「一応、包帯しておくから。ムリして重い物とか持たないようにね」

 そして、お大事にと言う医者を背にして診察室のドアを閉めた。やっと、ギプスが取れたんだと思ってため息をつく。は自分のドジがついにケガをするまでに至った事実をひしひしと感じ取りながら、とぼとぼ病院の廊下を歩いた。

 ふと、目の前に異様な物があるのに気づく。
 キャスターつきのベッド。患者を手術室に運ぶのに使うものだが、その上に白いシーツをかぶった何かが乗っていた。シーツの中から手が伸びていて、モップをつかんでいる。そのモップを器用に動かして、ベッドを移動させていた。まるで、オールでボートをこぐ様に……。

「あやしいわ」

 気がつけばは、その異様な物体の後を追い、早歩きし始めていた。



陸王登場!





 途中で、みさとら球川小のメンバーが歩いているのを見つけた。

「みさと」
「あら、?」

 みさとが気づいて声をあげると、全員が振り返り、立ち止まった。その横を例の異様な物は通り過ぎていく。

「どうしたの、それ?」

 の腕の包帯を見てみさとが心配する。

「うん、ちょっとね。それより、あれ……」

 は、だんだんと距離をとっていく異様な物を指差した。みさとをはじめ、全員がその先を見る。
 異様な物は、階段を下りようとしているところだった。あぶない。その場にいる全員が思ったその時、ベッドの上のシーツがバサっと払いのけられ、モップが捨てられた。現れたのは、弾平である。

「弾平!」
「弾平くん!」

 その場にいた全員が口々にその名を呼んだ。球小闘球部エース、一撃弾平だ。弾平を乗せたベッドは階段を下りていく。はいち早く、それを追った。ドジだがこういう場合の反応は早い。
 ベッドはうまく踊り場を曲がり、再び階段を下りた。病院のホールを横切り、扉に向かう。はそれを走って追った。その後から球小メンバーが走る。

 外に出た時、ベッドは減速した。それを機には走るスピードを速めてみる。

「危ないじゃない、待ちなさい!」
「げっ、何だお前?」
「何だとは何よ! 人の名前くらい覚えておきなさいよ」

 そんな会話を交わしながら、はやっとのことで、ベッドの両脇をつかんだ。が、ホッとしたのもつかの間。急な下り坂があるのを忘れていた。ベッドは止まるどころか、を引きずり急スピードで坂を下りて行く。弾平はヘッドボードを、はベッドの両脇を、それぞれつかんだまま、足は宙に浮いていた。

 風が顔にあたり、ろくに息も出来ない。景色が流れていく。死ぬかも、とは目を固く閉じた。その後、何かにぶつかる衝撃を感じ、そのまま意識を失った。



「きゃああ、! 弾平くん!」

 が気を失う少し前。
 みさとの叫び声がそこら中に響いた時、坂を登って来る者がいた。赤色で長い、くせのある髪、たくましい体つきの男。彼は何を思ったのか、坂を猛烈な速さで下って来るベッドの前に立ちはだかり、構えた。
 ベッドが来る。
 その男はベッドを止め、その反動でベッドから投げ出されそうになった弾平を片手でベッドに押し戻し、その後でベッドから投げ出され宙を舞っていたを受け止めた。もちろん、片腕で、だ。
 坂の上から皆が弾平とを呼ぶ。
 男はを抱えたまま、助走し、片手でベッドを押した。ベッドは坂の上まで戻って行った。
 戻って来た弾平を、皆が押さえつける。
 みさとが、坂の下を見た。は相変わらず、その男に抱えられたままだ。得体の知れない、怖そうな男に身を預けているが心配でたまらない。
 尾崎キャプテンが、その男は陸王冬馬だと言った。試合中に相手チームを何人も病院に送ることで有名な、荒崎小闘球部のキャプテンらしい。それを聞いてみさとはますます怖くなった。にもしもの事があったら……。
 陸王はそのまま去ろうとしていた。みさとは、拳を握り締めて、勇気を振り絞って叫んだ。

