「ねえ、嵐くん」

 部屋でコーヒーを飲みながらドッジボールマガジンを読んでいると、九ノ助のために開けたままにしておいた入り口に、が立った。見ると、洋服を二着持っている。
 どちらもワンピースだ。黒いレースでできたゴシック調のものと、ピンクの、花柄のワンピース。どちらも少女趣味的であり、嵐は引いた。こういう女の子然としたドレスは苦手である。

「どっちがいいとおも……」
「どっちもいらん! だいたい、そんなフリフリの格好してどうする?」
「あした、デートなの!」

 むっとしてふくれる。その言葉に、嵐は目を丸くする。

「デートだと?」
「うん。大河くんと」
「お前、デートの意味分かってるのか?」
「分かってるわよ。一緒にどっか遊びに行ったりするんでしょ?」

 やはり、分かっていない。
 嵐はと、大河に原因不明の怒りを覚えた。



大河襲来!

中編



 ――翌朝――

「行ってきます」
「行ってらっしゃい、ちゃん。おめかししてどこへ行くんだい?」

 いかつい顔をほころばせ、似合いもしない親バカのような顔をして、父はを見た。
 結局、は黒のワンピースにしていた。
 フリルのついた、黒いレースをふんだんに使った、ゴシック調のドレス。それと黒い髪がの肌の白さを強調していた。胸には、銀色のクロス・ペンダントをしている。
 その、人形のような姿を見て、父はいつかをモデルにしたいと思った。

「どこに行くかは秘密よ、おじさん」

 手を振って、は家を出た。その姿に、父は涙しそうになる。
 ちょうど階段を下りてきた嵐に、

ちゃんも、いつかはお嫁に行ってしまうんだなあ」

 と言う。
 何を言い出すんだこのオヤジは?
 と、嵐は思ったが口には出さない。

「ところで、誰と出かけるんだろう。あんなドレス着て……まさか、デート?」
「そのまさか、だ。あいつはデートに行ったぜ?」
「何?」

 父は嵐の肩をつかみ、これでもかというくらいに揺さぶった。

「なぜ、止めなかった? そして昨日のうちになぜ言わなかった?」
「オレに止める筋合いはねえ!」
「お前になくともこっちにはある! ちゃんの身に何かあったら! 相手は誰だ?」
「二階堂大河ってやつだよ。聖アローズの!」
「何?」

 そこで父は手を離した。嵐が息を整える。
 そこで、チャイムが鳴った。
 父が玄関に出て、戸を開ける。

「こんにちは!」

 ドアの向こうに立っていたのは、宇佐美、服部、緒方。一軍のチームメイトだ。

「どうした、貴様ら?」
「大変です、さんがオシャレして駅の方に行きました!」
「途中ですれ違ったんですけど、デートだって言って」
「しかも、相手って、どう考えても大河じゃないですか。心配だし、後をつけましょう!」
「それがいい、そうしなさい嵐!」

 父までそんなことを言う。

「冗談じゃない。そんなストーカーまがいのマネができるか」
「いいや、ストーカーじゃない。必要悪だ! 二階堂グループの御曹司か何だか知らないが、ちゃんの身に何かあったらどうする?」

 父の力説に、嵐以外の三人はうん、うんと頷いた。

「仕方がない、嵐が行かないなら私が……」
「頼むからそれはやめてくれ! いい大人が恥ずかしいだろ」
「じゃあ、お前が行け!」

 仕方なく、そういうことになった。
 家を出て、四人で歩き出す。

「それにしても嵐さん、お父さんとああまで仲良くなれたんですねえ」

 緒方が言った。
 仲良く? どこがだ?
 そう思ったが、見れば、三人ともうなずいている。

「ところで、お父さんもさんのこと知ってたんですねえ」

 何気ない服部の一言に、ギクっとなる。

「お、親同士が知り合いだからな」
「そうだったんですか」

 その場を何とかのりきり、嵐は三人と共に駅に向かった。



 が駅に着くと、改札の前ですでに大河が待っているところだった。カッターシャツにネクタイで、今日は上着を着ていない。美少年であり、スタイルもいいので何を着ても似合う。通り過ぎていく人は大河を見ていた。良い意味で、目立つ。その視線を知ってか知らずしてか、大河は背筋を伸ばしてバス・ロータリーにある時計台を見ていた。

