休憩時間。
 二軍から五軍のメンバーにはスポーツドリンクが行き渡っているのに、一軍の分がまだだ。がボックスから取り忘れて来たのだ。さっきそれに気づいて、彼女は急いで取りに行った。

「まったく、あいつのドジはまだなおらない!」
「嵐さん、も一生懸命なんですから」

 宇佐美がフォローする。

 第三者ならば避けたい雰囲気の中へ、一人で入ってくる者がいた。
 金髪に、美しい顔立ちに、ネクタイをしめた制服。
 その、ある意味で異様な少年に最も早く気づいたのは、宇佐美だった。

「嵐さん、後ろ!」
「なんだ?」

 嵐が振り向く。
 そこに立っていたのは、二階堂大河。名門聖アローズ学園の元キャプテンだ。

「やあ、みんな。久しぶりだね」

 その美少年は太陽の下、まばゆいばかりの笑顔を見せた。



大河襲来!

(前編)



「大河か……」
「……今、露骨に嫌そうな顔したね?」
「貴様が何の用でここに来たのかと思ったまでだ」
「ふふ、スパイなんかじゃないよ。ヨーロッパ戻るまでに、ぜひ全国大会優勝候補のB・Aの練習を見ておきたくてね」

 それを、スパイと言うのではないか、と嵐は思った。どうも、大河は苦手だ。きつく言い放ったつもりの言葉でも柔らかく返してくる。やりにくい相手だった。

「ごめん、みんな、お待たせ」

 がスポーツドリンクを七本、胸に抱えて持って来た。
 大河の横を通り過ぎるとき、ふと、彼と目が合う。
 次の瞬間、抱えていたドリンクのペットボトルを全て落としていた。

「ああ、やっちゃった!」

 すぐにかがみ込み、拾いにかかった。ドジな分、そういう反応は素早い。
 ペットボトルは四方に転がっていく。それを止めようとする
 大河もかがみこんで、拾うのを手伝う。

「あ、ありがとうございます」
「いいよ。気にしないで」

 は、手伝ってくれている大河を見た。
 金髪の巻き毛を輝かせている。生きたギリシャ彫刻みたいだと、は思った。以前、の父が話してくれた。シェークスピアという劇作家が、ウィリアム・ヒューズという美少年のために綺麗な十四行詩集を書いたのだ、と。イギリスの爽やかな夏の日……日本で言うなら麗らかな春の日のような少年だったらしい。
 今、目の前にいるこの少年はのウィリアム・ヒューズ像をそのまま生き写したかのようだ。

 きれいな人……。

 ペットボトルを持ったまま、見惚れていた。

 その他方、大河もを見て、時間を止められたかのように錯覚した。
 滑らかに輝く黒い髪。透き通るように白い肌。整った目鼻、そして長いまつ毛。宝石のように輝く茶色い瞳、花びらのように淡いピンク色をした唇。
 まるで、生きた人形だと、大河は思った。
 触れると、壊れてしまいそうな、綺麗な人形だ。
 大河はに魅入った。

「いつまでそうしているつもりだ?」

 嵐の声で、二人ともハッと我に帰った。
 急いでボトルを集めて拾い上げる。

「ごめん、はい。スポーツドリンク」
「まったく、いつまでかかっている?」
「ごめんって言ってるじゃない。それより、あの人だれ?」

 は、嵐に聞いた。
 嵐は眉をひそめ、ぶっきらぼうに答えた。

「二階堂大河。聖アローズの元キャプテンだ」
「聖アローズって、全国でも有名な名門じゃない。すごいなー」

 嵐は返事をせず、ドリンクを飲んだ。イッキ飲みするように、ゴクゴクと。
 ひとしきり飲んでから、にボトルを渡す。

「もういい」

 休憩時間なのにもかかわらず、一人で練習し始めた。

「変なの」
「春だな……」

 そばにいた高山が低い声でぽつりとつぶやく。

「やだ、高山さんたら。今は秋よ?」
、俺も嵐さんに付き合うからなおしといて」

 宇佐美が、ボトルを渡す。
 二本のペットボトルを持ちながら、は首をかしげた。



 休憩の後、ペットボトルをなおしに行って、それからしばらく見学だ。
 ベンチには、大河が先に座っていた。

「さっきは、ありがとう」
「どういたしまして」
「横、座ってもいい?」

 大河はうなずいて、の場所をあける。
 座ってから、大河は自己紹介をした。

「私はよ。あなたのことは嵐くんから聞いたわ。聖アローズ通ってるの?」
「今は、ヨーロッパの学校を転々としてるからね。元、聖アローズって言った方が正しいよ」
「ヨーロッパ!」
 は目を輝かせた。
「私の両親、フランスにいるの」
「じゃあ、君は今……」
「パパの友達の家でお世話になってるわ」

