放課後、校門から出ようとすると声をかけてくる者がいた。名前は忘れたが、隣のクラスの男子で、何かにつけてよくに話しかけてくる。サッカーをやっているらしく、たくましい体つきをしていて、背が高かった。そばかすのかかった頬が健康的なイメージを与えているから不思議だ。

、今帰りか?」
「そうよ。何か用?」
「明日の午後、空いてるか?」
「ええと……」

 は手帳を取り出した。皮製のシックなシステム手帳だ。明日のスケジュールを見る。土曜日なので午前で授業が終わる。しかし、午後から大河のチームが二階堂家の敷地内にある闘球ドームで練習をする。そのお世話をしなければ。

「……だめだわ。ちょっと用事がある」
「またか。試合、見に来て欲しかったのにな」
「ごめん。また今度ね」

 何回言ったか分からないセリフだ。本当なら今度の試合の日程を聞いて、その日に休みが取れるよう計らうべきだろう。しかし、名前も知らない人のためにわざわざ時間を割く気にはなれなかった。
 手を振って、その場を走り去る。心地良い風が髪をなでた。



第2話:Be Jealous !





 勝手口から二階堂家の屋敷に入る。
 庭は桜の花びらが散っていて、ピンクの絨毯を敷いたようだ。勝手口から庭をまっすぐ歩いてすぐそこに女性使用人用の出入り口がある。すぐ、と言っても三分くらい歩くのだが。

「おかえり、

 ドアを開けると、ミス・シェリーが出迎えてくれた。

「ただいま」
「部屋におやつが置いてあるわ」
「ありがとう」

 そんな会話を交わしてから、すぐそばの階段を上っていく。四階分上り、さらに上ると屋根裏部屋になる。そこでは寝起きしていた。屋根裏と言っても、大邸宅の屋根裏であり、天井も高く、広くて快適なものだ。
 デスク兼テーブルに紅茶のカップとクッキーが置いてある。イスに座ってクッキーを食べ、紅茶を飲んだ。少しぬるくなっている。おやつが終わると「制服」に着替えだ。ペチコートを着て、レースのついたニーソックスをはき、パフスリーブつきの黒いワンピースを身につける。髪はポニーテールにした。仕上げに白いエプロンとヘッドドレスをつければメイド・の完成だ。黒い髪に白いヘッドドレスが映えている。
 カップと皿を返しに一階に行った。厨房の裏、ミセス・シェリーが指示を出すところだ。洗い物をしている川田さんにカップと皿を預けると、は大きな食器棚の横にあるホワイト・ボードを見た。自分の名前のところに、今日のタイム・スケジュールが書いてある。給料を貰って働いている大人ではないので、のスケジュールはほとんどが空欄だ。それは大河やミセス・シェリーと相談して何をするのか決めることになっている。しかし実際は相談してもいいが、しなくてもいい。自由時間だ。たいていは宿題をしたり大河の話し相手になったりする。
 さて、今日のスケジュールは。三時半に大河が客を連れて帰ってくるので紅茶と菓子の用意をする。その後はずっと自由時間。六時から夕食の準備。七時の五分前に大河を呼びに行き、七時に夕食。
 はあ、とはため息をつく。壁にかかっている時計は三時を過ぎていた。とりあえず厨房に行って菓子の用意だ。厨房に駆けつけ、パティシエである川田さんに菓子のことを言う。

「もう、できてるよ」

 指された方に二つ分のフルーツタルトが用意されていた。いちごのソースが控えめにかかっていて、それがタルトをおいしそうに見せている。はトレーを取り出し、そこにタルトの皿を乗せた。食器棚から大河がいつも使っている銀食器とティーセットを取り出す。今日はストレートティーにしよう。葉はダージリン産セカンドフラッシュだ。果実のようなすっきりとした甘さがタルトのおいしさを際立たせるだろう。
 紅茶を蒸らしているときに大河が帰ったとの連絡が小型通信機で入った。急いで出迎えに行く。玄関に着くと、すでに皆が並んで出迎えていた。もそれに加わり、お帰りなさいませ大河さま、と皆で挨拶する。大河は女の子をつれていた。合わせて、いらっしゃいませ、とつけ加えた。
 大河は階段を上った。どうやら自分の部屋に行くようだ。は厨房に引き返し、お茶の用意の続きをした。もう、紅茶はできたようだ。
 厨房を出てすぐにある使用人専用の階段を上り、大河の部屋に向かった。大きなトレーにタルト二皿、ティーポット、カップ、銀食器とミルク、砂糖。それを器用に持ちながらするすると歩く。部屋に着くと片手に持ち直し、ノックをした。

