「よし、やっとできた」

 夕食後のキッチンで一人、はつぶやいた。目の前にある大量のクッキーを見て、満足そうな笑みを浮かべる。



「おじさん」

 アトリエで晩翠が新作のデッサンにかかっている時、がクッキーの皿を片手に入って来た。

「まだ起きてたのかい?」
「うん。これ、食べてみて?」

 ちょうど休憩しようと思っていたので、受け取った。そばにあるテーブルにはコーヒーがあったので、甘いものが欲しいところだった。一つ取って、口に入れてみる。

「どう?」
「うん、おいしい。よくできてるね」

 素直な、感想だった。この年頃の女の子は焦がしたり、固くしすぎたりして何かしら失敗するものだ。形も色も良いが、中はまだ出来ていないというのもある。しかし、このクッキーは歯ごたえがよく、きちんとバターの味がした。

「よかったー。明日、クラブの皆にあげるの」

 そう言ってアトリエを出て行くを、晩翠は「あの子もいつかお嫁に行くのだなあ」などと感慨にふけりながら見守った。



幼なじみ

前編



 一人分ずつラッピングしたのが、一軍から五軍の人数分ある。それを大きな紙袋に入れて、ボックスに置いてきた。
 やっぱり、渡すとしたら練習後よね。
 にんまりと笑いながら、はコートを引いていた。

「ここ、B・Aのコートよね?」

 ハスキーな女の子の声がしたので、振り返る。そこには、ショートカットの凛々しい顔立ちをした子が立っていた。タートルネックのノースリーブを着て、下はジーンズ。活発そうな感じがする。手に青いトート・バッグを持っていた。

「そうですよ。……あなたは?」
「私、夏目ユイ。あなた、新しいマネージャーさん?」

 猫のような目を細めて、ユイは聞いた。

「ええ。といいます」
「なるほどね。コート、いがんでるし。後は私がやるわ」

 ライナーをから取り上げ、さっさと引いてしまった。みごとに、まっすぐな線だ。

「すごい」
「このくらい、当然よ。私、今の学校で闘球部のマネージャーやってるから。ところで、嵐たちは?」

 嵐……そう呼ぶユイを見て、は眉をひそめた。嵐くんとどういう関係だろう、と思う。

「今、ランニングに行ってるけど、すぐに戻るわ」

 それまでに、ボールの用意をしておこう、とは倉庫に向かった。



 ボールを持って来た時、ちょうど皆が戻って来た。
 ユイが一軍のメンバーに近づく。

「皆、久しぶりね」
「ユイさん」

 メンバーが口をそろえて、懐かしそうに名前を呼んだ。ユイは嵐と高山の方に近づいた。

「やっほー。久しぶり」
「ユイじゃないか」

 嵐が、驚いてユイを見る。目を丸くしたが、その後、少し笑みを浮かべた。
 嵐くんのああいう顔、初めて見た。
 は、複雑な思いにとらわれた。皆、ユイのことを知っているらしく、知らないのはだけだ、というのも仲間はずれにされているみたいだった。



 休憩時間、スポーツドリンクを持ってきた時には、ユイが皆に何かを配っている所だった。
 ドリンクを配り終えると、ユイがバッグからクッキーの入った袋を取り出し、渡してきた。

「よかったら、どうぞ」

 差し出されて、はありがとう、と礼を言って受け取った。

 ユイさんも、クッキー持って来たんだ……。

 かぶっちゃったなあ、と思いながら一つ口に入れてみる。アーモンド入りで、香ばしい味が口全体に広がる。おいしい。お世辞じゃなく、これは店に出しても売れると思った。とてもじゃないが、のクッキーでは太刀打ちできない。

「今日は、にしてはラインがまっすぐじゃねえか」

 嵐が言ってきたので、胸にズキンとした痛みがさす。

「それはね……」
「私がやったのよ」

 ユイが口を挟んできた。嵐、高山が、ほお……と感心する。
 ユイが何か話しかけたのがきっかけで、嵐や宇佐美など一軍のメンバーがその話に盛り上がった。は、何の話か聞いていない。この場から離れたかった。どうも、ユイは苦手みたいだ。

