すがすがしい朝だ。いつも通り火浦と登校したは、絶好の告白日和だと思った。この天気が放課後までもってくれればいい。
 昨晩は告白の場所と言葉を考えていて、よく眠れなかった。けれど緊張していて目が冴えている。おまけに、火浦と一緒に歩いているので心臓がドキドキうるさい。この音を聞かれたらどうしようかと思うと、余計に緊張する。

 私、大丈夫かな?

 教室の前で別れる前、放課後になったら話したいことがあるので、部活前に屋上に来て欲しいことを述べた。火浦はうなずいて、教室に入っていった。



第八話 けれど空は青





 しかし、の決心を崩しそうなことが起こった。昼休みのことだ。

、藤堂くんと付き合ってるってほんと?」

 廊下を歩いていると、隣のクラスの友達にそう声をかけられた。思わず「はあ?」と間の抜けた声を出してしまう。

「その調子じゃ違うみたいだね」
「当たり前じゃない。何言ってるの」
「だって、学校中がその噂でもちきりだよ?」

 は友人の腕をつかんだ。思わず力が入ったので「痛いってば」と言われる。しかし離さずに、

「それ、ほんと?」

 聞くと、友人はコクコクと二、三度うなずいた。
 その友人はクラスの友達に聞いたという。そしてその友達は、たまたま委員会の都合で低学年の教室前を通っている時に一、二年の女子がそう噂していたのを聞いたらしい。

 どうして、藤堂くんと噂になったんだろ。

 血の気がサーっと引いていくのが分かる。全校で噂されているのだ。もし火浦にそのことが分かったら……。
 告白どころではない、とは思った。そしてなぜそんな噂が広まったのかと考える。一、二年の女の子が噂していたということは、そこが発信源ではないだろうか。もしかして……。
 は友人の腕をはなし、階段に向かった。

「どこ行くの?」
「一年の教室に!」

 振り返らずに答え、は階段を駆け下りた。




「おい火浦! が藤堂と付き合ってるってのはほんとか?」

 これで何人目なんだ、と思いながら火浦は「知らねえよ」と答えた。イライラする。教室や廊下のどこを歩いても、その噂でもちきりだ。火浦とが幼なじみだと知っている者が、次から次へと噂の真相を聞きに来た。
 しかし、どうしてこんな噂が流れたのだろう。叶の時のように、藤堂と二人でいるところを誰かに見られた、といったところだろうか。それにしても、いつ二人きりでいたのだろう。そう思うとまたイライラした。
 そういえば昨日、は一人で帰ってきた。それも、遅くになってだ。何かあったとしたら昨日だろう。

 まったく、何してたんだあいつは。

 胸の中がムカムカして気分が悪いので、火浦は外に出て少し体を動かそうとした。それに、昼休みだ。外に出ないともったいない。火浦は友人たちをつれて廊下に出た。




「やっと見つけた!」

 廊下にいるみさとを見つけ、は声をあげた。みさとはを見て顔色を変え、逃げようとした。それをとっさに捕まえる。

「ごめんなさい、先輩っ!」

 低学年が共用で使っているテラスに出ると、みさとは頭を下げた。

「怒らないから、どういうことか説明してくれる?」

 できるだけ、おだやかに言う。みさとはそれで安心したのか、事の次第を説明した。
 昨日もみさとが言っていたことだが、は低学年の間で人気があるらしい。憧れの的なのだ。そこでみさとは昨日、自分がと話をしたということを友人達に自慢したのだ。その時、が自分の兄である藤堂と仲良く公園で話しているのを見た、というのもつけ加えたらしい。それが一時間目が終わった後の休み時間でのこと。
 昼休みの今、その噂は学校中に広まっているのだ。それも、噂は尾ひれをつけて「藤堂とは付き合っている」ということになって。

「ほんとに学校中に広まってるんだ……」

 は途方に暮れた。

「はい。お兄ちゃんが3時間目の終わりくらいに私を叱りに来ましたから、もう六年にも広まってると思います」
「……だよね」

 はテラスの手すりにつかまり、がくっと頭をうつむかせた。こんなにいい天気で、今日は告白日和だと思ってたのに。今は空を見上げる元気もない。
 こんな時は叶に相談できたら。ふと、はそう思った。兄のような存在としていろんな相談に乗ってくれた。ところが相手の方では、に恋愛感情を抱いていたらしい。それが分かったのは一昨日の日曜だ。さすがに今日、この出来事を相談する気にはなれない。