「ごめん、お待たせ」

 がかけつける。その声に反応して、大河は声のした方を向いた。頬が赤く染まる。

 ビスクドールのようなに、胸が高鳴る。昨日、別れてから今までの数時間。その短い間にも大河はに会いたくて仕方がなかった。今、ようやく会えたは透き通るような白い肌を太陽の下で輝かせている。

「待った?」
「ううん、僕も今来たばかりさ」

 そこで、言葉が詰まった。普通の女の子が着るにしては派手に思えるドレスだが、が着るとよく似合う。髪に何もつけていないのが惜しい。後で、リボンかバレッタを買ってあげようと思った。



「今、ぜったい変なこと考えましたね」

 駅から離れたコンビニの影で、服部がつぶやいた。緒方もうなずく。
 なぜ、コソコソとこんなことをしているのだろう。そして、こいつらはこんなことをして楽しいのだろうか、と、嵐は他の三人を見る。できれば、早くここから去りたい。適当なことを言ってこの場を離れ、どこかで時間を潰してから帰ればオヤジも納得するはずだ。だいたい、そんなにデートが気になるなら後でに聞けばいいじゃないかと思う。

「オレはもう、帰るぞ」

 そう言って去ろうとすると、三人に両腕、服の裾をがっしりつかまれた。

「何を言いますか、嵐さん。がピンチなんですよ?」
「宇佐美、何がピンチだ。も楽しそうだろう」

 楽しそう、と自分で言っておいて、昨日覚えた原因不明の怒りがまた湧き上がってきた。あの馬鹿はどこかお人よしな所がある。あの女たらしの大河がデートをするなどと、絶対に何かされるに決まっているのだ。それなのに、何も考えずOKを出したのだろう。嵐は思わず拳を握りしめた。

「二人とも、動き出しましたよ」

 緒方が言ったので、ひき続き後をつけることにした。



 レンガを敷いた道を歩いていると、すれ違う人の視線を感じる。少し、いや、かなり目立つ二人組なのだろう。
 もっとおとなしい服にしてこればよかった、とは思う。少し派手だったかもしれない。
 けれど、横を歩く大河はそんな視線をものともしていない。頼もしいな、と思う。

 大河について歩いていると、やがて美術館に着いた。
 広い庭があり、有名な建築家のデザインによる建物だ。広い出入り口の上部に「ラファエロ前派展」と書いた看板が掲げられていた。

「ラファエロ前派の作品、この町に来てたんだ……」
「昨日知ったんだ。入るけど、いい?」
「うん、私、ミレーが大好きなの! 嬉しい!」

 の嬉しそうな顔を見て、大河はホッと胸の中で安心した。



「あーあ、大河おぼっちゃま、やっちまいましたね。あんな難しい美術館につれて行くなんて」
「全く、やっぱり大河なんかにはさん任せてられませんよ」

 緒方と服部が、自動ドアの向こうに消えていく二人を見てため息をついた。が、それは半分が嬉しさでできているため息だ。

 こいつら、分かっていない。
 嵐は、が絵画など芸術に詳しいのを知っている。さすが、画家の娘だけあるのだ。しかし何よりも恐ろしいのは、それを大河が知っているということだ。昨日の会話の中で引き出したのならいいが、もし、二階堂家の権力を行使して調べ上げたのだとしたら? そうだとすると、奴にはストーカーになる素質があるのではないか。
 と、ここまで考えて嵐は苦笑した。オレたちも二人の後をつけているのだからストーカーと言われればそこまでじゃないか。