「失礼いたします、お茶の用意をお持ちしました」
「入れ」

 朝とは違い、きりりと引き締まった命令口調が響く。はドアを開けた。中では大河と女の子が向かい合ってテーブルに座っていた。
 女の子は、自分と同じ年齢か少し上に見えるがメイドをやっているので少し驚いたようだ。そして、を見る目にかすかな嫉妬の光が見える。
 腕にかけていたマットを二人の前にそれぞれ敷き、その上にタルトの皿を乗せ、銀のナイフとフォークを出す。ティーセットを用意し、紅茶を注ぎ、二人に出す。その一連の動作は流れるようで、美しい。

「そうだ、も一緒に宿題をしよう」

 大河が涼しげな目をに向けてきた。そう提案されるのはいつものことだ。しかし、今日は客が来ている。それも、女の子だ。大河と彼女の関係がどうであるか分からないが、しかし彼女にしてみれば初対面の、しかもメイドが仲間に加わると面白くないだろう。

「申し訳ございません大河さま。私はこれから……」
「彼女のことなら心配ない。構わないよね?」

 の言葉を遮り、大河は女の子に同意を求めた。大河にそう言われると、うなずくしかない。は彼女に同情した。

「かしこまりました」

 礼をして、部屋を出る。なるべく、二人から離れた所にいようと思った。お客様に失礼の無いように。ミス・シェリーからいつもそう言われているのだ。しかし、思い返してみれば前にもこれと似たようなことがあった。今日来ている女の子とは別の女の子だったが、大河は同じようにを誘った。あの時は、宿題の途中で女の子が帰ってしまったのだ。きっと、つまらなかったのだろう。それもそのはずで、大河は女の子を放っておいたままでにばかり話しかけてくるからだ。
 普段は優しい大河が、どうしてそんな行動をとるのだろう。それが不思議でたまらない。

 しかしの心配は杞憂に終わりそうだった。二人がタルトを食べ終わる時間を見計らい、自室から宿題と筆記用具を持って大河の部屋に入ると、二人が仲良く喋りながら宿題をしているようだったからだ。ペアワーク発表でもあるのだろうか。結構、熱心な様子だった。
 邪魔をしないようテーブルに近づく。とりあえず空いた皿やティーセットをトレーに乗せて部屋を出、通りかかったクミコさんに持っていってもらった。戻ると大河に座れと言われ、女の子側のテーブルに座る。少しだけ二人から離れた場所にイスを移動させた。二人はが思ったとおり、社会の発表内容について話し合っていたのだ。とりあえず今日の宿題をしてしまおう、とは原稿用紙を取り出す。今日は作文だけだ。題は「わたしを育ててくれた人」 さっそくミセス・シェリーのことを書こうと思う。
 大河が立ち上がり、こちらに近づいて来た。女の子の後ろに立って、彼女が開いている資料集を覗き込んだ。女の子の方は大河の接近に緊張しているのか身をこわばらせている。大河は前の女の子とは違って、彼女を気に入っているのか。そう思いながら彼女を失礼ながらちらりと見ると、なるほど可愛らしい子であった。栗色のストレートヘアーで、後ろにリボンを結んでいる。しかし大河と並ぶには力不足のように感じた。並んでいるのを見て絵にならない。
 では、大河と並ぶにはどんな人が相応しいのだろう。はギリシャ彫刻に出てくるような美人か、日本的な美人を思い浮かべた。そういう美人が大河に相応しいと思う。正直に言ってしまえば彼女は中途半端だ。たしかに可愛い。しかし大河ほどの美人ではない。と、そこまで考えては苦笑した。自分がそんなことを言える立場じゃない。大河が彼女を選んだのなら、それでいい。視線を原稿用紙に戻そうとしたところで、大河と目が合った。

「どうした、?」
「いいえ、何でもございません」

 微笑んで、そして原稿用紙を見つめた。とにかく、宿題を済ませよう。ミセス・シェリーのこと。彼女はを育て、家事や礼儀作法を教えてくれた。今は毎日、英語のレッスンも受けている。彼女のことをつらつらと書いていると、大河の涼しい声が聞こえた。