 ペットボトルを回収しに五軍の方に行く。別にもっと後でもいいのだが、手持ちぶたさに自然と、そこに足が向いていた。
 ふと、五軍の中で小さなグループができているのを見た。どうも、ただならない様子である。気になって、は声をかけた。

「どうしたの?」
さん、近藤が転んでケガしちゃったんです」

 一人が答えた。五軍は低学年で構成されている。なんとなく舌足らずに聞こえる敬語を微笑ましく思いながらも、輪の中心で座って、ケガをした足を見ている近藤に近づいた。痛いのか、涙ぐんでいる。
 膝頭の皮が、えぐったようにめくれている。血はそんなに出ていないが、皮の下に見えている肉の部分が痛々しい。

「待ってて。救急箱取ってくる。ベンチまで歩ける?」

 うん、と近藤はうなずいた。立ち上がり、顔をしかめながら歩く。その間に、ボックスまで走った。

 戻ってくると、近藤はちょこん、とベンチに座って待っていた。

「膝、見せて?」

 消毒スプレーをかけ、ガーゼと脱脂綿を取り出して傷部分にあてて、包帯でまく。

「どこで転んだの?」
「休憩の時、ボールにつまずいた」
「私と同じぐらいドジね。でも、泣いたらだめよ」
さんも、泣きそうだよ?」

 そう言われて手を止め、はっと、その顔を見上げた。幼い顔がきょとん、とした様子でこちらを見るので、はたまらなくなって涙をにじませた。

「そうだね。なんでだろ」

 包帯をとめて、はさみで切る。ありがとうございました、と礼をして近藤は戻って行った。



 練習が終わり、後片付けをしてボックスに戻った。机に置いてある紙袋を見て、はため息をつく。

「結局、渡せなかったなあ」
「何を?」

 宇佐美が聞いてきた。が紙袋の中身を見せると、

「俺、食べるぜ?」

 微笑んで、クッキーの袋を一つつかんだ。

「何? さんのクッキー?」
「俺、食べる」
「僕も」

 その場にいた人たちが寄ってたかって、クッキーの袋をつかんでいくので、瞬く間に数が減っていった。

さん、僕たちの分も作ってくれたの?」

 五軍の子に聞かれて、ええ、そうよと返事した。それを聞いて嬉しそうに飛び跳ねる。

「嵐さんは、まだか?」

 ほとんどの者が着替え終わった頃、ふと服部が他のメンバーに聞いた。

「私、見てくるね」

 と、がボックスのドアを開けると、嵐が立っていた。

「よかった。遅いから呼んで来ようと思ってたの」
「すまない。ユイと話してたら時間を忘れてしまって……」

 見ると、嵐の後ろにユイが立っていた。

 時間を忘れるほど、ゆっくりと何を話してたんだろう。

 は、嵐から目をそらした。
 今、自分はきっと情けない顔をしているだろうと、思ったのだ。こんな顔を見られたら何を言われるか分からない。それにしても、今日はおかしい。どうしたんだろう、急に悲しくなったりして。はとぼとぼと机に向かい、クッキーを入れていた紙袋を畳んだ。



「で、どうしてさんまで同じ道なわけ?」

 いつも通り、皆と別れてからユイ、嵐、の三人で歩いた。

 ユイさんこそ、どうして一緒なの?

 とは思ったが、口には出さなかった。
 ユイとに挟まれた位置を歩いていて、嵐はため息をついた。ユイはさっきからを見ていて、は黙って街灯の照らしていない道の隅を目で追っている。少し、嫌な空気だ。

「お前に言っても害が無さそうだから言うが、は家の居候だ」

 秘密だって言ったのにユイさんには話すんだなあと、は内心面白くなかった。居候、という言葉の響きも嫌だ。居候には違いないのだけれど。

「へえ。嵐も大変ね」

 ユイがため息混じりに言う。そういえばどうしてそう自分に突っかかってくるのだろう、それに、嵐くんとはどういう関係なのだろう、とは思わずユイの方を見た。

 結局、ユイは家までついて来た。
 ドアを開けると、晩翠が迎えた。嵐、ユイ、の順で中に入る。

「やあ、来たね、ユイちゃん」
「おじさま、お邪魔します」

 健康的な笑みを見せて、挨拶をする。どうやら、あらかじめ晩翠に来ることを言っていたようだ。ユイは、嵐の父とも知り合いだったのだ。

 晩翠の方も夕食をご馳走するつもりでいたのだろう。すぐに、食事となった。
 ダイニングの鳥カゴの上に乗っていた九ノ助が嵐に「オカエリ」と言って近づき、迎える。しかし、ちょうど部屋に入って来ようとしたユイを見て侵入者と思ったのか、攻撃を仕掛けた。

