朝、六時五十九分。
 ノックを二度してから、はドアを開けてその部屋に入った。洗面器やタオルなどを乗せたカートを押してベッドの側に寄せる。
 七時ジャスト。

「大河さま、朝でございます」

 ベッドに近づき、声をかけた。



第1話:WAKE UP!





 かなり大声で起こしたはずだが、大河はすやすやと眠ったままである。いつものことだ。耳元で叫びながら体を揺り動かさなければ目を開けることはない。

「大河さま、起きてくださいませ!」

 長いまつ毛を頬に陰らせて、きれいな寝顔を見せている大河に近づき、大声をあげる。それにしても大河は本当にきれいだと思う。白い肌に少しくせのかかった金髪。鼻が高くて顔は整っている。世の中にはこんなに完璧な人が存在し得るんだ、という証明なんだろうか。美少年で、頭も良くて、スポーツも万能で。その上お金持ちのお坊ちゃんだ。
 でも、強いて言えば一つだけ欠点がある。

「大河さま、朝でございますよ!」

 は大河の肩を持って体を揺さぶらせた。
 そう、その欠点は……朝がとても弱いことだ。

「ん、朝?」

 ようやく、目を開けようとする。しかし、今にもまぶたが下にくっつきそうだ。

「起きる時間でございます!」
はどうして私服なんだ?」

 とろりとした目でこちらを見てくる。

「朝だからです。私も学校があるので着替えてから参ったのです」
「いつもの服がいいのに」

 そう言ってまた目を閉じようとする。ため息をつき、は最終手段に出た。大河の両手首を掴み、ムリヤリ引っ張って起こす。一瞬、何があったのか分からない大河は目を少し開けて、首をゆっくり動かし、周囲を見回す。

「お目覚めに、なりましたか?」
、何をするんだ?」

 今にもまた眠ってしまいそうな声だ。そのままの状態でいるうちにはカートに戻り、ベッドに設置するテーブルを持って来た。素早く大河の前にテーブルを出す。またカートから洗面器とタオルを持って来て、そのテーブルに置いた。

「大河さま、お顔を!」

 気を緩めるとまた目を閉じて寝てしまいそうなので常に大声だ。案の定、が声をかけると大河は肩をびくりとさせて夢から現実に戻った。
 のろのろとした手つきで洗顔をし、終えるとがタオルを出す。ゆっくりと顔をふいて、タオルをに渡す。そこで洗面器とタオルをなおし、テーブルも折りたたんで片付け、カートにしまってから次に着替えを取り出した。次から次へと用意する。大河が小学校に入学して以来、毎日やってきたことだ。大河に眠る暇も与えないくらいてきぱきとやれる自信はある。ただ、次が問題だ。

「制服でございます。お着替えくださいませ」

 大河に制服を渡し、その場を離れる。さすがに、着替えに立ち会うわけにはいかないだろう。小さい時ならともかく、今は大河も年頃になってきている。
 その間、はバルコニーに向かう。大きなカーテンを開けるとまぶしい日光が入ってきた。観音開きの戸をあけて、外の空気を入れる。春の穏やかな風が優しく頬を撫でた。小鳥の声もする。バルコニーに出て、庭の木を見た。ここから遠くなく、近くもないところに桜の木がある。まだつぼみだが、もうすぐ花が満開になるだろう。
 バルコニーはロミオとジュリエットに出てきそうなものだった。は自分がジュリエットになっている様を想像する。下にいるロミオは誰だろう。そう思いながら下を見ると、庭掃除の山下さんがいて、げんなりした。おじさんじゃないか。さらに視線を動かして自分の足元を見ると、ツタが絡まっているのが見えた。

 部屋に戻り、戸を閉じて大河の様子を見る。すでに着替え終わったようだ。立ち上がって、こちらに来ようとしている。

、着替えた」

 本当に眠そうだ。寝癖がついていて、それをなおさなければ、と思う。は急いで駆け寄り、カートからブラシとヘアワックスを取り出す。大河は部屋のイスに腰掛けた。大河の目が閉じないうちに、はそちらに行って大河の髪にブラシをあてる。きらきらと太陽の光が反射していて、大河の髪はきれいだった。
 寝癖をなおすとは大河を立たせて、ジャケットのポケットからネクタイを取り出した。素早くカッターシャツの襟首に巻きつけて、くくる。

の髪は黒くてきれいだね。まっすぐだ」

 結んでいる間に、大河はの髪を撫でた。相変わらず寝ぼけているかのような、とろりとした声である。あまり頭の冴えていない時にもするりと女性を誉める言葉が出るなんて。そこが大河のすごいところだ。

