――さんが好きなの?
――いや。

 さっき聞いたやりとりが頭の中で何度もこだまする。
 はふらふらと覚束ない足取りでグラウンドを歩いていた。何も考えられず、頭の中が真っ白の状態。自分の体は軽くなってふわふわ宙を浮いているようだ。けれど胸の中は錘でも飲み込んだみたいにズッシリ重い。



第七話 青天の霹靂(後編)





 その日、サッカー部は遅くまで練習をしていた。試合が近いのだ。他の部はもう片付けをすませているのに、サッカー部は仕上げのシュート練習をしている。

「なんだ今のは! あんなヘボシュート、敵にパスするつもりか?」

 キャプテンである藤堂は檄をとばし、後輩たちを厳しく指導していた。そこへ、ふらふらと頼りない歩き方をした誰かが来た。なぜかキックしようとする部員の前に近づいている。
 何か用があるのか。そう思い、藤堂は相手の姿をよく見た。長い髪に、細い体。うつむいているので顔はよく分からない。しかしピンク色のカバンに見覚えがある。確かのものだ。クラスメートであり、隣の席なのでよく知っているのだ。
 活発で明るい普段の姿とは違い、今は魂が抜けたかのようにフラフラしている。なんだか危なっかしい。藤堂はに近づいた。

「おい、

 呼びかけても反応がないので、肩を叩いてやる。するとはゆっくりと藤堂の方を向いた。
 いつもはキラキラ輝いている瞳が、今はどんより曇っている。何かあったのだろうか。そう言えば今日はいつも一緒にいる火浦がいない。
 がまたフラフラ歩き出した。そのまま行くと、部員達のシュートコースに入ってしまう。危険だ。

「よし、今日の練習はここまで」

 多少、公私混同しているかもしれない。しかし、この場合は仕方ないだろう。後輩たちが後片付けを始めた。

「ここで待ってろよ」

 うつむいているにそう言うと、彼女はこくりとうなずいて返事した。藤堂は急いで部室に行く。
 後の施錠などを副キャプテンに任せ、自分はカバンを取って部室を出た。
 はおとなしく突っ立っている。近づくと、少しだけ顔をあげた。

「送って行くから、道を教えろよ」

 我ながら大胆な行動だと思う。しかし今はそんなことを言っていられない。の様子がおかしいのだ。このまま一人で帰ると交通事故に遭いそうで怖い。
 藤堂はと並んで学校を出た。を純粋に心配している自分と、一緒に肩を並べて帰れることを嬉しがっている自分が同時に存在する。自分の感情をもてあましつつ、藤堂は横のを見た。

「道、どっちだ」

 聞いたが、は何も答えない。ずっと地面を見たままでいる。本当に何があったのか心配だ。
 学校の前で立ち止まるわけにもいかず、藤堂はとりあえず自分の家に向かって歩いた。は黙ってついて来る。

の家はこっちで合ってるのか?」

 また聞いてみる。やはり答えはなかった。
 藤堂はため息をつく。こういう場合、どうすればいいのだろう。
 道に人影はない。それを見計らってから、藤堂は思い切っての両肩に手を乗せた。真正面から、の顔を覗き込むように見る。

「何があったんだ? 黙っていても分からないだろう?」

 普段よりも極めて優しく聞いたつもりだ。しかし、の目から涙が溢れ出した。聞き方がキツかったか。いつもサッカー部員に厳しくしているので、それが知らず知らず出てしまったのだろうか。
 藤堂は焦った。まさか泣かれるとは。これでは自分のイメージダウンじゃないか。

「悪かった。怒ってるわけじゃないのだが……」

 弁解しようとしたところで、は声をあげて泣き始めた。さらに焦る。辺りを見回し、相変わらず誰もいないので少し安心した。
 そういえば家の近くに公園があった、というのを思い出し、藤堂はをそこまでつれて行くことにした。

