自分が国家錬金術師であり、少し遅れたが査定に来たのだと告げた。
「まあ。もしかしてあなたが有名な鋼の錬金術師さん?」
ほんわかとした口調で聞いてきた。静かに、うなずく。
それにしても錬金術師に「さん」をつける軍人は初めて見る。こんな調子で軍人としてやっていけるのか心配だ。キレイな顔をしているのだから早くそこらへんの、出世しそうな軍人と結婚して辞めた方がいいのではないか。と、そこまで考えて、初対面でしかも年上の人に対して何を考えていたのかとエドワードは我に帰った。
ご案内します、と言って彼女は先を歩いた。あわててそれについて行く。
「私、・と申します」
歩いている時にそう自己紹介された。。いい名前だ。あの大佐なら相手を見つめながら素直にそう言うだろう。けれど自分はあんな態度はとれない。少し大佐をうらやましく思う。などと考えているうちに査定専用の窓口に着いた。
「ここで手続きができます。技術研究局の場所は彼女に聞いてくださいね」
窓口にいるメガネの女性に、後はよろしくねと言い、私はこれで失礼致します、と敬礼して去ろうとするを見て、エドワードは妙な焦りを覚える。さっき出会ったばかりで、たった数分間一緒に並んで歩いただけ。それだけの関係で終わるのかと思うと、やりきれない気がした。
「どこに行くんだ?」
とっさに出てきたのがその言葉で、もう少し何か別の言い方があったろうと後悔する。は、大総統の接待をしなくてはいけません、と母親のような口調で言って、微笑んだ。これ以上何を言っていいのかわからず、とりあえず礼だけは言い、去って行くを見送った。こんなことならいっそのこと出会わなければよかったと、胸が痛くなる。冷静に考えてみると普段の自分からは想像もつかない心理状態だ。エドワードは静かに驚く。
手続きが終わり、技術研究局の場所を説明しようとする女性に、自分で探すからと断ってぶらぶらと歩き始めた。迷っているとまたあの美しい声で話し掛けられるかもしれない、というかすかな期待を抱いている。しかし現実はそううまくいかないのであって、エドワードは迷いながらも結局は一人の軍人に聞いた。それがアームストロング少佐だと知りハズレくじを引かされた気分になるのはさておき。
大総統の控え室に通されると、そこにの姿を認めることができて自分の運の良さを感じた。はエドワードに気がつくと、お茶を出す手を止めて「あら」と声をあげた。そして微笑む。
「・軍曹、彼とは知り合いなのかね?」
大総統に声をかけられ、少しだけ頬を染めた。
「はい。先ほど査定専用窓口に彼を案内いたしました」
「はっはっは、そうか良かったな鋼の錬金術師君。南方司令部一の美人に案内してもらうとは、ついてるぞ」
大総統の言葉には顔を赤くした。ティーカップを乗せていたトレーを持って、失礼します、と敬礼して退席した。せっかくまた会えたのに話す機会もない。軽い失望を覚えながら、エドワードは大総統との会話に引きずり込まれた。
大総統の計らいで予定より早く査定が終了した。
結局あの後と会うこともなかった。
今になって、初めて抱いたこの感情が恋心であると知った。もう遅い。南方司令部なんて来る機会はもうないだろう。最初で最後の訪問だ。にはもう会えない。忘れてしまおう。忘れて、早くアルや師匠の待つ所へ帰ろう。痛む胸を押さえて司令部を後にする。
しかし、運命はエドワードを見捨てることはなかった。前を歩いているポニーテールの女性。それがであると気づくのにそう時間はかからなかったのだ。意を決して、後から彼女の名を呼ぶ。
「・軍曹!」
は呼ばれて立ち止まり、くるりと回れ右をした。そしてエドワードに気がつくと、にこりと微笑んだ。
「エドワード君。もう査定はよかったのね?」
から近づいて来る。そんなことをしなくてもいいのに、と思いつつエドワードも駆けつけた。
「何か用?」
「いや、用はないけど……その、案内ありがとな」
顔が赤くなるのを感じ、まともに相手の顔が見られないまま礼を言う。
「いいのよ。そうそう、私、もうすぐ中央に異動するから」
「え?」
予期せぬ言葉に驚いて、の顔を見る。彼女は、微笑んでいた。
「出世っていうわけじゃないんだけど。だから、また会えるかもね」
柔らかい口調だ。この人といるとなんだか心が安らぐ。こういう人が軍にいるなんて信じられないことだ。本当にうまくやっていけるのかと、また心配になった。余計なお世話だと言われるかもしれないが、守ってやりたい気もする。
思い切って、エドワードは口を開いた。
「会いに行くから」
「え?」
「に、会いに行くから」
顔が赤くなっていようといまいと、構わなくなった。まっすぐにを見る。彼女は、エドワードの言葉に驚いてしばらく目を丸くしたままだったが、やがて顔を赤く染めて、微笑んだ。
今日見た中で最高の笑顔だとエドワードは思う。
「嬉しい」
そう、彼女は言った。
俺も嬉しい。
心の中で、素直にそう思う。エドワードはそのまましばらく、を見つめていた。
君の笑顔が:終
ドリームラジオに投稿したものをここに載せてみました。エド夢です。しかも初書き。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございます、様。
冬里
感想などがあれば一言どうぞ。拍手ワンクリックだけでも嬉しいです。↓