 大河は、はっとしてを見つめた。明るそうな彼女に、何か深刻な事情があるのだろう。普通、両親が子供を日本に置いて遠い異国になど行くはずがない。
 気がつけば、大河はの手を取っていた。

「僕も、もうすぐヨーロッパに戻るけど、つらいことがあったら言ってくれたまえ」
「あ、ありがとう」

 微笑むの顔を見て、大河は頬を赤らめた。自分がやっていることに気づき、あわてて手を離す。
 しばらく、黙って練習を見ていた。
 B・Aの練習は厳しい方だ。重い練習用プロテクターを身に着け、素早く動こうとする。高山のスイッチショット、嵐のトルネードショット。どちらも以前、弾平たちと戦った時より数段パワーアップしている。
 今、彼らと戦って勝つ自信はあるだろうか、と大河が思った、その時。
 誰かが投げたボールがこちらに向かってきた。

「あぶない!」

 横にいるを自分の胸に抱き寄せ、片手でボールを受けた。
 ボールはの髪をなで、うまく大河の手におさまる。片手で受けるには強いショットであり、ボールは手の中でもまだ回転し続けていた。

「危ないじゃないか、気をつけたまえ!」
「すみません」

 来たのは、一軍の服部だった。
 ボールを投げて寄越すと、頭をさげて戻って行った。
 今のショットを、一軍とは言え主要メンバーではない者が投げている。チーム全体がレベルアップしているのかもしれない。

「大河くん、くるしい」
「あ、ちゃん?」

 ずっと、を自分の胸に押し付けたままなのに気づき、あわてて押し付けていた手を離す。はぷはあと息を吐いた。

「ご、ごめん。つい……」
「ううん、大河くんがかばってくれなかったら、私ドジだからボールを顔面に受けてたわ」

 そう言ってあはは、と笑うを見て、大河の胸がドキン、と大きな音をたてた。
 かわいい、と思った。
 触れるとすぐに壊れる人形のような姿。守りたい、とも思った。

 その後、がタオルを用意しに行くまでの間、大河はろくにの方を見れずにいた。練習を見るのに集中するよう努めた。しかし、この胸の音がに聞かれないだろうかと心配になって、なかなか集中できなかった。



「みんな、おつかれー」

 がタオルをつめたバスケットを運んできた。一軍から五軍用に分けてある。二軍から五軍にはバスケットを渡しておき、一軍メンバーには一人ずつ手渡す。それが一軍の特権と言えなくもなかった。

「はい、嵐くん」

 嵐は差し出されたタオルをふんだくるようにして取り、その場を離れた。

「なによ、あれ」
「今日の嵐さん、何だか様子が変だよな」

 宇佐美が横に来て、つぶやく。
 二人は互いに顔を見合わせ、首をかしげた。
 ふと、がベンチの方を見ると、大河がこちらを見ていて、目が合った。微笑むと、大河は顔を赤くした。

「大河、もう練習は終わったが、まだ見るものはあるのか?」

 ぶっきらぼうに、嵐が大河に言う。

「そんな、追い出すようなこと言わなくていいじゃない。せっかく来た人に失礼でしょ?」
「誰も来てくれとは頼んでいない」

 冷ややかな目で見る嵐を、は睨んだ。
 それを見て、嵐は少したじろく。なぜ、睨まれなければならない?
 は踵を返して、大河の元に走って行った。

「ごめんね、嵐くんがああ言ったけど、ゆっくりしていって」
「ありがとう。それより、いいのかい? 嵐くんにあんなことを言って」
「いいの、嵐くんが悪いんじゃない。あ、私、後片付けしに行くから」

