――2――
デートの日から五日目。まだ少佐との噂は消えそうにない。
こんなに噂になっているので、私は少佐を避けていた。少しでも噂を否定するために。
しかし、噂は消えるどころか、ますますエスカレートしている。
なぜ?
「そういうわけで、今度、我輩の両親に紹介することになった」
「へえ。やるじゃないっすか、少佐!」
マスタング大佐の執務室に行く途中、そういう会話が聞こえた。
一人は確かに、アームストロング少佐だ。
私は声のする方に近づき、聞き耳を立てた。
「ってことは、少佐とうとう……」
「うむ。両親の許しはすぐに出るだろう。結婚も間近!」
二人は角を曲がってすぐにあるベンチで話しているらしい。
タバコの煙がこっちにまで届いた。
しかし、さっきから聞いていると結構、勝手に話が進められている。何が結婚間近なのか!
「ちょっとー!」
角を曲がり、私は二人の前に立った。
案の定、一人は少佐。もう一人はハボック少尉だった。
「ちゃん、聞いてたの?!」
ハボック少尉は驚いてタバコを飛ばした。少佐はニコニコ微笑んでいる。
「あまり親しくないのに、ちゃん付けで呼ばれたくはないわ」
「ああー、悪い悪い。君の話は少佐からよく聞くから」
噂の出所、発見。
つまり、少佐からハボック少尉、その同僚およびマスタング大佐に広まり、それからセントラル全体に広まったのだろう。
「少佐、何をしゃべってるんですか!」
「……すまない。秘密にしておくべきだったか」
「呼び捨ててるし! ってそうじゃなくて、結婚とかそういう話は……」
「気が早かったかな」
と言う少佐を改めて見ると、何だか気が沈んだかのようだ。大きな体が、気のせいか小さく見える。悲しそうだ。
「あ、あの、少佐?」
「あーあ、少佐が落ちこんだ」
と茶化すハボック少尉を小突き、私は少佐の様子をうかがった。
しゃがみこみ、うつむいている少佐を見上げる。
「あ、あの……」
「いや、我輩が浮かれすぎておった。家に来てくれることが嬉しくて……」
本当にしょんぼりしている。
「が我輩と交際してくれるのが嬉しくて」
って、勝手に付き合ってることにされてる!
けれど、今の少佐に、付き合ってるわけじゃないんだとは、言えない。結局……、
「そんなに落ち込まないで下さい。私、きつく言い過ぎました」
と言わざるを得なかった。
「が謝ることはない!」
急に私の方を見、そして少佐は私を抱きしめた。
背骨がボキボキコキコキ鳴る。
「く、くるしいー!」
「ああ、なんて美しい人だ! こんなに美しい人の顔を曇らせた我輩のおろか者!!」
「た、たすけて!」
意識が遠のいていく中、最後に聞いたのは、ハボック少尉の、
「おお、あんなにイチャついちゃって」
という悪魔のような言葉だった。
結局、噂を否定するどころかエスカレートさせたまま、アームストロング家訪問の時が来た。
フォーマルなドレスに身を包み、迎えに来た少佐と向かった。
着いたのは、すごくでかい屋敷。ああ、少佐が名門出身だというのは本当だったんだと痛感した。
「……そういうわけであるからして、我がアームストロング家は代々優秀な武官を輩出してきたのであり、これからもそうあらなければならない」
「は、はい……」
中に通され、応接室のふかふかなソファに座り、紅茶などを出されながら延々と少佐の父上の話を聞くこと1時間。
左横に少佐、テーブルをはさんで向かい側に少佐の母上、その横が父上。
魔のスクエア・フォーメーションである。
「ときに殿は子供を何人産めそうなのだ?」
「は、はい?」
何を聞いてくるのだこのオヤジは?!
「アームストロング家に嫁ぐ者、丈夫で子供をボロボロ産めるような女性でなければいかん! して、何人産むつもりか?!」
「父上!」少佐が助け舟を出した。「は銃の腕前はもとより、その体力や運動神経は常人以上であります。彼女なら何人でも産めましょう」
って、助け舟そっちの方か!!
