神奈川アリーナは熱狂に包まれていた。
 ヨーロッパ選抜と神奈川選抜の試合。今までにこんな試合があっただろうか。横にいたみさとが、の服の袖を握ってきた。
 試合は1対0で、神奈川選抜の勝利。
 最後は弾平と大河の一騎打ちだった。一人を倒すのに炎のショットを打ってしまった弾平は体力も無いまま、しかし必死になって大河と戦ったのだ。そして二度目の炎のショットで大河を破った。
 力を使い果たして倒れた弾平を抱えて退場した大河を見送る。会場内の人たち皆が、二人に拍手を送っていた。みさとを見ると、涙を流している。はそっと、みさとの肩を抱き寄せた。



カミングアウト





 試合終了と退出方法がアナウンスされた後、は選抜チームの控え室に行った。ドアをノックすると、返事もせずに五十嵐が開けてくれた。の姿を見て陸王と嵐が立ち上がる。二人の見慣れない白いユニフォームが妙にまぶしかった。

「やったぜ、!」

 陸王がに近づき、軽々と抱き上げた。高く持ち上げてから、くるくると回す。

「うう、目が回るって!」

 そう言うと、すまない、と下ろしてくれた。勝利が嬉しくて舞い上がっているようだ。
 ふと気がつけば、球小のメンバーがいない。きっと、弾平のいる医務室に行ったのだろう。

「私たちも、弾平くんのところに行かない?」

 聞くと、嵐が、

「いや、すでに医務室は球小の奴らでいっぱいだ。俺たちが行くとかえって邪魔になる」

 そう言って、ベンチに座った。ひどく落ち着いている。
 三人ともまだ着替えていないのを見て、はいったん控え室を出ることにした。外で待っていることにして、着替えたら知らせてほしい、と伝えてから廊下に出る。
 大河の稲妻ショットを思い出した。数日前に公園で話したときや、それより前にデートしたときの大河とは違って、闘志が満ち溢れていたような気がする。普段の穏やかさはどこかに消えていた。
 ドッジ、やめちゃうのか。
 地球を救うために、日本を離れようとしていたのだ。偉いな、と思う。は両親とフランスにすら行けなかったのだから。
 何か飲もうかと、自販機の前に立った。
 温かいものと冷たいものがある。今は温かいものを飲む気になれなかった。試合を見ていたためか、何だか熱い。ポカリスエットと、コーラと、オレンジジュース。その三つで迷った。どれにしよう。サイフから小銭を取り出しながら、コーラはとりあえず選択肢から外した。ポカリとオレンジジュース、どちらにするかが問題だ。小銭を握りしめ、悩んでいると、

「何悩んでるんだ」

 近くで声がした。振り返ると、嵐だった。

「早かったね」
「ああ。まだ決めれないなら先に買うぞ」

 そう言うとすぐに自販機に小銭を入れ、ボタンを押す。ガゴン、と音がして、嵐は取り出し口から缶を取り出した。オレンジジュースだ。

「ほらっ」

 そう言って放り投げてきたので、あわてて受けようとする。なんとか、キャッチできた。嵐は続けて小銭を入れ、ボタンを押して缶を取り出した。見ると、ポカリだった。持っているオレンジジュースをどうしていいのか分からずにいると、

「オレンジとポカリで迷ってたんじゃないのか?」
「う、うん」
「どっちとも買って半分ずつ飲めば良いだろう?」
「あ、一本分の、払う」

 持っていた小銭を渡そうとすると、嵐はくるりと背を向けた。

「いい。それより座れるところに行こう」

 歩き出す嵐の背中に、ありがとう、とお礼を投げかけて、は後を追った。
 アリーナ内はさっきまでの熱狂がどこに行ったのか、静まり返っていた。チームを勝利に導いた弾平が倒れたので取材陣も退却していったのだろう。
 選手の入退場口に近いベンチに座った。
 片付けも終わったのか、誰もいない。
 二人は黙って、ジュースを飲んでいた。しばらく飲んだ後で、嵐が缶をに差し出す。

「ほら、交換」

 うん、とうなずいてはオレンジジュースの缶を嵐に渡し、ポカリの缶を受け取った。
 こういうの、平気だったかな?
 間接キスになるのに、と思いながらはポカリに口をつけた。すっきりとした味が舌に広がり、喉を通っていく。
 缶から口を離し、は沈黙を破ることにした。

「試合、勝ったね」

 おめでとう、とか、よかったね、などを言わず、ただ単にそう言った。嵐が、ああ、と返事する。

「だが、大河のショットにやられた」

 目を細めて、悔しそうに持っている缶を睨んでいた。試合を思い出しているのだろう。は、どう声をかけていいのかわからなかった。誇りの高い嵐のことだ。ヒットされ、さらに反撃もできなかったのが屈辱的に思ったのだろう。

は、俺が勝つところを見ていないな」

 飲み終えたのか、缶をベンチに置いて、ぽつりと嵐がつぶやいた。
 確かに、そうだ。はB・Aが公式戦で勝つところを見ていない。がはじめて観戦したのはB・A対荒崎小だったからだ。神奈川選抜で勝ってはいる。しかし、嵐が率いるチームで嵐が勝利に導く試合を見たことがない。そのことを嵐は言っているのだ。