「あの、お兄ちゃんから聞きました。先輩、好きな人いるんですね?」

 みさとがおずおずと聞いてきた。

「うん」

 力なく答える。自分に憧れてくれているというみさとの前だから、できるなら元気な姿を見せたい。だが、それは難しい。

「あ、あの、元気出してください。お兄ちゃんと付き合ってるっていうのはウソだって友達に言っておきましたから」
「ありがと」

 みさとを見た。よりはるかに小さい。こんな子に心配をかけてはダメだ、と頭の隅でぼんやり思う。はニッと笑ってみせ、みさとを安心させようとした。

「大丈夫。あいつなら、これが単なる噂だって信じてくれてると思う。幼なじみだからね」

 みさとを安心させるつもりで言ったことだが、しかし自分でもそう言ったことで元気がついた気がする。ほんの少しだけ。
 そうだ、火浦ならこんな噂なんて信じないはず。はそう思って、空を見上げた。吸い込まれそうなほど澄んだ青い空。
 こんな状況で告白なんてムリかも、と思っていた。だけど、こんなことくらいでヘコんでいてはダメだ。しっかりしないと。
 はみさとに別れを告げて、テラスを出た。とにかく、自分だけは噂に振り回されないようにしなくては。



 火浦はグラウンドでサッカーをして遊んだ。そして教室に戻ろうという時、サッカーボールを持った友人が、藤堂とのことに触れた。サッカーということから連想したらしい。

「意外って言や意外だけど、でも納得できるよな」

 もっと別のことをやればよかったと火浦は後悔した。しかし、友人のその一言が気にかかる。納得できるとはどういうことなんだ。

「あの二人、クラスじゃ席が隣同士で仲がいいみたいだったもんな」

 友人の言葉が、火浦の体全体を打った。
 幼なじみで同じ闘球部でも、さすがに違うクラスにいるの様子は知らなかったのだ。今まで気がつかなかったが、は藤堂のことが好きだったのかもしれない。聖アローズとの試合後に、は同い年が好みなんだと言っていたのは、藤堂のことがあったからなのか。昨日、が遅かったのは、藤堂と会っていたからだろう。

「おい、火浦」

 気がつけば、立ち止まっていたらしい。前に進んでいた友人に呼ばれて我に帰る。廊下ですれ違った低学年の子たちが不思議そうに火浦を見ていた。
 気まずい思いをしながら、火浦は友人たちに追いつこうとした。その時、前の方から見慣れた姿の女子が来て、すれ違う。
 だ。
 先に声をかけたのは相手のほうだった。

「火浦くん」

 しかし、火浦は返事をする気になれなかった。に言いたいことは山ほどある。なぜ藤堂のことを隠していたのか、相談してくれなかったのはどうしてだとか、いつから好きだったのかとか。
 いや、本当に言いたいことはもっと別のものなのだ。それが何なのかよく分からなくて、もどかしくて、苦しい。
 は顔を赤くしていた。何か言いたそうだ。
 何を言われるのか、火浦は怖かった。怖い? なぜ怖いんだ?
 が口を開いて、何か言おうとした。それにフタをするように、火浦は言った。

「良かったな、藤堂と付き合えて」



 火浦がそんなことを言うとは予想をしていなかった。
 は泣きそうになるのをこらえながら、その場から逃げるようにして去った。
 教室に戻る。もうすぐ授業が始まるのでクラスメートが大勢いた。泣いてはいけない。そう思っていても、我慢の限界がきた。

「どうしたの、?」

 優しく聞かれると、余計にこらえきれなくなる。は友達の胸に飛び込んで、泣いた。
 おい、誰だよ泣かせたの。……などという声が遠くで聞こえる。しばらく、黙ってしくしく泣いていると、始まりのチャイムが鳴った。先生が来たので、友達はの席まで連れて行ってくれた。
 幸い、先生には気づかれなかった。少しうつむき加減で授業を受ける。涙は止まらなかった。
 信じてくれていると思っていた。あんなのは噂に過ぎないのだと。
 しかし何よりもつらいのは、火浦に藤堂と付き合えて良かったな、と言われたことだ。これはもう、振られてるのと同じこと。告白するなんてできない。
 だんだんとマイナス方向に思考が進んでいる時、ポンっと机の上に何かが飛んで来た。見ると、白い紙を何回も折って小さくしたものだ。
 開けてみると、紙は手紙になっていると分かった。

 大丈夫か? 何かあったんだったら聞くぞ?