 コートに戻ってタオルを集め、ボールを片付けるを見ながら、大河はと嵐はどういう関係だろうかと考えた。まさか、付き合ってるというわけではなさそうだし、嵐は少々に対してきつくあたっているかのように思える。しかし、見えないところで、二人が何らかの関係を持っているかのようだ。高山を除いて他のメンバーが恐れている嵐に、新しいメンバーのがああ強く出られるとは。
 考えている所へ、当の嵐が来た。タオルを首にかけ、汗を拭きながら大河の横に座る。

「練習は参考になったのか?」
「うん。君たちが前より数段レベルアップしていることが分かって満足したよ」
「当たり前だ。あれ以来、練習も厳しくしたからな」
「ところで……」

 大河は先ほどまで疑問に思っていたことを聞くことにした。

「君と、ちゃんとはどういう関係?」
「急に何を言い出すかと思えば!」
「言いたくないならいいよ。ただ、僕は狙うことにしたから」

 自分でも不思議なほど、自然に言葉が出た。できることなら、誰にも言わずにいたかった。しかし、もう遅い。
 顔が熱くなるのを感じながら、大河は続ける。

「君が何と言おうと、止めるつもりはないよ」
「好きにしろ。がどうなろうと、オレの知ったことか」

 吐き捨てるように、嵐はつぶやいた。
 、と嵐がそう呼んだのを大河は聞き逃しはしなかった。

「しかし……」
 嵐は少し意地悪く笑った。
「貴様も、あいつをストーキングしている奴とあまり変わらないんだな」
「どうして?」
「練習の見学に来たんだろうが、結局はにつきまとっていた」
「つきまとった覚えはないけど……君はそれを見てたんだね?」

 何気なく大河が発した一言で、嵐はカッと頭に血が上った。
 立ち上がり、ボックスに向かう。
 その後を、メンバーがついて行った。

「二人で何を話してたの?」

 バスケットを持ったが近づいて来た。

「何でもないよ」
「そう。大河くん、もう帰っちゃうの? せっかく仲良くなれたのに」

 そうだ、自分はもうすぐヨーロッパに行く。
 狙う、と宣言したものの、日本を発つまでの間に進展させるのは難しい。
 それなら、と大河は思いついた。

ちゃん、明日あいてる?」
「明日は、日曜で練習お休みだから……あいてるわ」
「よかった。じゃあ、僕とデートしてくれる?」
「デート? うん、いいよ」

 あっさりとOKしてくれたので、喜ぶより前に、デートの意味がわかってるのか疑問になった。

「私、デートって初めてだから、ちゃんとエスコートしてね?」

 そう言って微笑むを見て、安心する。
 もちろん、と答えて、大河は立ち上がった。

「明日、朝の十時でいい?」
「うん、いいわよ」
「待ち合わせは……駅でいいかな?」
「ここから最寄の駅ね。わかったわ」

 二人は顔を見合わせて、笑った。



「で、大河はいつ帰った?」

 いつも通り、皆と別れてから二人で歩いていると、嵐が聞いてきた。
 今日は何だか不機嫌だったので、は嵐に話し掛けることもなく、黙っていた。しばらくの沈黙を破ったのが、嵐のその質問だったのだ。

「皆がボックスに行ってからよ」
「まったく、こっちに挨拶もせずに。いい気なもんだ」
「ねえ、どうして今日はそんなに不機嫌なの?」

 に聞かれて、嵐は今日初めて自分が不機嫌であったのに気がついた。それがなぜなのかは、分からない。
 は、そんな嵐とは正反対に、何だか嬉しそうにしていた。

「何をニヤついている?」
「別に? 何があったと思う?」
「何だ?」
「教えない」

 クスクス笑って嵐を見上げるを見る。それは大河と関係することなのだろうか、と考えて腹が立つのを覚えた。

「勝手にしろ」

 歩くスピードをはやめて進む。

「ああ、待ってよ。後で教えるから」

 あわてて後を追う
 もう、すっかり日は暮れてあたりが暗くなり、街灯が紫色のコンクリートをオレンジ色に照らしていた。

『大河襲来!(前)』:終

ああー、私のアホ! 大河とデートするまで持っていってどないするねん!
嵐夢というより逆ハー(男キャラにモテモテ)ですこれは。もう、そんな勢いでいくっす。
次回こそ、嵐との仲が進展しますように(ひとごと?!)

      冬里