昼休み、屋上に出る。
これは士官学校時代からの、私のクセだ。
下に見えるのは、豆ツブほどの人間。中には上官も混じっている。
下を見るのは楽しい。
特に、嫌な上官が下にいるというのは、なんと気分の良いことか!
今、ワタシはあんたより高いところにいるのよ! ここから石などを投げて頭にヒットさせるのも自由! つまり、ワタシがあんたの命を握ってるのよ! フフフ。
……とまあ、そういう風に日頃のストレス解消ができるので、下を見るのは楽しいのだ。
思わず柵によりかかって、身を乗り出すかのように下を見てしまうのもまたスリルがあって良い。
午後からも、がんばるぞ、という気になる。
「早まってはいかん!」
ふわっと体が宙に浮いた。
気がつくと、誰かに抱えられている。
と、思ったら次の瞬間、私はコンクリートの上に尻餅をついていた。
「いたたた。誰よ?!」
見上げると、巨大な人が立っていた。逆行を浴びているので顔はよく見えない。
「それくらいの痛さですんだのを幸いに思うが良い。死ぬのは、もっと痛いのですぞ?!」
「その声は……」
アームストロング少佐だ。
「い、いつの間にここにいたんですか」
「五分くらい前からいましたぞ。たまに屋上に出てみたら、貴様が自殺しようとしていたではないか」
「ぜんぜん、気がつきませんでした!」
「当たり前である! 気配を消したのでな!」
人間離れしている。
私は立ち上がり、服についた汚れを払った。
「私、自殺しようとしてたんじゃないんですよ。下を見てただけです」
払ってから、そう言って少佐の顔を見た。いや、この人は何せ巨大なので、どうしても見上げる形になる。
「やや、・少尉だったのか!!」
「今ごろ気がついたんですか」
よほど助けるのに夢中だったのだろう。結構いい人なんだな、と思う。
「ということは、我輩、陰ながらお慕い申し上げていた・少尉と今、二人きり! 我輩、チャンス!!」
「あのう……声、思いっきりもれてますけど……」
変な人きた!
実は変な人に好かれてた! 私、ピンチ!
逃げたい。今から逃げ出そう。
涙を流しながらぶつぶつ言っている少佐の目を逃れて、ソロリソロリと出入り口へと向かおうとした。
「・少尉!!」
「は、はい!!」
しまった、条件反射で元気よく、振り返って敬礼し、そして返事してしまった!
少佐が素早くこちらに近づいて来た。あの、むさくるしい顔で。
ガシイッ、と手をつかまれた。
「君! 我輩とけ、け、結婚を前提としたお付き合いをしてほしい!!」
あちゃー、告白されちゃったよ。どうしよう、私。
「あ、あのう」
とりあえず、断らないと。
「私、少佐のこと良く分からないので、急に結婚を前提としたお付き合いとおっしゃられても、困ります」
とりあえず、断った。
「うむ、それもそうだな」
良かった、分かってくれた。
「それなら、我輩のことを知ってもらうために、今度の日曜デートしようではないか!」
何ですって! しかも、日曜ってちょうど私は非番だ。あ、でも待てよ。日曜は仕事が入っていると言えば断りやすいじゃない。
「君は、非番だね。分かっておるよ」
「って、どうして知ってるんですか?!」
「フフフ、これぞ我がアームストロング家に代々伝わるストーキング術!」
「犯罪じゃないですかー!」
……結局、あのむさ苦しい顔で迫られ、耐えられずに私はデートの誘いを受けた。
当日はアパートまで迎えに来ると言う。なぜ場所を知ってるのかというつっこみをする元気も、もはや無い。
デートの話を大まかにしようと思う。
午後1時。迎えに来たアームストロング少佐と、歩いて美術館へ。
午後4時。オシャレなカフェでお茶。
午後5時。夕日がきれいに見える公園で、いろんな会話をしながら散歩。
午後7時。高級レストランで食事。
午後9時。アパートまで送ってもらう。帰宅。次は家に来てほしいとのこと。やむを得ず承知する。
分かったこと。少佐の家は代々高官を輩出している名門。妹さんは、本当かどうか分からないが、とても可愛い人らしい。芸術にとても詳しい。筋肉づくりに青春をかけた。小動物や子供が好き。基本的に、優しい人である。とまあ、そういうことだ。
しかし、付き合うとなると……。
お堅い一族だし、上官だし、いろいろ面倒くさそうだ。それに、あのむさ苦しい顔とずっと一緒だと思うと気が滅入る。
この話はなかったことにしてもらおう……と思ってるそばから、家に誘われた。まずい、少佐のペースに入り込んでいる。なんとかして脱け出さないと!