 美術館の中で目を輝かせているを見て、大河は微笑んだ。ロセッティの絵の中に「P・R・B」のマークを見つけて喜び、ミレーの絵に感嘆の声をあげている、そんなをずっと見つめていた。きれいな唇からこぼれる、琴の音のような声。そんな声で絵についてあれこれ説明しているが、大河は内容を聴き取っていない。ただ、が作品を見つめる横顔を見、話す声を聞いていた。

「大河くん、聞いてる?」

 そう言われて、ハッと現実に帰る。が大河を見て首をかしげていた。

「ごめん。ずっと君を見ていた」

 言っている方が恥ずかしくなるほどのセリフである。大河のファンなら顔を真っ赤にして気絶するくらいの反応を見せただろう。しかし、は、

「そうなの。せっかくなんだから、絵を見なきゃ」

 と、平然としている。
 大河は少し、不安になった。



「あ、出てきましたよ。裏の公園に向かいました」

 宇佐美が合図を出したので、尾行を再開した。
 まったく、よく待っていたものだと嵐は自分で自分をほめたくなった。ここまできたら、最後まで他の三人につき合おうかと思い始めている。

 美術館の裏は広い庭になっていた。中央にユニークな形の噴水があり、ツツジの茂みや桜の木が植えられている。隠れるにはもってこいの場所だと言える。
 と大河は都合の良いことに、嵐たちに背を向けて、噴水を眺めていた。



「おもしろい噴水。水が生きてるみたいね」

 水が弧を描いて少し離れた水貯めの部分に飛び移っていく。無邪気にはしゃぐに、大河は見惚れていた。

 言うなら、今かな。

 大河は、前日から決意していた。昨日会ったばかりで次の日だと急に思えるが、もうすぐヨーロッパに行く大河には、今日しかチャンスがなかった。
 さあ、勇気を出して……。

「あの、すいません」

 誰かに声をかけられた。振り向くと、メガネをかけてカメラを手にした大人の女性が立っている。ウェーブのかかった髪にバンダナを巻き、ジーンズにタートルネックの上着というラフな格好だが色使いにセンスの良さを感じる。

「私、美術大学の学生なんですけど、ええと、二人を見てインスピレーションがわいたので……」
「お姉さん、美大生? 卒業制作?」

 が聞くと、女性はうなずいた。

「その、モデルになってほしいのです。お礼はします」
「モデルって、時間かかるのですか?」

 大河が聞くと、女性は首を横に振り、カメラを見せた。

「何枚か、写真を撮らせていただくだけで、結構なんです。お願いします」
「やろうよ、大河くん」
 が言った。そして女性に、
「後で、できあがった作品見せてね?」

 すると、女性は喜びを顔中に表した。結構、美人なんだということに大河は気づいた。
 女性の名刺を先に受け取り、は差し出されたメモとペンで自分の連絡先を書いて女性に渡した。
 思わぬ所で邪魔が入ったが、が乗り気なので大河も協力することにした。

「ハツエお姉さん、」
 と、はすでに女性を名前で呼んでいる。
「場所はここらへんでいいの?」
「ええ。じゃあ、まず一人一人撮るわね。ちゃんから」

 ハツエお姉さんも、と名前で呼んでいる。カメラを構えると、先ほどまでのおどおどした様子とは打って変わって、機敏に動き、指示を出す。
 は横、正面、斜めなどあらゆる角度から写真を撮られている。驚いたことに、モデルに慣れているようだ。昨日、大河が調べたところは、かの有名な画伯の娘とのことだ。それが分かったからこそ美術館に連れて来たのだが、画家の娘である以上、父のモデルになったことがあるのではないだろうか。そんなことを考えていると、

「はい、じゃあそこの君も!」

 そう言われて、大河はカメラに撮られるままになった。

「じゃあねえ、その……言いにくいんだけど……」
「なあに? ハツエお姉さん、何でも言ってよ」
「二人に……キス……してもらいたいんだけど。あ、もちろんホッペかおでこに」