なんだか疲れてきた時に、母上がケーキなどをすすめてくれたので、助かった。物を食べているうちは、誰も喋らないですむ。
ふと、ドアが少しだけ開いているのに気がついた。誰かが外からのぞいているのだ。
少佐もそれに気がついたのか、そちらに声をかけた。
「キャスリンも、こっちに来なさい」
キャスリン……少佐の妹か。どんな子だろうか。思わずそっちを凝視してしまう。
出てきたのは、可愛らしい女の子だった。本当に、少佐の妹かと疑ってしまう。突然変異そのものだ!
「あ、あのう、さん、はじめまして」
前から私の名前を知っていたのだろう。私に声をかけてきた。大人しい子で、きれいな声をしているが、小さいので聞き取りづらい。もじもじしながら、必死に話し掛けてきた。
なんだか、可愛い。こんな子が妹になるのか……って、違う違う。
「はじめまして、キャスリンさん。よろしくね」
「さん、私……」
もじもじして、何か言いたいのに言い出せないようだ。
「なあに?」
「私、お兄様を取る人、許せませんから」
と言って、頬をあからめる。
言ってること恐いかもしれないけど、可愛いから良いか。ちょっとブラコン気味なんだなあ……と、ホンワカしていると、キャスリンは部屋に飾ってある大理石の彫刻を片手で持ち上げた。
……やっぱ、この子、変!
「あらあら、キャスリン、お客様の前で失礼ですよ」
母上に言われてキャスリンは彫刻を下ろし、部屋を出て行った。
「ごめんなさいましね、さん。あの子ったらアレックスと仲が良かったものですから」
「い、いいえ。お可愛らしくてお元気なお嬢様ですね」
と言う私の声はなぜか裏声だ。
「あなた、アレックスはさんにゾッコンのようですし……」
「うむ、美しく、元気でいい娘ではないか。良かろう。二人の婚約を認める!」
「父上、母上!」
あー、あっははは。婚約が決まってしまってるよ私。ピンチ!
これも、私が今まできちんと少佐に断ってこなかったせいだ……。
「あ、あのう……」やっぱり、きちんと言っておかないと。「今まできちんと言えずに申し訳ございません、私は、少佐とはまだ婚約の段階まで考えていないのです。いえ、交際まで考えていません。一度、デートした後に交際するかどうかを決めるというつもりだったのです」
立ち上がり、頭を下げた。
しばらく、沈黙が続く。
「あなた、ますますこの娘、気に入りましたわ」
母上の声が聞こえた。そして、立ち上がり、こちらに近づく音がする。
「さあ、顔をあげて」
と言われて顔をあげると、母上がそばに立っていた。母上、背が異様にでかい。
「さん、今までアレックスに近づいてくる女性は皆、我がアームストロング家の地位や財産が目当てでした。でも、あなたは違う。合格です!」
「合格って言われましても……」
「あなたが、アレックスに無理やり交際を迫られたのは最初から気づいていました」
母上は私を座らせ、自分も座った。
「でも、一度デートして、そしてここに来た。それは事実。断ろうと思えばどんな口実を使ってでも断れたはずです。なのに、あなたは来た」
そう言われてみれば、そうだ。
「あなたは、完全にアレックスのことを嫌ってはいない。いいえ、むしろ少しぐらいは好きなはずです!」
と、言い切られてしまった。
そう言われてみると、確かに私は完全に少佐のことは嫌っていない。恋はしていないが、少佐の優しいところは、好きだ。
「そういうことだ、くん、これからよろしく」
父上が、微笑んだ。
「いつでも、うちにいらっしゃい。それよりもいっそ、うちに住みなさい」
「……え? で、でも……」
少佐が私の肩をたたいた。
「許しが出て、よかったな」
本当に嬉しそうな顔をしている。
悪夢なら、覚めてほしい。
私は祈った。
終