「おはようございまーす」
デートの次の日、元気よく挨拶をしながらドアをあける。
「お、おはよう少尉」
何だか同僚たちの様子が変だ。仲の良いハワード曹長がいたので、声をかける。
「みんな、元気がないよね?」
「元気がないというか、」曹長が私から目をそらしながら言った。「みんな、少尉にどう接して良いのか分からないんですよ」
どういうことだろう。
廊下を歩いていると、誰かが話しているのが聞こえてきた。
「ま、まじ?! あのアームストロング少佐が?!」
「ああ。しかも、相手は・少尉だ」
「嘘だろー! オレ、あの人に憧れてたのに! 少佐はどうやってゲットしたんだよ」
どうやら、私の噂をしているらしい。
どこから、少佐とのデートのことが漏れたのだろう。
とりあえずその二人に誤解だと言わないと。
話をしている人の方に行こうとすると、誰かが私の肩を叩いた。
振り向くと、そこにはマスタング大佐がいた。最近、こっちに異動してきた上官だ。
「昨日のアームストロング少佐とのことは、私も耳にした」
どうやって大佐にまで伝わったのか、謎だ。
「正直、ここに来て初めて君を見てから、ずっと君を狙ってたのに。残念だ」
本当に?! じゃあどうして少佐に誘われる前に口説いてくれなかったの! 女性経歴がすごいってことは前々から知っていたが、少佐よりは良い。ここは誤解を解かないと。
「あ、あの……」
大佐は私の言葉を遮った。
「ああ、分かっている。私も潔く諦めるさ。少佐はああ見えて優しい。きっと君を大事にしてくれるだろう」
大佐の目は悲しそうだった。
でも、口元は笑っている!
「私のこと、楽しんでますね?!」
「いや、そんなことはないぞ」
そう言って大佐は、行ってしまった。
しかし、今朝はなぜ皆の様子が変だったのかが分かった。早く、せめて同僚の誤解は解かないと
部屋に戻り、ドアを開けようとしたら、中の会話が外にもれているのに気づいた。その会話の中に私の名前が入っていたので思わずドアを閉めたまま聞き耳をたてた。
「オレ、見たんス。本当ス。公園で、見たんス」
「うーむ、あの少佐なら、やりかねんなあ」
「足にキスなんて、すごい溺愛ぶりだぜ?」
「少尉も、顔色変えてなかったんス!」
「こりゃあ、相当、深い仲だぜ。しかし、あの少尉ってサドッ気でもあるのか」
って、何の話してるんだこいつら!
公園ってことは……思い出してみると、確か、慣れない靴をはいていたので靴ずれして足をいためたのだ。とりあえず、公園のベンチに座り、少佐がその足の様子を見てくれた。
なるほど。角度によっては少佐が私の足にキスしているかのように見えないことも無い。
「誤解だから!」
ドアを開け、叫ぶと、さっきまで私の噂をしていた人たちが悲鳴をあげた。
「き、聞いていたのですか、少尉!」
「あのねえ、すごい噂が広まってるようだけど……」
と、私は屋上でのことから、こと細かく事の次第を明らかにした。
「じゃあ、噂は噂でしかなかったんスね」
「そうよ!」
「でもよお、噂、収拾つかないくらいに広まってるぜ?」
まじで?! どうしてそんな一日もたたないうちに広まるのか!
「でも、少尉はもう少佐とデートしないんでしょ。じゃあそのうち噂は収まるッスよ」
デート。するよ、デートより濃いのを。ご両親に紹介されるのだから。
黙っていると、皆が声をそろえて言った。
「またするんですね、デート」
仕方なく、うなずく。
皆の顔が、「じゃあラブラブなんですね」と言った様な顔になった。
ああ、これからどうしよう……。