「私は大河さまの金髪がうらやましいですわ」
も聖アローズだったらよかったのに」

 会話がかみ合っていない。やはりまだ眠たいのだ。ネクタイを結び終えて、カッターシャツの襟を整える。

「もったいのうございます。私はお屋敷から歩いて通える学校で充分ですわ」

 カートに戻り、それを押して一度部屋を出た。カートを廊下に出してからまた戻り、大河の様子を見る。思ったとおり、立ったままぼうっとしていた。

「大河さま、今日はお食事はどちらでお召し上がりになりますか?」
「えっと……」

 どこを見ているのか分からない目をして、何かを言おうとしている。が、待っていても次の言葉が出なかった。

「こちらにお持ちしましょうか、それとも旦那さまとご一緒しますか?」
と一緒がいい」

 突然、何を言い出すのだろう。本当に、まだ完全に目が覚めた状態ではないのだ。仕方なく、はメイドに支給されている最新式の小型通信機で女中頭であるミセス・シェリーに連絡をとった。

「大河さまのお食事を、お部屋に持って来るよう誰かに言ってください」
「わかったわ、

 食事が来るまでにセッティングをしておかなければならない。テーブルに行き、先ほど使ったイスをそこに戻した。

「さあ、大河さま。どうぞこちらへ」
「うん……」

 のろのろと近づいて来て、イスに座る。そこへタイミングよく、ドアをノックする音が聞こえた。どうぞ、と返事をするとメイド仲間のクミコさんが部屋に入ってきた。

「失礼致します。お食事でございます」

 クミコさんはテーブルに向かった。は彼女の腕にかかっていたランチョン・マットを取り、テーブルに敷く。その上にクミコさんがクロワッサンにベーコンエッグというシンプルな朝食を置き、ティーポットとカップを置いた。

「失礼致しました」

 そう言って頭を下げ、にもにっこり笑って、去って行った。香水の匂いが後に残る。大人の香りだ。
 大河は何とか朝食を終えて、歯を磨きに洗面室に行った。だんだんと、目を覚ましてきたようだ。その間に食器を片付けて廊下に出したままのカートに乗せ、厨房に向かった。

 様子を見に戻って来ると、大河は制服の上着を着て、きりりとした表情をしていた。

「お目覚めになりましたか?」

 微笑んで、そう聞く。大河は黙って、うなずいた。そしての方を見る。

「スカート、短いんじゃないか?」
「え?」

 頭が冴えているはずなのに、おかしなことを言う。しかしとりあえず自分の足を見てみた。ひざより少し上までのミニ・スカート。そんなに短くないし、同い年の子なら誰だってはいている。

「そ、そんなに短くはないと存じますが……」
「じゃあ、の足が長いからそう見えるだけか」

 行こう、と大河はに声をかけて部屋を出ようとした。も後からそれに続く。廊下を渡り、階段を下りるとロビーに出る。何人もの使用人が階段から出口の側までずらりと並んで見送ろうとした。手前にいる執事の森下さんが大河のカバンを持って近づく。そして大河の横を歩いて外に出た。も後からそれについて行く。

「行ってらっしゃいませ、大河さま!」

 一同がそう言って見送った。
 は出口の近くでミセス・シェリーにカバンを渡された。

「行ってらっしゃいね」

 まるで母親のように見送ってくれる。

「行ってきます、ミセス・シェリー」

 外に出ると、五十嵐が来ていた。大河はもう車に乗っていて、五十嵐が一緒に乗り込もうとしているところだった。

「おはようございます、五十嵐さま」

 はにっこりと笑って挨拶をする。五十嵐は会釈をした。

「大河さまのこと、よろしくお願いしますね」
「はい」

 そして車に乗り込んだ。森下さんが車の戸を閉める。そして車は重くて低いエンジン音を出して動き出した。は、それを見送る。

「さあ、も早く学校に行きなさい」
「はい」

 ミセス・シェリーが母親なら、森下さんは父親だ。白髪のまじった森下さんの頭を見て、次にメガネの奥にある優しそうな瞳を見た。

「行ってきます」

 は、走って屋敷を後にした。
 暖かい風がふく。
 今日もいいことがありそうだ、とは思った。

第1話:WAKE UP!/ 終

 というわけで、様にはメイドになってもらいました。メイドもえ!(はぁ?)
 ていうか、メイドでしかも小学生設定ってムチャですよねえ。まあ、フォローは後で。
 連載というより、シリーズって言った方が近いかもしれません。メイド様と大河様の日常をつらつらと書いていこうかと。
 次回は学校から帰った後の出来事などを。

      冬里

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