そろそろ来る頃かと思って玄関のそばで待機していたが、トイレに立っている間にインターホンが鳴ったので母に先越されてしまった。

ちゃん、いらっしゃい」

 こんにちは、と母に行儀よく挨拶するがとてもかわいい。抱きしめたいという欲求が起こったが、さすがに母の前でそうするわけにはいかない。
 叶はを出迎え、二階の自分の部屋に通した。今日はドッジに関する本を借りに来たのだ。



悪者





「お勉強中だったんだ……。邪魔してごめんね」

 机の上に開きっぱなしだった参考書やノートを見て、は謝った。

「私もこの後練習があるから、すぐに帰るね」
「俺が来いと言ったんだから、気を使わなくてもいい。ゆっくり選べ」

 ありがとう、と言っては無邪気に本棚へと一直線に向かった。今日は練習があるためかハーフパンツにパーカーという動きやすい格好だ。ピンクとブルーの配色が女の子らしい。
 叶はイスに座り、じっくり本を選んでいるを見ていた。
 背が伸びたな。体も女らしくなってきた。
 叶はの膨らみかけた胸に目をやり、そこから視線を下へ下へとずらしていった。太もものあたりまで見てから、自分がいやらしいことを考えているのに気づき、あわてて首を振る。

「東審判長の書いた本! これにするね」

 くるりと叶の方を向いて、手にした本を見せる。

、きれいになったな」

 考えたそばから言葉にすらっと出てきた。
 は、えっ、と驚いた声をあげて叶をまじまじと見る。

「学校でモテるんじゃないか?」
「そんなことないよ。お兄ちゃんこそ、球中のエースだしモテるんじゃないの?」

 本をカバンに入れながら、はそう言って笑った。の言うとおり、叶はモテないわけではない。しかし、以外の女の子を好きにはなれなかったので告白されても断り続けてきたのだ。
 だが今までにアプローチしてきたのに、これといった効果が未だにない。青木が前に言っていたのだが、押してばかりではだめなのかもしれない。押して、押して、引いて、押して……の駆け引きが必要みたいだ。それなら、ここはひとつ引いてみるか。どういう反応を示すだろう。

、もし俺に彼女ができたらどうする?」

 話の流れで、そんなことを聞いてみた。
 はうーん、と宙を見ながら考え、

「寂しいかな。もう一緒にドッジしたり遊んだりできなくなるから」

 と、そんなことを言う。
 愛しさがこみあげてきて、今にも抱きしめたい衝動に駆られるが、そこはぐっとこらえる。今は引いているときなのだ。
 それにしても今の言葉。これはちょっと……いや、かなり脈ありじゃないか? 叶はそう考え、ニヤつきそうな顔を引き締めるのに苦労した。

「そう言えば、」

 と、叶は別の話題を切り出す。

「こっちでも噂になってるぞ。近々、聖アローズと試合するんだってな」
「うん。一年生の弾平くんが一騒動起こしたらしくてね」
「どんな奴だ、その弾平っていうのは」
「そうねえ。短気で声がでかくて、小さい子。だけど、いい球を投げるの」

 は、面白いドラマの内容を話すかのように弾平のことを教えた。一生懸命にその弾平という一年生がどんなに期待できる者なのかを伝えようとする。それが可愛く思えて、叶はとっさにのピンク色をした唇をうばってみたくなった。今、この部屋に二人きりなのだから。
 しかし、それはさすがにできない。叶はの話にあいづちを打ちながら、その頭をなでた。



