「これは……」
大河のグローブだった。これがないと練習ができない。
「とにかく、届けに行かないと」
はグローブを握りしめた。
「あ、あの、『ご主人様』って呼んでもらえませんか?」
チェック柄のシャツにジーパン、リュックサックといった服装でメガネで太っていて髪がボサボサな男性が声をかけてきた。
「急いでますから」
は走ってその場を離れた。
「あなた、大河様の所にいるメイドじゃない」
二人の女の子がの所に近づいて来る。
「どうしてメイドがこんな所にいるのよ」
二人の顔に見覚えがあった。以前大河の所に遊びに来て、一人は途中で帰り、一人は事実上大河に帰らされた。どちらもに恨みを抱いているのだろう。まずい相手に会ったものだと、はため息をついた。
「大河様に忘れ物を届けに参りました。急いでおりますので、ご用は後ほどでもよろしいでしょうか?」
一応、敬語で話す。二人は目を細めてを見てきた。
「それが忘れ物?」
栗色のストレートヘアーの娘がの手にしているグローブを指す。うなずくと、彼女はもう一人と顔を見合わせて、
「それじゃ、私たちがそれを大河様に届けるわ」
口を横に引き伸ばしただけの笑顔を見せて、手を伸ばしてきた。からグローブを取るつもりらしい。
「あの、これは私の役目ですから」
この人たちに大河の物を渡すわけにはいかない。いや、渡したくはない。
「何よ、人がせっかく親切に言ってあげてるのに!」
二人が詰め寄って来る。その表情が怖かった。
「何よ、メイドのくせに私たちに刃向かおうっていうの?」
ほとんどヒステリックに叫んでいる二人。一体何が彼女たちをそうさせているのだろう。叫ばれている当の本人、はむしろ冷めた目で二人を見ていた。
「さんじゃないか」
声がして、その方を向く。六魔天の一人、東山がこちらに来ていた。
「東山様」
は頭を下げる。
「どうしてこんな所に?」
聞かれて、は事の次第を話した。東山は首をかしげる。
「おかしいな。大河様はきちんとグローブをつけて練習しているが……」
「いや、きっと予備のやつだから練習しづらいはず。持っていこう」
どうやらが無駄足だったと思って落ち込まないように気を使ってくれたみたいだ。そんな彼の気配りが嬉しく、は微笑んだ。
「先ほどは助かりました」
二人に詰め寄られていた時に、タイミングよく声をかけてくれた礼を言う。東山はまた顔を赤く染めた。
「ケガの功名ってやつさ。罰ランニングの最中にたまたまさんを見つけたんだよ」
厳しい、とは思った。
「でもさんと会えたから、こうやってゆっくり帰れる」
東山はそう言って微笑んだ。
「」
春風のような笑顔を見せる。次に東山を見て、少し眉をひそめた。
「東山、ランニングはどうした?」
は東山をかばった。これまでのいきさつを説明すると、大河は「そうか」とうなずき、
「じゃあ闘球場外周を三周で勘弁してあげるよ」
にっこりと微笑んで恐ろしいことを言う。東山は途方にくれながらも早々と外に出て行った。
「大河様、グローブをお届けにあがりました」
持っていたグローブを差し出す。
「ありがとう」
それを受け取る大河の手には、東山の言っていた通り、グローブがはめられている。
「これはもう、いらない」
大河ははめていたグローブを脱ぎ捨て、が持って来たのを代わりにはめた。
「申し訳ありません。私が大河様の持ち物をきちんと確認していなかったばかりに……」
は頭を下げた。
「は悪くないよ。僕が部屋の前でグローブを落とすなんて、誰も予想できやしないさ。それより……」
大河はの手を取った。
「せっかく来たんだから、練習でも見て行かないか」
気がつけば観客席まで連れて来られた。
「五十嵐! 東山が戻って来次第、紅白戦だ!」
そして自分はの横に座る。
「ほら、始まったよ」
は我に帰り、闘球場を見下ろした。
「楽しかった?」
大河に聞かれて、
「もちろんです。ありがとうございました」
そしてニッコリ微笑む。
「聖アローズはいい所だろう? もここに通えばいいのに」
正直、こんな学校に行ったら身が持たないと思う。大河のことが好きな女の子たちにこれ以上睨まれるのも面倒だ。何よりも、大河と同じ学校に通うなんてできない。
「それよりも大河様……」
は、闘球場にいた時に湧き上がった疑問を大河に話してみようと思った。
「今日はどうして、ご自分がグローブをお部屋の前に落としたと分かったのですか?」
大河は困惑したような顔を見せた。いつも落ち着いている大河には珍しいほど、慌てている。と自分の膝を交互に見て、それからまたを見た。
「ごめん、」
大河が頭を下げたので、は驚いた。
「いつも日曜に誘ってもは来てくれないから、わざと忘れ物をしたんだ。ならきっと届けに来てくれると思って」
本当にごめん、とまた頭を下げるのを、は止めた。
「そういうことだったのですか」
ほっとした。
「、怒った?」
大河が心配して、恐る恐る聞いてくる。はハッとして、大河に対して恨みがましい思いを抱いていたのに気づいた。いけない。大河は悪気があってそんなことをしたのではないのだ。ただ、自分を誘いたくてそうしたのだ。は首を振った。
「いいえ。そのお蔭で今日は久しぶりに聖アローズの練習を見学できましたもの」
大河を安心させるために微笑む。
「そうだ、今度お詫びにどこかに連れて行ってあげるよ。いいだろう?」
そうだろう? と大河が同意を求めてくる。こんなにきれいな瞳で見られると、拒否はできない。思わずうなずいてしまう。
「決まりだね」
大河は微笑んだ。
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