「よし、やっとできた」 夕食後のキッチンで一人、はつぶやいた。目の前にある大量のクッキーを見て、満足そうな笑みを浮かべる。
アトリエで晩翠が新作のデッサンにかかっている時、がクッキーの皿を片手に入って来た。
「まだ起きてたのかい?」 ちょうど休憩しようと思っていたので、受け取った。そばにあるテーブルにはコーヒーがあったので、甘いものが欲しいところだった。一つ取って、口に入れてみる。
「どう?」 素直な、感想だった。この年頃の女の子は焦がしたり、固くしすぎたりして何かしら失敗するものだ。形も色も良いが、中はまだ出来ていないというのもある。しかし、このクッキーは歯ごたえがよく、きちんとバターの味がした。 「よかったー。明日、クラブの皆にあげるの」
そう言ってアトリエを出て行くを、晩翠は「あの子もいつかお嫁に行くのだなあ」などと感慨にふけりながら見守った。
幼なじみ前編
一人分ずつラッピングしたのが、一軍から五軍の人数分ある。それを大きな紙袋に入れて、ボックスに置いてきた。 「ここ、B・Aのコートよね?」 ハスキーな女の子の声がしたので、振り返る。そこには、ショートカットの凛々しい顔立ちをした子が立っていた。タートルネックのノースリーブを着て、下はジーンズ。活発そうな感じがする。手に青いトート・バッグを持っていた。
「そうですよ。……あなたは?」 猫のような目を細めて、ユイは聞いた。
「ええ。といいます」 ライナーをから取り上げ、さっさと引いてしまった。みごとに、まっすぐな線だ。
「すごい」 嵐……そう呼ぶユイを見て、は眉をひそめた。嵐くんとどういう関係だろう、と思う。 「今、ランニングに行ってるけど、すぐに戻るわ」
それまでに、ボールの用意をしておこう、とは倉庫に向かった。
ボールを持って来た時、ちょうど皆が戻って来た。
「皆、久しぶりね」 メンバーが口をそろえて、懐かしそうに名前を呼んだ。ユイは嵐と高山の方に近づいた。
「やっほー。久しぶり」
嵐が、驚いてユイを見る。目を丸くしたが、その後、少し笑みを浮かべた。
休憩時間、スポーツドリンクを持ってきた時には、ユイが皆に何かを配っている所だった。 「よかったら、どうぞ」 差し出されて、はありがとう、と礼を言って受け取った。 ユイさんも、クッキー持って来たんだ……。 かぶっちゃったなあ、と思いながら一つ口に入れてみる。アーモンド入りで、香ばしい味が口全体に広がる。おいしい。お世辞じゃなく、これは店に出しても売れると思った。とてもじゃないが、のクッキーでは太刀打ちできない。 「今日は、にしてはラインがまっすぐじゃねえか」 嵐が言ってきたので、胸にズキンとした痛みがさす。
「それはね……」
ユイが口を挟んできた。嵐、高山が、ほお……と感心する。
ペットボトルを回収しに五軍の方に行く。別にもっと後でもいいのだが、手持ちぶたさに自然と、そこに足が向いていた。
「どうしたの?」
一人が答えた。五軍は低学年で構成されている。なんとなく舌足らずに聞こえる敬語を微笑ましく思いながらも、輪の中心で座って、ケガをした足を見ている近藤に近づいた。痛いのか、涙ぐんでいる。 「待ってて。救急箱取ってくる。ベンチまで歩ける?」 うん、と近藤はうなずいた。立ち上がり、顔をしかめながら歩く。その間に、ボックスまで走った。 戻ってくると、近藤はちょこん、とベンチに座って待っていた。 「膝、見せて?」 消毒スプレーをかけ、ガーゼと脱脂綿を取り出して傷部分にあてて、包帯でまく。
「どこで転んだの?」 そう言われて手を止め、はっと、その顔を見上げた。幼い顔がきょとん、とした様子でこちらを見るので、はたまらなくなって涙をにじませた。 「そうだね。なんでだろ」
包帯をとめて、はさみで切る。ありがとうございました、と礼をして近藤は戻って行った。
練習が終わり、後片付けをしてボックスに戻った。机に置いてある紙袋を見て、はため息をつく。
「結局、渡せなかったなあ」 宇佐美が聞いてきた。が紙袋の中身を見せると、 「俺、食べるぜ?」 微笑んで、クッキーの袋を一つつかんだ。
「何? さんのクッキー?」 その場にいた人たちが寄ってたかって、クッキーの袋をつかんでいくので、瞬く間に数が減っていった。 「さん、僕たちの分も作ってくれたの?」 五軍の子に聞かれて、ええ、そうよと返事した。それを聞いて嬉しそうに飛び跳ねる。 「嵐さんは、まだか?」 ほとんどの者が着替え終わった頃、ふと服部が他のメンバーに聞いた。 「私、見てくるね」 と、がボックスのドアを開けると、嵐が立っていた。
「よかった。遅いから呼んで来ようと思ってたの」 見ると、嵐の後ろにユイが立っていた。 時間を忘れるほど、ゆっくりと何を話してたんだろう。
は、嵐から目をそらした。 「で、どうしてさんまで同じ道なわけ?」 いつも通り、皆と別れてからユイ、嵐、の三人で歩いた。 ユイさんこそ、どうして一緒なの?