 叶宅を出て、は球小に向かった。日曜なので普通なら学校は休みだが、クラブ活動が盛んな球小は練習できるようにするため日曜も開いている。

「みんな、がんばってるわね!」

 入ったばかりの一年生が筋トレをしていたので、声をかけた。ちびっこ達は舌足らずにも聞こえる話し方で「さん、こんにちは」と挨拶をした。それがとても可愛らしい。

「やりやがったなー! 珍念!」

 他の一年生が筋トレしている中で、ボールを投げ合っている二人がいたので、そこに近づく。

「こら! 弾平、珍念! 今は筋トレの最中でしょ? 他の人の迷惑になるからやめなさい!」

 大声で叱ると、二人はぴたりと動きを止めて振り返った。

「ひええ、さん」

 弾平と珍念はあわてて筋トレをし始めた。ひええ、と言われるほど怖かったかな? などと思いつつは弾平のフサフサした赤い髪をなで、キャプテンのいる部室に向かった。

「遅くなってごめん」

 部室には四天王とキャプテンがそろっていた。四天王とは火浦、速水、土方、風見のことであり、キャプテンは三笠だ。

「三笠くん、頼まれてた本借りてきたわ。又貸しするとは言ってないから早めに返してくれるとありがたいんだけど。私も読みたいから」

 はカバンから本を取り出し、三笠に渡した。

「いつもすまない。明日には返せるようにする」
「うん。じゃ、私は例の練習の用意してくるね」

 は部室を飛び出し、体育倉庫に駆け足で向かった。
 例の練習とは、二人一組になり、片方がボールをトスするともう片方がそれをキャッチするという地味な練習のことだ。しかし思うほど楽な練習ではない。むしろきついものだ。何しろ、相方がどんな場所にトスしたものでも必ずキャッチしなくてはならないからだ。それを日が暮れるまで延々とやる。

「ケガ人続出するから困るのよね」

 などとひとりごちながら、体育倉庫の重い扉を開けてボール入れを引っ張り出した。この練習は二人一組でボールを使うため多くのボールを必要とする。キャスターつきではあるものの、溢れんばかりにボールの入った大きなケースを押すのは大変だ。
 が用意している間に、部員が集合して三笠の説明を聞いていた。ボールを何個かずつカゴに入れて何箇所かに配置したところで説明が終わり、部員が散り散りになって練習を始めた。
 部室に救急箱を取りに行って戻ると、火浦が弾平相手に練習をしているのが見えた。一度、二人はタイマンで勝負をしたことがある。それで引き分けて以来、火浦の弾平に対する態度は少し穏やかなものになった。それまで火浦は弾平に、生意気な一年だと言わんばかりの態度で接してきたのだ。
 今、こうして良い先輩として弾平と熱心に練習をしている火浦が微笑ましかった。そういえばさっきからずっと火浦ばかりを見ている。はあわてて他を見ようとした。その時、視界の隅で火浦が弾平の前に足を突き出し、弾平はそれにつまずいて転んだのが見えた。顔から地面に着地したので、かなり痛そうだ。
 弾平は当然のごとく怒る。それを聞きつけた三笠がやって来るが、彼は避け切れなかった弾平が悪いと言う。

「ちょっと待って! さっきのは誰だって避け切れないはずよ」
は黙ってろ」

 きっぱりと三笠にそう言われて、は黙った。キャプテンになってから貫禄が出たのか、堂々と言い切られるとそれ以上何も言えなくなる。
 弾平はとうとう、こんな練習なんかやってられるかと言って出て行ってしまった。その後を追おうとした珍念を三笠は止める。彼は練習を続けることになった。
 練習再開だ。
 転んでも転んでも、部員は立ち上がって練習を続ける。ちょっとしたすり傷程度ではの元には来ない。血が出るほどのものであれば、の手当てを受けに来る。

 けど、あれはやりすぎじゃない。

 さっきの火浦を思い出す。まだ弾平は一年生だ。何も分からない子にいきなりあれはきつい。叶たちだって、あんな風にはしなかったはず。

 どうしてあんな態度とってるんだろう。

 いつもは優しいのに、弾平に対してはああいう先輩風を吹かせた態度をとっている。少しはマシになったかと思ったが、そうでもないみたいだ。何だか知らないがムカムカした。手当てもそこそこに、は残っている仕事を片付けようと部室に入る。



「おつかれ」

 練習が終わったのでタオルを配り歩く。火浦に配る時、は何も言わずにタオルを突きつけた。

「なんだ? 不機嫌じゃねえか」

 そう言う火浦を無視して、速水らの元に行く。

「おつかれー!」

 速水らには笑顔で渡した。その様子を見て火浦は、なぜ自分がにそっけない態度をとられるのか分からず、首をかしげた。腹が立つという以前に「なぜ?」という疑問の方が大きい。

、帰るぞ」

 いつものように一緒に帰ろうとすると、はしかめっ面をし、

「まだ仕事残ってるから先に行って」
「おい、何をさっきから怒ってるんだ」

 たまりかねて聞くと、

「自分の胸に手を当てて思い出しなさいよ!」

 そう言って七重は真っ赤になった。

 俺が何をしたっていうんだ?