を、返して」

 すると、陸王は不思議だ、とでも言うかのような表情をした。

「こいつは、お前さんたちのマネージャーか?」
「違う……」
「なら、俺がB・Aに届けた方がいいだろう」

 そう言って陸王は去って行った。
 どうして、がB・Aのマネージャーだと知っていたのだろう、とみさとは思った。



 相変わらず片腕でを抱きかかえたまま、陸王は歩いた。は気を失ったままだ。しばらく歩いた後、陸王は立ち止まってつぶやいた。

「連盟支部、どこかわからねえな」

 ため息をつき、を見る。罪のない寝顔を見せているその少女に、そうたやすく気絶するなよ、と突っ込む。その左腕に包帯が巻いてあるのに気づき、仕方なく、陸王は連盟支部以外の所を目指して歩き始めた。



 頬をなでる冷たい風。ざわざわと木の枝が揺れる音。ピーナッツの匂いが鼻をくすぐる。
 はゆっくりと目を開けた。
 最初に見えたのは、青い空だ。
 そして、次に見えたのは、顔だ。凛々しい顔つきに、赤い髪。その瞳は野生動物のように鋭いが、奥に温かさを感じる。

「気がついたか?」

 顔の持ち主は、そう聞いた。

「あなた、誰? 弾平くんは?」

 起き上がり、赤い髪の男の方を向く。すると、そのたくましい体つきをした男は、本当に何も憶えていないのか、とつぶやいた。

「陸王冬馬だ。一撃弾平なら仲間たちが連れて行った」
「もしかしてあなたが……」
 は改めて相手を見、つばを飲み込んだ。
「助けてくれたの?」

 陸王が、静かにうなずいた。

「あ、ありがとう」
「ところで、こっちからも聞きたいことがある。二つだ」
「何?」
「俺が、怖くないのか?」

 そう言って顔を近づけてきた。目は、真剣だ。
 どうして、怖がることがあるんだろう、とは思う。確かにいかつい体つきをしているが、助けてくれた人を怖がるわけがない。
 が首を横に振ると、陸王は驚きの表情を露わにした。

「荒崎小の陸王と言えば誰もが怖がるはずなんだが……」
「そうなの?」

 陸王は小学生なのか、ということでは驚いた。どう見ても高校生くらいの体格である。どうやったらそんなに成長できるんだろう、と不思議そうに見ていると、陸王は口の端を少し引き伸ばして、笑った。

「面白い奴だな。で、もう一つの質問だ」
「うん」
「腕をケガしてるのに弾平を助けようとしたのは何故だ?」

 そう聞かれて、は自分の腕を見た。ああ、これ? そう言って左腕を少し掲げる。手首から肘にまで巻きつけられた包帯が白く光っていた。

「何故って、わからない。何も考えてなかったし。でも、私ドジだから一人じゃ何もできないのに飛び出しちゃって……」

 バカだよね、と言って笑うに、陸王の目は釘付けになった。

 理由はよく分からないが、ホレた。と、そう思う。

「あ、そうだ。そろそろ戻らなきゃ。皆待ってる」
「ああ。この学校は物騒だから途中まで送って行こう」

 そう言って、立ち上がった。もベンチからおりる。
 立って辺りを見回して初めて気がついたが、そこは学校だった。校舎が見えて、何のクラブか知らないが、グラウンドでバッドや竹刀をぶつけ合っている生徒もいた。
 陸王の後について、は歩き出した。
 校門を出るまでにモヒカン刈りやリーゼントの人、タトゥーをした人やグラサンをした人という、いかにも怖そうな人たちを見かけたが、誰もが陸王に道を譲った。結構、怖がられてるんだなあ、とは思う。
 校門の、ラクガキだらけの壁の中に荒崎小学校という文字を見つけた。その名前のとおり、荒れた学校なんだとは思う。けれど、陸王みたいに助けてくれる人もいる。悪い人だらけだ、というわけではなさそうだ。

