「じゃ、嵐さん、、俺らこっちですから」
「ああ、またな」
「バイバイ、宇佐美くん」

 最後に宇佐美と別れて、嵐とは二人になった。
 チームのメンバーには、とは家が近所だということにしている。しかし、女子と二人で、並んで歩くのは恥ずかしい。誰にも見られたくない光景ではある。
 嵐はそう考えて、と少しばかり間をあけて歩く。

「ねえ、嵐くん、上見て、上!」

 に言われ、そうする。
 紫とコバルトブルーのグラデーションがかった空に、一番星が輝いていた。



ふたりぼっち

『球小潜入!』の続きです。



「ただいまー」

 誰もいないのに、そう声をかける
 家の中、ダイニングから食事の臭いが漂ってきた。お手伝いの中沢さんが作っておいてくれたのだろう。

 が、先に靴を脱いであがる。廊下を小走りで進んだ後、くるりと振り返った。ポニーテールの黒い髪が翻る。
 両手を後ろで組み、にこっと微笑んで首をかしげ、嵐を見た。

「あなた、ご飯になさいます? それとも、お風呂?」
「……バカかお前」

 ため息をつき、嵐もあがる。
 は頬を膨らませ、冗談に決まってるじゃない、とつぶやいた。

 冗談じゃなかったら、何なのだ。こいつには付き合ってられない。

 嵐は階段を上った。
 後からもついて来る。
 嵐が自分の部屋に入ろうとした時、が呼び止めた。

「お風呂、私が先ね」
「なぜ?」
「見たいテレビがあるの」
「却下。オレの方が汗かいてる」

 仕方ないなあ、などとぶつぶつ言いながら、は隣の部屋に入った。
 嵐も部屋に入る。
 カゴに入った九ノ助が「オカエリ」と迎えた。カゴから放してやる。その後すぐに風呂の用意をした。

「ホラ、九ノ助来い」

 ついでに九ノ助の体も洗ってやろうと、呼んだ。
 しかし、九ノ助は部屋を飛び回るばかりで、なかなか嵐の元に来ない。
 そして……、

、」

 と喋りながら、ドアの方に向かった。ドアは閉まっているので部屋を出られない。くちばしでノックするようコツコツとドアを鳴らした。

   いつの間にと覚えたのだろう。しかも、「アラシ」より発音が良い気がする。

 何だか裏切られたようで、嵐の気分は沈んだ。
 いつまでもコツコツやられるとドアに傷がつく。仕方なく、嵐は開けてやった。ついでに自分も部屋を出る。

 九ノ助はの部屋に向かい、器用にコツコツノックした。
 はあい、という返事と共に、がドアを開けて九ノ助を招き入れる。ドアを閉める前に、廊下で立ち尽くしてその様子を見ていた嵐をチラっと見、いたずらっぽく笑った。

「振られちゃったね?」
「……うるさい!」

 乱暴に足音を立てながら、嵐は階段を下りた。

 嵐が風呂から上がると、ダイニングから声がかかった。
 ごはんですよ、とが呼んだのだ。
 その言葉、その響き。何だか懐かしいと思いつつダイニングのドアを開ける。はいつもの位置、つまり嵐の横に座っていた。

「お腹すいたし、先にごはん食べよ。風呂は後で九ノ助と入る」

 見ると、風呂の用意を隣のイスに置いてある。九ノ助も、そのイスで足をたたんで丸くなっている。
 父の席、の向かいに座れと言うのだろう。見ると、用意もそこにしてある。仕方なく、席につく。

「では、手を合わせてください!」
「誰がやるか!」

 気合を入れて手を合わせたは、出鼻をくじかれたかのように、目を丸くして嵐を見つめた。

「じゃ、普通に、いただきますー」
「ああ」
「ちゃんと、あいさつは?」
「いちいちうるさい奴だ……」

 夕飯は、肉じゃががメインだった。そこに入っているニンジンを見て、嵐は眉をひそめる。
 その様子を見て、があー、と声を出した。

「嵐くん、ニンジン嫌いなんだー?」
「お前はなんでそう突っかかってくる?」
「突っかかってなんかないよ。ニンジン嫌いならこっちに寄越しなよ」

 しぶしぶ、嵐はニンジンを箸でつまんで、の器に移した。



「じゃ、風呂入ってくるから」

 食事も終わり、後片付けはがやり、一息ついたところだった。
 嵐はうなずいて、と、その後ろを飛んで行く九ノ助を見送った。

 すべって、転んで気を失いはしないだろうな……。

 数日前、は風呂場で石鹸で足を滑らせ、後頭部を打って気絶した。究極のドジだ。その時は父が様子を見に行って部屋まで運んだからいいものの、今日それをやられると嵐が様子を見に風呂を覗かなければならない。
 そこまで考えて、嵐の顔が赤くなった。

 頼むから、無事に戻ってきてくれ。

 気がつけば、嵐はダイニングから離れられなかった。



 ……遅い。遅すぎる。
 いつまで風呂に入っているつもりだ。

 そこで嵐はハッと気がついた。もしかして、はまた風呂で何かドジって気を失っているのではないか。そうなると、自分がの様子を見に行き、最悪の場合、を抱えて部屋まで運ばなければならない。
 また、顔が赤くなる。
 もう少し待って様子を見ようと思ったが、かれこれもう、一時間半。いくら何でも、遅すぎるのではないか。