 最後に「藤堂」と書いてあった。ちらっと横を見る。藤堂は黒板を見てエンピツを動かしていた。
 藤堂はマジメだ。普段、こうやって友達に手紙を送るなんてことはしない。授業中はしっかり授業を受ける、休み時間は遊ぶ、と区切りをきちんとつけるタイプだ。けれど今はを気づかって、彼は自分のスタンスを曲げてくれている。
 は涙をふき、この前買ったばかりのメモ帳を一枚破って返事を書いた。

 好きな人に、誤解された。今日告白するつもりだったのに

 その後が続かない。これでいいか、と思った。そして迷ったあげく、「好きな人」の部分にアンダーラインを入れて、それから矢印を下の空白部分にまで引っ張り、そこに「火浦くん」と書いた。藤堂になら、言ってもいいかと思った。昨日も、今日もこんなに心配してくれているから。
 簡単に折りたたんで、先生がよそを向いているスキを見つけ、藤堂の机に返事を置いた。しばらくしてから、また返事が来る。

 妹のせいで、すまなかった。このクラスと、両隣のクラスの奴らには説明した。だから火浦の誤解も解ける。あきらめるな。

 どうして藤堂はこんなにも優しく励ましてくれるのだろう。は手紙を握りしめ、横を向いた。黒板を見ている藤堂に、ありがとう、とつぶやく。小声で言ったが、近いので十分に聞こえたらしい。藤堂の耳が赤くなった。
 藤堂のおかげで、元気を取り戻せたと思う。頑張ろうと思ったり、泣いてへこんだり、また元気になったり。単純な奴だと自分でも呆れる。しかし、その単純さが今はありがたい。
 火浦はのことを何とも思ってないかもしれない。さっき言われたことは思い出したくもないが、しかしあのセリフはそういうことを示しているような気がする。でも、嫌われてるわけではないから。藤堂の言うとおり、本人の口からきちんとした断りの言葉を聞くまでは、あきらめてはいけないのだ。
 は藤堂に、今日の放課後、屋上に火浦を呼び出すつもりだと、手紙で教えておいた。なんとなく、そうしたかった。



 が泣きそうな顔をして去って行くのを見た時、火浦はさすがにマズいことをしたと思った。
 あの時は複雑な思いにとらわれて、ついあんなことを言ってしまったのだ。考えてみれば単なる噂なのに、そしてはその噂で傷ついていたかもしれないのに。

 俺って奴は……なんてバカなんだ。

 授業が終わり、これから部活に行こうと教室を出る。すると、噂になってる張本人である藤堂が廊下にいた。たくましい体を廊下の窓にあずけている。腕を組んで、鋭い目をこちらに向けていた。

「火浦か。話がある。ちょっといいか」

 そう言って歩き出した。火浦がついて行くことがもう決まっている、という様な態度。
 意外な奴に話し掛けられたものだ。火浦は相手の強引さにたじろきながらも、仕方なくついて行った。
 高学年が使っている広いテラスに出る。放課後なのでブラスバンド部が使うまでの時間は誰もいない。

「話って何だ?」

 手すりを背にして立った藤堂に聞く。彼はこちらをじっと見て、そして言った。

「火浦、今どこに行こうとしてた?」
「部活」

 すぐに答えると、藤堂は眉をひそめた。

に呼び出されてたんじゃないのか」
「あ……」

 そう言えばそうだった。朝、は屋上に来るように言っていたのだ。昼休みの一軒で忘れていた。しかし、なぜ藤堂が知ってるのだろう。

「なぜ俺がそのこと知ってるのか気になるか?」

 藤堂が意地悪く笑う。こちらの胸の中を見透かされているようだ。うなずくこともできず、火浦は相手を睨んでやった。

「そう睨むな。あの噂は全くのデタラメ。俺たちはただの友達だ」

 ふっと笑い、藤堂は火浦に近づいた。肩をポンと叩かれる。

「それを伝えたかっただけだ。さあ、の所に行ってやってくれ」

 ただの友達。そう聞いて火浦はほっとした。
 火浦はうなずいて、テラスから出た。何のためにが呼び出すのか、だいたい分かってきた。期待と緊張で、胸が高鳴る。
 屋上に続く階段を上り、ドアを開ける。
 が柵に手をかけてグラウンドを見ていた。



「待たせたな」

 火浦の声が聞こえたので、はゆっくりと振り向いた。今、自分は緊張しているだろうか。それが顔に出ているだろうか。いろいろ心配になった。

「こんな所に呼び出して、何の話だ?」

 本当は分かっていてそう聞いているんだ、とは感づいた。告白慣れしてるのに、鈍いわけがない。

「私……」

 その次の言葉がなかなか出てこない。胸がドキドキしてるし、火浦の顔をまともに見れない。きっと顔も真っ赤だ。
 でも、勇気を出して。
 は目をぎゅっと閉じて、思い切って言った。

「私、高志のことが好き」

 屋上はここちよい風が吹いていて、吸い込まれそうなほど青い空に一番近い場所のような気がした。



第八話 けれど空は青:終

 ああ、やっとこさの告白でした。これにて連載は終了……ていうのは嘘で、ビミョウにまだ続きます。
 最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
 次回は、あの人が出ます。湧き出てきます。乞うご期待!

      冬里

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