「すまないが、連盟支部がどこだか分からない」
「ううん、この辺に何か目印になりそうなスポットある?」
「球小の奴らがたまっている寺が割と近くにある。あれくらいだな」
「それなら知ってるわ。じゃあ、そこまで送って」

 はそう言って、微笑んだ。陸王はうなずく。何か胸に熱いものが込み上げているのだが、それは顔に出ない。ジーンズのポケットから袋を取り出し、中に入っていたピーナッツを口に入れ始めた。

「ところで、どうして私が連盟所属のチームだってわかったの?」

 しばらく歩いてから、は聞いた。

「今月号のドッジボールマガジンを立ち読みしたら、B・Aの記事があった。その中にお前の写真が載っていた」
「本当に?」
「そういえば、名前をまだ聞いていなかったな」

 風が吹いた。
 陸王の赤い髪が流れる。

「ごめんなさい、あなたの名前を聞いておいてまだ名乗ってなかったわね。私、よ。B・Aでマネージャーやってるの」
か……」

 陸王はの髪を撫でた。急なことで驚き、は身をこわばらせる。

「憶えておこう」
「あ、あの。私も、また後でお礼に来る」
「礼には及ばねえよ」

 ホラ、と言って陸王はの口を開けさせた。そこにピーナッツを入れる。
 餌付けされている鳥みたい、などと思いつつはそれを噛んだ。香ばしい味が口の中で広がる。

「おいしい」
「だろう? 元気も出る」

 そう言う陸王からピーナッツの香りがしているような気がする。ピーナッツが好きなんだなあ、と思った。



 寺にたどり着いた。
 あの長い石段の前で、はありがとう、と礼を言った。

「ここからなら、どうやって帰ればいいか分かるから」

 と、微笑む。
 陸王は、ああ、と低い声でうなずき、去ろうとした。

「そういえば、もう一つ聞きたいことがあった」

 に背を向け、少し距離をあけてから陸王は振り向きもせずに聞いた。

「今、付き合ってる奴とかいるのか?」

 急に何を聞いてくるかと思えば、それだ。
 少し驚いたが、はきっぱりと言った。

「いないわ。そういうの、よく分からないの」
「そうか。ならいい。またな」

 陸王は背を向けたままに手を振って見せ、歩き出した。
 その様子を、はしばらく見つめていた。





「遅いっ!」

 連盟支部に戻ると嵐は開口一番にそう叱った。

「一体、今までどこで油を売っていた?」
「油? ええと、いろいろあって陸王って人に助けられて荒崎小行ってて、それで遅くなった」
「荒崎小だと?」

 荒崎小、という言葉に、その場にいた者全員が練習の手を止めた。

「そんな所に行って、もしものことがあったらどうするつもりだった?」
「何も怒るようなことじゃないでしょ」

 そう言うと、嵐はの額を指ではじいた。
 かなりの痛みが走り、涙が少し出る。

「言っておくけど、これ、めっちゃくちゃ痛いんだから」
「分かってやっている」

 目元の涼しい顔に怒りの表情が浮かんでいる。それを見て思わずは、ごめんなさい、とつぶやいた。

「何かされたとか、そういうのは無いんだな?」
「うん。大丈夫」
「なら、いい。もうすぐ練習終わるから早くタオル取って来い」

 うん。そううなずいて、はボックスに走った。
 嵐とのやり取りを見ていたチームのメンバーは、ある意味で二人の世界が出来上がっていたのを感じ取り、和んだり妬んだりしていた。
 一人、高山だけが秋空を見上げて、

「春だな」

 誰にも聞こえない程度につぶやいた。


 ついに、陸王出しました。しかも、ちょっと原作よりです。陸王編はどうしても原作よりになってしまいそうな。
 次回、荒崎小潜入です。

      冬里