 それを聞いて、顔を真っ赤にする。一方で、ハツエお姉さんと握手をして感謝したい自分もいて、大河は少し混乱した。

「どっちがするの?」

 平然として質問する。それを聞いて大河は、はそういう軽いキスには慣れているのか、そうだとしたら誰とだ、と思い悩んだ。

「うーん、男のこの方が、女の子に。というわけで、どう? ムリしなくてもいいけど?」

 聞かれて、大河は赤くなりながらも、やります、と答えた。どういう形であれ、にキスをできるチャンス。逃すわけにはいかない。
 さっそく、ポジションにつく。立ったまま、二人が向かい合う。大河の方が背が高いので、おでこにキスするにはちょうどいい。

「目、開けてた方がいい?」
「そうねえ。閉じてて。じゃあ、はい」

 はい、と言われてすぐにできるもんじゃないな、と大河は思った。目の前でが目を閉じて待っている。ふっくらと形のいい唇。そこにキスできたら、と思う。
 意を決して、大河も目を閉じ、の額に軽く唇をあてた。シャッターの音がする。

「ありがとう、二人とも」

 カメラをバッグにしまいこみ、ハツエお姉さんは、大河の順で握手をした。がハツエお姉さんに抱きつく。

「ぜったい、できた作品見せてね?」
「もちろん、約束するわ。ふ、二人とも、きれいで、今日は私、ついてたわ」



「あ、あわわわわ」

 三人が異様な声を発した。ちょうど、大河がにキスした時だ。
 嵐は、異様な怒りが込み上げてきて、思わずそばにあった木に拳をめり込ませた。パラパラと、枝が揺れる。
 あの馬鹿! あの女に何を言われたのか知らないが、言いなりになって……。嫌なら嫌だと言えばいいのに。大河も、だ。男ならあいつの気持ちを察して遠慮するだろう。
 と、三人がこちらを見て怯えていることに嵐は気づいた。何を見ている、と目で脅すと、慌てて元の方を見る。



 ハツエお姉さんを見送り、二人はベンチに座った。
 の様子が、少し変なことに大河は気づいた。もしや、キスしたのがいけなかったかな。心配していると、が口を開いた。

「ごめんね、私、芸術を志してる人に弱いから、つい言うこと聞いちゃって。その、イヤじゃなかった?」

 何かと思えば、自分のことを心配して落ち込んでいたのだ。大河はそんなをますます好きになった。

「僕の方こそ、ごめんね。嫌じゃなかった?」

 静かに、は首を左右に振った。
 この様子を見て、大河は今がチャンスだと思った。と、その時……。
 プルルルル、とポケットの中で音がした。小型携帯電話が鳴っている。に、ごめんね、と断って、出た。

「なんだ? 五十嵐か。何? 今日は都合が悪いと言ったじゃないか。何だって? ……分かった、ただし、彼女もつれて行く」

 そして、切った。

「すごい、小さい電話!」
「うん、それはともかく、急なことですまないんだけど、一緒に聖アローズに来てくれないか? チームメイトにどうしても、と呼ばれたんだ」
「私はいいけど、行ってもいいの?」
「大歓迎さ。車が、もうすぐ来ることになっているから」
「うん、分かった」

 は、笑顔でうなずいた。



 その話を、最前線(最も二人に近いツツジ)に隠れていた宇佐美が、他の三人に伝えた。

「どうします、嵐さん?」

 そう聞かれて、嵐は立ち上がった。

「帰る」
「でも、が連れ去られるんですよ?」
「帰って、自転車を取って聖アローズに向かう」

 と言うや否や、嵐は気づかれないよう、身をかがめながら走って公園を出た。その様子を、服部、緒方、宇佐美が見送る。

 嵐は、どうして自分がのためにここまでしなくてはいけないのか、疑問に思った。
 そう思いつつも、家に向かって、走った。

『大河襲来!(中)』:終

 ああ、まだ続きます。大河くんで三話分とられちゃうとは。
 しかもファーストキス(おでこだけど)大河くんだし。はよフォローせな!
 ちなみに、あの当時、携帯はなかったので。大河はおぼっちゃまだから持っていたということで。

      冬里

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