 いわれのないことで怒られて、理不尽な気分でいっぱいだ。火浦は黙ってカバンを取り、速水たちと部室を出た。

ちゃんに何をしたんだ?」

 速水が心配そうに聞いてきた。しかしそれも単なる装いに過ぎないと火浦は知っている。目が面白そうに笑っているからだ。

「知らねえよ」

 火浦は足元にあった小石をおもいきり蹴飛ばした。



、火浦が弾平にしたことで怒っているんだろう?」

 火浦たちが出て行ったすぐ後、一緒に残っていた三笠が日誌をつけながら聞いてきた。

「そうよ」
「お前はあいつの幼なじみなのに、何も分かってないな」
「どういうこと?」

 プロテクターを整備する手を休めて、は三笠を見た。三笠は相変わらず日誌に目を向けたままだ。

「奴が優しいってことくらい、知ってるはずだろう?」
「知ってるわよ。だから、どうして弾平くんにああいう態度を取るのか分からないの」

 胸のうちにあったモヤモヤを全部吐き出すかのようにしては言った。三笠はため息をつき、顔を上げる。目が合った。

「いいか、。火浦が弾平に厳しく接しなければどうなると思う? 弾平は実力がある。このまま練習を続けていけば俺たち以上のプレイヤーになるだろう」
「そうね。弾平くんはいい球を投げるもの」
「だがな、。実力があっても、練習を怠れば誰でも下手になる。弾平にはそれが分かっていない。練習をする意味を教えてやらなければならないんだ」
「でも、それと火浦くんの弾平くんに対する態度とはどう関係あるのよ?」

 は立ち上がった。三笠の近くまで行き、机の上に両手をつく。

「火浦は悪役になってくれてるんだ。弾平を挑発し、奴が生来持っている負けん気の強さを引き出し、積極的に練習させるためにな」
「でも、今日は弾平くん、練習をほうって出て行ったじゃない?」

 そう言うと、三笠は再び日誌にとりかかった。

「ああ。だから別の手を考えた。珍念を使う。まじめに練習をした珍念と、さぼっている弾平とを勝負させたら、弾平も目が覚めるだろう」

 は、目の前にいる三笠が何だか恐ろしくなった。とても同い年には思えない。キャプテンとしての貫禄がついただけではなく、部員一人一人の性格を把握して動かそうとする。とても敵わない、と思った。
 は再び、プロテクターの整備にとりかかった。三笠にはしてやられた、という気もする。しかし火浦は弾平に、単なるいじ悪をしていたのではないのだ、と何となく分かった。

 どうして、分からなかったのだろう。

 もっと火浦を信頼するべきだった、とは後悔した。整備する手が止まる。試合はまだ先なので、別に今日やらなくてもいい仕事だ。

「悪いけど、先に帰るね」

 カバンを持ち、立ち上がった。三笠は笑顔になり、

「今なら余裕で追いつくぞ」

 と言った。三笠の笑顔を見るのは久しぶりだ。それに、自分がやろうとしてることも見透かされている。完敗だ、とは苦笑した。



 学校を出て最初の角で速水たちと別れてから、火浦は一人で暗くなりかけた道を歩いていた。
 そう言えば、一人で帰るのは久しぶりだ。いつもは左横にがいるのに。そう、いつも左横だ。火浦が右で、が左ではないと落ち着かない。それはもそうだった。が左手から火浦に近づいても、わざわざ右手にまわるから。

 しかし、何を怒ってたんだろうな。

 ため息をつく。思い当たることと言えば、弾平への仕打ちだ。しかしああしなければ弾平が調子に乗ることくらい、分かるはずだ。火浦はそう思いながら、それ以外の理由を考えあぐねた。

「高志!」

 後から声がする。振り返るまでもなく、だと分かったので立ち止まる。走る足音が聞こえて、すぐに火浦の左横に来た。

「ごめん、一緒に帰ろう」

 少し息を弾ませながら、は火浦を見てきた。

「ああ。もう怒ってないのか?」
「うん。ごめんね、誤解してた」
「そうか」

 それ以上聞くこともなく、火浦は再び歩き出した。やはり、帰りは二人で歩くのがしっくりくる。何事もなかったかのように、火浦は今日の練習や聖アローズについてに話した。
 の方もそれを聞きながら、火浦が自分の怒っていた理由を聞いてこないので安心していた。そういうところがどこか大人っぽい、ということに気づく。考えてみれば自分から進んで悪役になろうとするなんて、なかなかできないことだ。

「どうした、?」

 火浦は不思議そうにを見てきた。知らないうちに火浦を見つめていたらしい。顔を赤くしながら、は前を向いて「なんでもない」と首を振った。

 なんだろう、このドキドキ。

 はそっと自分の胸に手を置いた。ドクン、ドクンと心臓が早鳴っている。
 生まれて初めて抱いたこの感情をもてあましつつ、は火浦の話にあいづちを打っていた。

 

第三話 悪者:終

 はうー、妙に長かったような。書くのにてこずりました、今回。その割にはうまく書けてないし。アーガガガ(←エラー音?)
 とりあえず、次回は大河さんを出します。大河をライバルキャラに設定するのが楽しくて楽しくて。
      冬里

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