「きゃあ、もう、この鳥って相変わらず乱暴なんだから!」
「九ノ助、やめなさい!」

 ユイの後ろにいたが叱ると、九ノ助は攻撃を止めてその肩に止まった。

「まったく、どうして他の人には懐かないの?」
「懐かれるお前の方がおかしい」

 部屋の中で、嵐がつぶやいた。

 夕食の時、ユイは嵐の向かいがわに座った。そして、ユイ、嵐、晩翠の三人で思い出話をし始めた。嵐がB・Aに入ったばかりのことや、それにまつわるエピソード。ふと、の知らない話ばかりなのに気づいた晩翠が、ユイと嵐は幼なじみなんだとに教えた。話の内容から、も薄々それに気づいていた。

「でも、おじさまと嵐、前より仲良いですね」
「そうかい、そう見えるかい?」

 ユイの言葉に微笑む晩翠。

「うん、見えますよ。嵐も、前みたいにおじさまの愚痴なんか言わなくなったし」
「誰が愚痴った? そのことはもういいだろ!」

 小さい頃、晩翠と嵐が仲悪かったことも、どうしてそうだったのかも、は知らない。

「ごちそうさまでした」

 もういいのかい、と聞く晩翠の声を背に、はダイニングを出た。



 なんだろう、この気持ち。
 はテーブルで宿題を広げながら、ぼうっとしていた。ユイが早く帰ればいいのに、と思っている自分がいて、それに気がついてため息をつく。
 どうかしてる。体調でも悪いのかな。

「入っていい?」

 ユイの声が聞こえた。その後、返事もしてないのにドアを開けて入って来た。

「ちょっと、相談したいことがあるの」
「なに?」

 ユイは、勧めてもいないのに空いているイスに座った。

「あなたに、協力してほしいことがあるの」
「私に?」
「そう。私、嵐くんのことずっと好きだったの。アタックしたいからうまくいくように協力して。お願い」

 手を合わせて、ユイは頼んだ。

 好きって、どういうことだろう。アタックって?

 は大河のことを思い出す。大河が自分に対して抱いている感情を、ユイは嵐に対して抱いているのだろうか。

「私、そういうのよく分からないし……」
「いいの。嵐と二人きりになれるチャンスがほしいの。今日は結局人がいてだめだったし。お願い。明日、栃木に帰らないといけないから」

 あまりの必死さに、仕方なくうなずいた。
 喜んで、の手を握り締めるユイ。なんだかキレイだとは思った。
 は嵐の明日の予定を教え、二人で作戦を立てた。



 風呂上りにリビングでテレビを見ていると、嵐が来た。
 晩翠がユイを駅前のホテルまで送って行ったので、家の中は二人である。

「おい」
「ん? なに?」
「今日、元気なかったが、調子悪いのか?」

 珍しく、心配してくれているらしい。

「別に、いつもと変わらないけど?」
「嘘つくな。近藤の手当てしている時、泣きそうだったぞ」
「見てたの?」

 が聞くと、嵐は顔を赤くした。うるさい、と言っての横に座る。

「渡すもの、あるんじゃないか?」
「何を?」

 が力なく答えると、嵐はムッとした表情をした。

「クッキーだ。五軍のやつらにまで渡したそうじゃないか。それで俺にくれないのはおかしい」

 思わず、は嵐を見る。
 不機嫌そうな顔が、赤い。は吹き出した。

「何がおかしい?」
「ううん、取って来るね」



 部屋を出て、階段を上る。

 初めて見た嵐の表情に、今日感じた、もやもやした気持ちも徐々に晴れていった。

『幼なじみ(前)』:終

 オリキャラ多! 場面の変化も多!
 嵐の父の名前を二階堂ぢゅり様に教えていただきました。ありがとうございます! 

 次回は後編です。

      冬里

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