熱狂に包まれたスタジアム、沸き上がる観衆。
 全国大会決勝戦、七対一で球川小のリードだ。

 あと一人。

 火浦高志は拳を握りしめながら、控えのベンチで七闘士の戦いを見ていた。あと一人で完全試合だ。七闘士は全国大会の試合全て、七対零の完全試合を通してきた。
 全国大会だけではない。
 七闘士が球小のレギュラーになって以来、全ての試合で完全試合を通してきたのだ。

 相手チームはムダなパス回しをしている。そこへ球小がパスカットに成功した。ボールが主将の手に渡る。
 ヒュンッ。
 ボールが宙を切る。その音は遠くにいても聞こえるほどだ。カミソリのように相手の体に切り込む。
 ヒットだ。
 場内が一瞬、静まり返る。
 その後、津波のような歓声が湧き上がった。火浦も立ち上がり、横にいる速水たちやと手を取り合って喜んだ。

 チームを勝利に導いた男、七闘士のリーダーであり球小の主将であるその男、叶信吾はコートから控えのベンチにまで歩いてきた。部員一同、叶を迎える。
 叶も部員と共に喜びを分かち合う……と思いきや、彼は真っ先にマネージャーであるの元に来た。

「さっきのショット、見てくれたか?」

 人目はばからずを抱きしめる。それを見て火浦は複雑な思いに捉われた。



第一話 その男、甘々につき





「く、苦しいですよ、叶さん!」

 が言うと、やっとのことで叶はを放した。

「これで完全試合達成だ! それもという勝利の女神がいたおかげだな!」

 試合の時とは打って変わってとろけたような甘い表情を見せる叶に、他の選手を始め、控えの選手も「またか」と呆れた。

「叶さん、表彰式が始まるので行ってください」

 が突き刺すように言い放つと、しぶしぶ表彰台に向かった。

「たいへんだなあ、

 三笠が来て、同情する。

「一試合が終わる度にあれだもん。後輩への示しがつかないって」

 はため息をついて、片付けを始めた。



 表彰式が終わり、全国大会は幕を下ろした。球小の七闘士という存在はその瞬間から伝説となって代々語り継がれることだろう。その伝説に立ち会っているという感動を、火浦は噛みしめていた。風見、土方、速見、そして三笠も同じ思いをしているだろう。
 表彰台から下りてから、叶は部員を呼び集めた。

「この試合で俺たちは引退だ。三笠、火浦、風見、速見、土方! お前たち五人は俺たち七闘士が育て上げたのだ。俺たちに負けないよう精進しろ! 練習を怠ることは許さん!」

 叶の檄に三笠ら五人は「はいっ」と大声で返事した。
 こうして後輩を指導する時の叶は、試合している時と同じくらいにかっこいいと火浦は思う。無敗を誇る強さと、後輩をきびきびと指導するリーダーシップに尊敬している。彼のようになりたい、と火浦は入部当初から思っていたし、今後もそう思い続けることだろう。
 ただ……。

! 俺、帰りのバスはの隣にする!」

 スタジアムから出てバスに乗り込もうという時、叶が甘えた。あまりそんな言葉を使いたくはないが、「甘えた」としか言えないくらいの態度をとっているので仕方がない。そういう時の叶はとても嫌だと火浦は思う。せめて後輩の前ではそんな態度をとってほしくない。叶にモザイクをかけることができれば、と何度思ったことか。

「はいはい。分かりましたから、あまり大声出さないで下さいね」

 は慣れたもので、そういう時の叶の扱いがうまい。後輩であるが先輩の叶をなだめるとはおかしな光景だ。
 火浦は改めて、を見た。いつも隣にいるので、離れた所から見たことはあまりなかった。

 少し、背が伸びたか?

 ユニフォームのショート・パンツから伸びるすらりとした足がきれいだ。小さい頃は肩くらいまでにとどめていた髪も、今は背中の辺りまで長く伸ばしている。それをポニーテールにまとめて、サラサラと揺らしていた。
 後ろ姿しか見えないのが残念だと思う自分がいて、それについて火浦は驚く。
 ふと、マネージャーなのにもかかわらずが荷物を全く持っていないのに気づいた。なぜだろう、と思ったのは一瞬のことで、隣にいる叶がの分のバッグまで持っているのを認めて納得する。そしてなぜか、打ち負かされたような気分になった。

「さすが叶さん。普段アプローチしてる分、そこらへんのことに抜かりはないよな」

 隣にいた速水がぼそっとつぶやいた。同じものを見ていたのだろう。

「アプローチ?」

 言葉の意味が分からずに聞き返すと、

「あの態度だよ。を狙ってるってこと、誰だって分かるだろ?」
「ああ」

 そう返事したものの、あれが狙っているというのだと初めて知った。では、何のために狙うのだろう?