「私……」

 厄病神かな。そう言おうとした。それを嵐が遮る。

「まったく、お前はついてない。ほんの少し前まで俺たちは無敗だった」
「いいよ、別に」

 は特に何も考えずに返したのだが、嵐はこちらに向いた。真剣な顔をしている。そんな顔をされると、とまどってしまう。少し考えて、嵐に言う言葉を探し出した。

「私、普段から嵐くんのかっこいいところを見てるから、試合で見なくても充分」

 冗談半分で、笑いながら言った。その途端、嵐が抱きしめてきた。の持っていた缶がフロアに落ち、カランカランと音を立てて転がった。
 嵐は、黙ったままだ。
 心臓がドキドキうるさくて、その音を嵐に聞かれないかと心配になるほどだった。前は自分から抱きしめた。嵐から抱きしめられるとは思ってもみなかった。高鳴る心臓とは別にして、は嬉しくなる。今、こうして抱きしめられることで嵐に独占されているのだ。そして、も独占しているのだ。
 独占、という言葉はどこかでも聞いたことがあった。
 大河の言葉だ。
 デートに行った時、大河に告白された。その時に独占したいと言われたのだ。
 大河がを独占したいと思うように、は嵐を独占したかったのだ。そう気づいたは、ずっともてあましていた両手を嵐の背中にまわした。
 これが、特別な意味で好きだという気持ちだったんだ。は嵐を抱きしめ返した。

「好き」

 自然に、そんな言葉がの口からでた。黒い、B・Aのウィンドブレーカーに顔をうずめる。

「馬鹿。この場合俺が先に言うだろう、普通は」

 嵐はから離れた。肩を持ち、正面から見つめる。はすぐ近くに嵐の顔があるので、顔を赤くしてしまった。

「好きだ」

 真剣な顔をして、嵐はそう言った。はこくん、とうなずいた。嬉しい。もう一度嵐の目を見る。ずっと真剣な顔をしたままだった。さすがに恥ずかしいので目を伏せる。

「そろそろ、離して?」

 ずっとこのままでいるのは恥ずかしい。誰かが来るかもしれなかった。

「ああ」

 そううなずいたかと思うと、嵐が顔を近づけてきた。目を閉じる。額に、柔らかな唇の感触がした。そして、嵐はすぐに離れて、立ち上がった。

「行くぞ」

 控え室の方に戻ろうとした。も立ち上がり、転がっている缶を拾って、後に続く。さっき起こったことが信じられなかった。どういうことだろう。嬉しいことには違いないのだが。



 控え室に戻ると球小のメンバーも戻っていた。みんな着替え終わっており、一緒にアリーナを出ることにした。弾平はキャプテンと勇一が交代で背負って行くらしい。
 最初に、の様子が少し違っているのに気がついたのは陸王だった。少し、顔が赤い。嵐が控え室を出た後、しばらくして陸王も出たが二人の姿はなかった。きっと、二人でどこかで話をして……。何か、あったのだろう。気のせいかもしれないが、二人の距離が縮まっているような気がした。
 二人は並んで歩き出した。高山はそこに加わっていない。彼は何かを感じ取ったのか、気を利かせて弾平を背負うのを手伝っていた。
 アリーナの外に出ると、外側階段の方から大河が一人で下りてきた。みんなは前を歩いているので、それに気づいたのは陸王だけだ。大河も陸王に気がつくと、軽く微笑んだ。

「弾平なら、高山が背負っている」
「いや、今は弾平くんに用があるんじゃないんだ。ちゃん、近くにいる?」

 階段の影から様子をうかがっている。
 こいつも、俺と同じか。
 陸王はそう思い、少し同情した。

「行かない方がいい。男は引き際が肝心だ」

 そう言うと、大河は不思議そうに陸王を向いた。そして、何が言いたいかが分かり、うなずいた。

「君もか」
「ああ」

 そして二人はそのまま別れた。





 大河はもう、旅立っただろうか。
 部屋の窓から青空を見ながら、はぼんやりと思った。

「見送らなくてよかったのか」

 イスに座って、雑誌を読みながら嵐は聞いた。

「いい。飛行機怖いから」
「そうだったな」

 雑誌を置いて嵐は立ち上がった。の横に立ち、同じように窓から空を見上げる。雲のない青い空に一筋の飛行機雲が見えた。

「おい」

 嵐に呼ばれて、が振り向いた。

「目を閉じろ」

 言われるままに、は目を閉じる。しばらくして、唇に柔らかい、温かい感触がした。これがキスなのだと気づいて、の頬が染まった。唇が離れたので目を開ける。嵐が、いたずらっぽい目で微笑んでいた。

「顔が真っ赤だ」
「だって……」

 その先が思いつかず、は嵐の胸に飛び込んだ。

「なぜそうなる?」

 そう言うものの、嵐はそっとを抱きしめた。
 暖かい部屋で、大きな窓にうつる青空を背景に、二人は一つのシルエットとなっている。しばらくそのまま、お互いの距離をゼロにしていた。

カミングアウト:終

 この話で嵐連載は終了となります。今まで読んでいただきありがとうございます、様。
 このヒロインとかでラヴラヴなのを書きたくなったら、番外にでもアップしようかと思ってます。
 しかし、最後は甘々になってましたね。キャラが違うし!!
 今までの感想などいただけたら、すごく嬉しいです。

      冬里