「少しは落ち着いたか?」

 ベンチに座らせてから藤堂はに聞いた。目元を手でぬぐっているが、泣き声をあげるのはやめていた。

 ハンカチ渡さないと。

 ようやく気づいて、藤堂はカバンからハンカチを取り出した。それをに渡す。

「ありがと」

 ようやく口を聞いてくれたので、藤堂はホッとした。

「何かあったのか?」

 ついでに聞いてみる。はハンカチで涙を拭いた。

「私、ふられたの」

 その一言が、藤堂に衝撃となって襲い掛かった。ふられた、ということはに好きな人がいた、ということか。

「なんだ、いつの間に告白してたんだ」

 平静さを装ったつもりだが、明らかに会話のかみ合わないことを言ってしまった。藤堂が自分を責めていると、

「違うの。告白したわけじゃないけど」

 か細い声で、はぽつりぽつりと語りだした。好きな人が告白されているのを聞いたこと。そこで相手に自分のことが好きなのかと聞かれた彼が、そうではないと答えたこと。
 藤堂は拳を握りしめてそれを聞いていた。一つ一つの言葉が胸に突き刺さる。自分が惚れている女子に、そんな相談をされるとは思ってもみなかった。

「だから私、それ聞いてからどうかしちゃってたみたい。ごめんね、迷惑かけて」

 そう言ってまた泣き出しそうになった。
 にそんなことを聞かされて、藤堂もやりきれない気持ちになる。しかし、今はが悲しむ姿を見たくはない。藤堂は何とかして気分を盛り上げようと思った。
 の話を聞いていると、どうもその男は自分からのことを嫌いと言ったわけではなさそうだ。相手が凄い剣幕で聞いてくるのでやむなく、といったところだろう。

「もしかすると、まだ失恋したとは言い切れないかもな」

 思わず声に出して言うと、はこちらを振り向いた。目の周りが赤くなっているが、瞳に輝きが戻っている。

「聞いていると、相手の女子はキツイ口調で聞いてたんだろう? それでやむなくのことは何とも思っていないと言ったのかもな」
「そうかしら?」

 と言いつつも、の表情はたちまち明るくなっていた。

「もしかすると、その女子がに意地悪いことをしでかしそうだから、それで違うと言ったのかも知れない。何にせよ……」

 そこでガサガサという物音がした。思わず後を振り向く。フェンスの向こうに誰かがいるみたいだ。電柱に隠れているらしいが、ひょっこりツインテールの髪が出ている。あの髪型、そして身長の度合いからすると妹のみさとではないか?

「何にせよ?」

 が続きを促してきた。藤堂はみさとに気づかないふりをして、続きを言う。

「何にせよ、告白して断られたわけじゃないのに、ふられたと言うのは早すぎるってことだ」

 そう言うと、が藤堂の手を取った。きれいな目でこちらを見てくる。

「そうね、そうよね! なんだか元気が出てきた」

 ありがとう、と言ってはベンチから立ち上がった。誰もいない滑り台を見て、

「私、思い切って告白してみるわ!」

 今日グラウンドで見たときとは正反対の明るい表情に、藤堂はドキリとした。やはり自分はのことが好きなんだと改めて思う。なのに恋のアドバイスまでしてしまうとは。なんてお人好しなんだ。
 藤堂は黙りこんだ。何も言うことがない。座ったまま、目の前にある滑り台を見る。

「どうしたの、黙り込んじゃって?」

 が不思議そうにこちらを見てきた。前かがみになったので、長い髪がするりと肩から流れる。

「いや、ちょっと考え事をしていたとこだ」
「へえ、何?」

 藤堂は、どう言ったものか戸惑った。まさかここでに告白してしまうわけにはいかない。本心からを助けようとアドバイスしたのに、告白してしまうとそれが下心でしたものだと勘違いされる。

「何でもない」

 藤堂も立ち上がった。そして振り返り、電柱に向かって呼ぶ。

「みさと、そろそろ出てきてもいいんだぞ?」

 すると、案の定みさとがひょっこり出てきた。きまり悪そうだが、それでもヘラヘラと笑っている。

「なんだ、お兄ちゃんたら気づいてたんだ」
「藤堂くんの妹さん?」

 の問いに、そうだと答える。すると、公園から出てみさとに近づこうとした。慌てて藤堂もその後を追う。

「かわいい! 私も妹ほしいなあ」

 にかわいいと言われて、みさとは照れていた。しかしを見上げて驚いた顔をする。

「もしかして、先輩?」

 そう叫び、顔を赤くした。

「みさと、に失礼だろう。ちゃんと挨拶しろ」
「うん。わたし、藤堂みさとです。はじめまして!」

 みさとは買い物帰りなのか、スーパーの袋をぎゅっと両手でにぎりしめた。オーバーなしぐさでおじぎしてみせる。は微笑んだ。

「こちらこそ、はじめまして。よろしくね」

 と、右手を差し伸べる。みさとは赤くなりながら、の手を握った。握手した手を離した後、その手を大事そうにさすりながら、

「ぜったい手は洗いません!」

 その様子がおかしかったのか、はクスクス笑った。なんだかこっちが恥ずかしくなり、藤堂はみさとに帰るよう目配せをする。しかし、みさとはそれに気づかない。

「みさとちゃんてば、大げさなんだから」
「そんなことないですよ! 闘球部のマネージャー、先輩は皆の憧れの的なんですから!」
「そうだったの? 知らなかった。なんだか照れちゃうな」