「今日はここまでにしておこう。!」

 呼ばれて、鉛筆を置いては立ち上がった。

「はい、大河さま」
「彼女を玄関まで送って行ってくれ」
「かしこまりました」

 女の子は、きょとん、とした表情のままだった。まだ途中なのに、とでも言いたそうである。しかしは大河の言いつけを優先させた。大河は彼女のことが好きだというわけでもなかったらしい。大河の気まぐれに従わされる彼女に哀れみを覚えつつ、は彼女の荷物を持とうと、近づいた。

「大河くん、どうして? まだ途中じゃない」
「もう日が暮れるだろう。早く帰った方がいいんじゃないかな」

 にこりともせず、大河は穏やかな口調で言った。かっと顔を赤くして、女の子はノートや筆記用具などをカバンに入れた。お荷物をお預かりします、とは言ってそのカバンを持つ。彼女は乱暴な足取りで部屋を出て行こうとした。出る時、は一礼をして彼女のあとを追った。

「申し訳ございませんお嬢様。大河さまは時々、ご気分がお悪くなるのです」

 階段を下りていく相手を追いかけつつ、は一応、大河に代わって謝った。彼女は立ち止まり、そして振り向いた。を睨んでいる。

「あなたのせいよ!」

 そう叫んでに近づき、カバンをもぎ取った。

「玄関までなら、一人で行けるわ」

 そう言って走り去ってしまった。後に残されたは追いかける気にもなれず、そこで呆然と立っていた。
 あなたのせいよ。
 そう言われるとは思ってもみなかった。自分が何かしただろうか。彼女に気を使い、哀れみを覚えこそすれ、恨まれるようなことは何もしていない。
 仕方なくそのまま大河の部屋に戻る。宿題を置いたままだった。

 部屋の前で大河が立っていた。

「大河さま。お送りにならなくても良かったのですか?」
「いい。もともとそんなに仲のいい子じゃないのに、今日は強引に来て困ってたんだ」

 大河がドアを開け、部屋に入る。も続いた。

は、僕と彼女が一緒にいるのを見て、どう思った?」
「お可愛らしい方でしたので、お似合いかと存じました」

 そこで、今まで背を見せていた大河が振り向いた。少し、悲しそうな顔をしている。何かあったのだろうかとは心配になった。

「いかがなさいましたか?」
「いや、本当にそう思ったのかな、って」
「正直に申し上げますと……」
 は目を伏せた。
「あの方では、大河さまのお相手になるには力不足かと」
「そうか。それだけ?」

 こくり、とはうなずく。大河はまだ悲しそうな顔をしたままだ。体調が悪いのだろうか。春先でまだ少しだけ寒い。温かいものでも持ってこようかと思ったとき、大河は踵を返してテーブルに近づいた。筆記用具などを片付け、机になおそうとしているらしい。も行って、手伝った。少し前かがみになり、大河の代わりに教科書や資料集などをまとめていると、うなじに息がかかった。

「嫉妬は、してくれないんだね?」

 一瞬、ぴたりと動きを止めてしまう。言葉の意味が飲み込めない。嫉妬。誰に? ぐるぐると頭の中で疑問が湧き上がったが、とりあえず教科書や資料を持ち、背筋を伸ばす。振り向くと、大河はいつの間にかその場にいなかった。ベッドの横にある机に行くと、その前に立っている。大河に筆記用具を渡し、教科書と資料集は本棚にしまった。

は宿題、まだ途中だったね?」

 そう言われて、はい、と答えた。残りは後でやります、と言おうとすると、

「せっかくだから、ここでやっていきなよ」
「ですが、お邪魔になります」
「いいよ。宿題をやってるを見たいんだ」

 天使のような微笑を見せてそう言う。どうしてそんなものを見たいのだろうか。は不思議に思ったが、せっかくなのでお言葉に甘えることにした。
 テーブルに座って作文の続きをやる。大河が開けていたのか、窓から温かい風が流れ込んできた。桜の花びらがテーブルに舞い降りた。庭にあるものが風に乗ってきたのだろう。もう春なんだと実感する。
 横にいる大河の視線を感じながら、はさらさらと原稿用紙に鉛筆を走らせた。

第2話:Be Jealous !/終

 メイド萌え第二弾です。(萌え言うな!)
 他人のことには敏感だけど自分のことについては鈍感な様という設定でいきます。
      冬里

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