とは思ったが、口には出さなかった。 「お前に言っても害が無さそうだから言うが、は家の居候だ」 秘密だって言ったのにユイさんには話すんだなあと、は内心面白くなかった。居候、という言葉の響きも嫌だ。居候には違いないのだけれど。 「へえ。嵐も大変ね」 ユイがため息混じりに言う。そういえばどうしてそう自分に突っかかってくるのだろう、それに、嵐くんとはどういう関係なのだろう、とは思わずユイの方を見た。
結局、ユイは家までついて来た。
「やあ、来たね、ユイちゃん」 健康的な笑みを見せて、挨拶をする。どうやら、あらかじめ晩翠に来ることを言っていたようだ。ユイは、嵐の父とも知り合いだったのだ。
晩翠の方も夕食をご馳走するつもりでいたのだろう。すぐに、食事となった。
「きゃあ、もう、この鳥って相変わらず乱暴なんだから!」 ユイの後ろにいたが叱ると、九ノ助は攻撃を止めてその肩に止まった。
「まったく、どうして他の人には懐かないの?」 部屋の中で、嵐がつぶやいた。 夕食の時、ユイは嵐の向かいがわに座った。そして、ユイ、嵐、晩翠の三人で思い出話をし始めた。嵐がB・Aに入ったばかりのことや、それにまつわるエピソード。ふと、の知らない話ばかりなのに気づいた晩翠が、ユイと嵐は幼なじみなんだとに教えた。話の内容から、も薄々それに気づいていた。
「でも、おじさまと嵐、前より仲良いですね」 ユイの言葉に微笑む晩翠。
「うん、見えますよ。嵐も、前みたいにおじさまの愚痴なんか言わなくなったし」 小さい頃、晩翠と嵐が仲悪かったことも、どうしてそうだったのかも、は知らない。 「ごちそうさまでした」
もういいのかい、と聞く晩翠の声を背に、はダイニングを出た。
なんだろう、この気持ち。 「入っていい?」 ユイの声が聞こえた。その後、返事もしてないのにドアを開けて入って来た。
「ちょっと、相談したいことがあるの」 ユイは、勧めてもいないのに空いているイスに座った。
「あなたに、協力してほしいことがあるの」 手を合わせて、ユイは頼んだ。 好きって、どういうことだろう。アタックって? は大河のことを思い出す。大河が自分に対して抱いている感情を、ユイは嵐に対して抱いているのだろうか。
「私、そういうのよく分からないし……」
あまりの必死さに、仕方なくうなずいた。
風呂上りにリビングでテレビを見ていると、嵐が来た。
「おい」 珍しく、心配してくれているらしい。
「別に、いつもと変わらないけど?」 が聞くと、嵐は顔を赤くした。うるさい、と言っての横に座る。
「渡すもの、あるんじゃないか?」 が力なく答えると、嵐はムッとした表情をした。 「クッキーだ。五軍のやつらにまで渡したそうじゃないか。それで俺にくれないのはおかしい」
思わず、は嵐を見る。
「何がおかしい?」
初めて見た嵐の表情に、今日感じた、もやもやした気持ちも徐々に晴れていった。
『幼なじみ(前)』:終
オリキャラ多! 場面の変化も多! 嵐の父の名前を二階堂ぢゅり様に教えていただきました。ありがとうございます! 次回は後編です。 冬里
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