 妹と親しげに話すを見ていると、少し嬉しくなってきた。だが、も気分を落ち着かせたところなので、そろそろ帰るべきだろう。

、もう遅いからそろそろ帰らないか?」

 そう聞くと、はうなずいた。みさとが不満そうな声をあげる。

「もう帰っちゃうの?」
「みさと、お前も買い物帰りだろ。早く帰らないとな」

 みさとは、はーい、とつまらなさそうに返事をした。

はこの辺の道分からないだろう。近くまで送っていく」

 そう言うとはニッコリ笑い、ありがとうと礼を述べた。自分だけに笑顔が向けられることは、これが初めてじゃないだろうか。そう思うと藤堂の胸はまたドキドキと高鳴った。



 胸の重みがすっかり取れて、は軽々と家路を辿った。もうあたりが暗くなりかけている。帰るのが遅くなった。しかし藤堂に相談をし、藤堂にアドバイスをしてもらって本当に良かったと思っている。もし藤堂がフラフラ歩いている自分を助けてくれなければ、明日になっても、明後日になっても元気を取り戻せずにいただろう。
 は横を歩いている藤堂を見た。彼はそれに気づいて、「どうした?」と聞いてくる。

「今日は、本当にありがとうね」

 藤堂はユニフォームのままだ。着替えもせずに自分を助けてくれたのかと思うと、本当にすまなかったと思う。
 家が見えてきた。

「あの赤い屋根が私の家なの。ここでいいわ」
「そうか。じゃあ、また明日な」

 立ち止まった藤堂の、たくましい体つきを見た。次に、キャプテンに相応しい凛々しい顔つきを見て、はため息をついた。なんて良い人なんだろう。こんなに親切で、頼もしくて。

「どうかしたのか?」

 藤堂がけげんそうに聞いてきた。は、首を振った。

「また明日。帰り、気をつけてね!」
「ああ」

 藤堂は去って行った。その姿が見えなくなるまで、はその場で立っていた。

 藤堂くんを好きになっていたら、どんなに良かっただろう。

 ふと、そう思った。そうすれば、今日みたいに優しくされると舞い上がって、幸せになれるのに。
 藤堂を見送った後、は家に向かった。途中で火浦の家の前を通る。
 火浦家の庭をちらっと見たとき、火浦が立っているのに気づいた。

「高志?」

 思わず声をかける。ほとんど、条件反射みたいに。火浦はの方を向いた。

、なんで遅くなったんだ。おばさんが心配してたぞ?」
「ごめん、ちょっと寄り道してて……」

 さすがに、藤堂と一緒にいたとは言えなかった。火浦の顔をまともに見れず、うつむいて地面を見ていると、火浦の足音が聞こえた。顔をあげると、いつの間にか火浦が門に手をかけて立っていた。

「とにかく何事もなくて良かった」

 柔らかい笑顔を向けられる。は顔が火照るのを感じた。まともに火浦の顔を見ることができず、うつむく。

「んじゃ、また明日ね」

 逃げるようにして家に飛び込んだ。
 藤堂の前で、火浦に告白すると宣言したものの、いざとなると顔もまともに見られない。日を追うごとに火浦への想いは高ぶっていく。
 玄関のドアを閉めてから、はしばらく立ったままでいた。鼓動が早くなり、息も荒くなっている。

 明日にしよう。

 は思い立った。そう決めないと告白する予定がズルズル延びてしまいそうな気がする。そう、明日だ。
 は靴を脱いで家にあがった。

第七話 晴天の霹靂(後編):終

「藤堂くんを好きになっていれば良かった」と、様に言わせるつもりでした。でも、それだと藤堂キャプテンが可哀想なので。
 だんだんこの連載もラストに近づいてる気がします。さて、どうなることやら。(←ひとごと?)

      冬里

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