「それとも、すでに付き合ってたりするのか?」
「付き合う?」

 速水の言葉がまた理解できず、聞き返した。さっきからこの男はわけのわからない言葉を用いている。思わず速水の顔を見た。メガネの奥に光っている知的な瞳が火浦を捉える。

「お前、家が隣どおしだろ? あの二人が練習のない日にどこかへ出かけて行くのを見たことがないか?」
「ない」

 即答だ。それは確信をもって言える。練習のない日は……そんな日はめったにないことだが……は家でクッキーなどを焼いてうちに届けに来るからだ。
 それを聞いて速水は、よかった、などと言って安心する。何を安心しているのか分からないが、どことなくひっかかるものがある。



 帰りのバスは予告通り、叶はの隣に座った。その後ろに火浦と速水が座る。本当は、叶から離れた所に座りたかった。が、後ろの方の席は先輩たちが占めており、土方と風見は「タイヤの上だと酔う」などと言って叶の後ろに座りたがらなかったので、仕方なくその席に座ったのだ。

、俺は疲れたからとりあえず寝る」

 また例の甘ったれた声で言う。火浦はそういう叶の存在を無視するように、窓の外を見た。バスは高速道路を走っていて、同じような山の風景が延々と続いていた。

「はい、そうおっしゃると思って用意しましたよ。エアピローと毛布!」
「さすが! よし、ちょっと座席を倒そう」

 下げるぞ、と速水に声をかけてリクライニングを下げた。しかし、下げすぎだ。速水の胸のところに席があたるくらいまで下げている。

「叶さん、下げすぎですよ。速水くんの席が狭くなります。……ごめんね、速水くん」

 が後ろを向いて、謝る。なぜが謝る必要などあるのだろう。少し腹が立つ。

が謝ることじゃないよ」

 速水がきっぱり言う。そうだそうだ、と心の中で火浦は速水にエールを送った。速水は叶をキッと見る。

「叶さん、いい加減にして下さい!」

 普段はめったに先輩などに対してそんな口を聞いたことのない速水が、顔を真っ赤にして叫んだ。
 叶は首周りにエアピローをつけ、毛布を被ったまま「あ?」と間の抜けた声を出す。構わずに続けて何かを言うつもりだろう、速水は息を吸った。そして……。

「ロリコンはやめて下さい!」

 バス全体にその声が響く。
 叶はがばっと起き上がった。
 ロリコン? その言葉の意味が分からずに火浦は首をかしげる。見ると言われた本人である叶は顔を真っ赤にして立ち上がり、速水を睨んでいた。きっと、悪口なのに違いない。

「なんだと速水? 今、ロリコンって言ったな?」
「言いました!」
「しかし速水、俺ととは五才も離れてはいないんだぞ? ロリコンではない!」

 ロリコンとは、叶がにべったりとしていることを指していたのかとそこで気がついた。なぜこのタイミングで、そのことを言ったんだろう、と火浦は不思議そうに速水を見た。速水は一度先輩に対して叫んだ分、度胸がついたのだろう。とことん叶と言い合うスタイルになっていた。普段の冷静な速水からは想像もつかない。

「ロリコンは年の差で決まるものじゃないんです。相手の女の子がどれだけ幼いかで決まるんですよ!」
「何! では貴様はが幼児だとでも言うのか?」

 二人はその調子でずっと言い合っていた。最初は何だ何だと野次馬的に見物していた先輩たちも、飽きて元の席に戻っていた。
 止めるべきなのだろうか、と思いながらも、どう止めていいのか分からないので結局は放置しておくことにする。窓の外をぼんやり眺めていると、前の席からスースーと言った寝息が聞こえた。が寝ているのだろう。その横で行われている喧嘩など無視だ。

 お前のことで二人は言い合ってるってのに、いい気なもんだ。

 火浦はため息をつく。しかしのそういう無関心さが今はありがたい気がした。

「しかし速水、どうして俺とのことでそんなに言ってくる? ははーん、さてはに惚れてるな?」
「な、な、何を言い出すんですか?」

 見ると、速水の顔はありえないくらい真っ赤になっていた。

「図星だな。大丈夫だ、はばっちり聞いてたから。なあ、

 と、叶はの方を見る。

、さっきから寝てましたよ」

 火浦がそう言うと、叶はとろけそうな甘い顔をして、普段は絶対に後輩に聞かせないような優しい声で「そうか」と言って毛布をに被せた。

「速水、俺に対してそんなことを言ってくるとはいい度胸だ。後で憶えておけ」

 ギラリと獲物を狙う野生動物のような目で叶は速水を見た。さっきまでは派手に言い合っていた速水も、さすがに身をこわばらせる。
 しかし、すぐに叶はまた表情を和らげた。

「でも、お前がからんできたおかげで、の寝顔が見れたんだ。お前がからんで来ず、すぐに寝ていたら見れなかったものな。これに免じて許してやろう」

 寝るのはやめたらしい。うっとりとした目での寝顔を見ている。

「あの、リクライニング元に戻してください」

 速水の声を横に聞きながら、火浦も目を閉じた。なんだか気疲れがする。
 そうだ、それも叶のせいだ。叶がにつきまとっている様が見ていられないのだ。しかしどうしてにつきまとうのだろう。速水は、叶がを狙っていると言った。叶も、速水はに惚れていると言った。二人がどういうつもりなのか、それは分からない。と火浦は幼なじみである。家も隣同士だ。ずっと一緒で、いつも横にいるのが自然だった。だから叶みたいにわざわざの隣に座ろうと躍起になる気持ちが分からない。
 叶も、速水も、のどこがいいのだろうか。

 そんなことをつらつらと考えながら、火浦は徐々に眠りに引き込まれていった。
 夢に、幼い頃の自分とが出てきた、そんな気がする。

第一話 その男、甘々につき:終

 ネーミングセンスねえ!(タイトルの)
 とりあえず火浦さん連載第一話です。ええ、これは叶さん夢でも速水夢でもなく、火浦さん夢なのです!
 というわけで、次回こそは火浦さん夢らしいものを書いてみたいです。

      冬里

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