 歯を磨きに行くということで、ついでに様子をうかがう、ということにした。

 洗面所は風呂の近くだ。そこから、風呂に入っている様子が聞こえてくる。
 歯を磨きながら耳を澄ましたが、何も聞こえなかった。九ノ助の羽音もしない。
 洗面所から、廊下を渡ってリビングに向かう。すると、明るいの声と、九ノ助の羽音がした。

 なんだ、あいつは。

 急に腹が立ってきて、嵐はドアを勢いよくあけた。

「風呂から上がったんなら、そう言え!」

 そう叫ぶ嵐に驚き、すぐには振り向いた。
 はソファに座りながら、テレビを見ていた。その肩に九ノ助がとまっている。

「何よ、わざわざそんなこと言う必要ないじゃない」

 口を尖らせながら言い返す
 確かに、そうだ。
 嵐はため息をつき、の隣に座った。
 は、もうパジャマに着替えていた。レースとリボンがついた、少女趣味的なワンピースタイプのものだ。
 この姿を見たい野郎はたくさんいるんだろうな、と嵐はふと思う。

 見ていたのは、ドラマだった。画面の中では男女が海辺で語り合っている。今までのストーリーを知らない嵐にとって、何が何だか分からないシーンだ。だが、は黙って、じっと画面に釘付けになっている。

「これのどこがおもしろ……」
「黙って」

 ぴしゃりと言われ、嵐は黙った。本当に、真剣だ。
 ドラマは、女の方が海に向かって叫び、それから走り出した。男が後を追う。そこでテーマ曲が流れる。男が女に愛を告げる。喜ぶ二人。ところが、女が倒れる。そこでエンディング。スタッフロール。次回予告。

「おい、あれは感動する場面か?」

 と聞こうとのほうを見る。すると、は……寝ていた。
 さっきまでの真剣さは何だったんだ? 嵐は呆れて、この部屋入ってから二度目のため息をついた。

「ほら、こんな所で寝たら風邪引くぞ」
「パパ……ママ……」

 目を閉じているの頬に、一筋の涙の痕があった。両親の夢でも見ているのだろう。寝言を言うほど、寂しい思いをしているのか。
 嵐は、今までののことを振り返ってみた。
 いつも明るくて、ドジで、ボケたことを言ってきて。でも、両親と離れて寂しいなどと一言も泣き言をこぼしていない。

「辛かっただろう……」
「だれが?」

 突然、目を開けた。あわてて嵐は目をそらしたが、は、

「今、嵐くん優しげなこと言ったよね? よく聞こえなかったなー」

 大げさに耳を澄ますジェスチャーをする。嵐はカチンときた。

「うるさい、寝てたんじゃなかったのか?」
「うとうと、ってしてた。で、目え覚めた。……ねえ、」
 は嵐の袖を引っ張った。
「さっき、何て言ったの? 実はちゃんと聞いてない」
「うるさいと言ってるだろう。お前こそ、寝言こぼしてたぞ?」
「ええ、何て言ってた?」

 が、顔を赤らめる。嵐が聞いたことをそのまま伝えると、さらに顔を赤くした。

「ホームシックかなあ」
「どうして両親とフランスに行かなかったんだ?」
「それは、おじさんとの秘密だから。でも、誰にも言わないって約束するなら教えてもいいけど?」
「なら、教えなくていい」

 さらりと嵐が言うと、がさっきからつかんだままの、嵐の袖をさらに強く引っ張った。

「教えたいから秘密にしてよお願い!」
「わかった、じゃあ何なんだ?」

 どうせ、誰にもこんなことを言いふらすつもりはない。その価値もないだろう。
 は、もじもじしながら、やっとのことで言葉にした。

「飛行機が、怖かったの」
「……は?」
「だから、飛行機が、怖くて乗れないから、フランス行けなかったの」
「それが、分からないと言っている」

 は、もう、と言って詳しいことを話しはじめた。
 はドイツで生まれ、しばらくそこで暮らしていた。日本に帰国する際、飛行機のトラブルにあい、墜落しかけた。パイロットの、根性の胴体着陸で何とか乗客は無事だったものの……。

 の、ぽつりぽつりと語る声が耳に心地良かったのか、だんだん意識が薄れてきて、最後らへんは聞き取れなかった。



「嵐くん、嵐くん?」

 は嵐を揺さぶったが、反応が無い。

「寝ちゃった、ね?」

 そばにいた九ノ助に話し掛け、首をかしげる。

「仕方ないなあ……」
 は部屋に戻り、毛布を持って、またリビングに戻って来た。毛布を嵐にかける。

「私も、ねむい」

 まぶたが重く、立ちながら寝そうなほどだった。は、ソファに座り、嵐にかけた毛布に潜り込んで、目を閉じだ。



「おや、これはこれは……」

 夜中過ぎに帰ってきた父が、灯りをつけたままのリビングに行くと、ソファで嵐とが仲良く肩を寄せ合って寝ていた。
 ぐっすりと寝ている二人。

 嵐にかわいいお嫁さんが来たようで嬉しいという気持ちと、友人から預かった大切なお嬢さんが自分の息子と仲良くていいのかという気持ちと、自分の娘に等しいくらい可愛がっているをそう簡単に渡すかという気持ちが、複雑に交じり合った。

 嵐の父は、をかかえて、彼女の部屋へと向かった。

『ふたりぼっち』:終

 嵐の父、名前ありましたっけ? 忘れました!!(←オイ!)
 で、おいしいシチュエーションなのにどうして何も発展しないのか?
 恋はライバルがあってこそ。
 という流れで、次回は大河くん登場。

      冬里