ナイトメア弾平たちとの試合以来、嵐は父と仲直りした。少なくとも、したつもりだ。朝食、夕食も一緒にするようになったし、会話も多くなったと思う。しかし、どこかぎこちない。もちろん、父は自然に接してきている。時折見せる笑顔も、昔見た者と変わらない。
弾平たちに負けてから五日目の朝。
「嵐、今日は練習何時までだ?」 すると、父はあからさまに、がっかりした表情を浮かべた。
「今日は、早く帰ってきてほしいんだよ」 ガタン、っと大きな音をたてて嵐はイスから立ち上がった。コーンフレークのボウルからミルクが飛び、テーブルにぴちゃりと落ちる。 「うちで預かるって、そんな話聞いてねえぞ?!」 驚きのあまり、仲直りしたのも忘れて父に食いかかった。そんなことも気にとめず、コーヒーカップを持ちながら、もう片方の手で嵐に座るようジェスチャーで言う。 「仕方ないだろう。こっちも急だったんだから。友人がね、フランスに行くはずだったんだが、行く予定していたその子供が急に行きたくないって言い出してね。急遽、うちで預かることになった」
ワガママな奴だな。
「で、それでどうしてオレが早く帰ってこないといけないんだ?」
中沢さんとは、この家のお手伝いさんだ。
玄関を入ると、父のクツの他に、女物のクツがあった。中沢さんのにしては、若すぎる。
ダイニングのドアを開けると、誰がそんなに食べるのかと言うほどたくさん用意した食事がテーブルに並んでいて、父と、女の子が席についていた。女の子は入り口に近い方にいて、こちらに後姿を見せている。 父の言葉で気がついたのか、立ち上がり、こちらを向いた。体の細い女の子だ。黒くて長い髪に、黒いワンピースが肌の白さを強調している。 「は、はじめまして、嵐くん! 私、っていいます。よろしく」 そう言って頭をさげ、その後で手を差し出してきた。握手、ということだろうか。仕方なく嵐も右手を出す。は、笑顔で手を握って、それから離した。
「今、ちゃんがどうしてフランス行かなかったか聞いてたんだ」
「そうだ、嵐。食事が終わったらアトリエに来なさい」 気づくも何も、画伯なんて知らない。
「ちゃんを預けるからって、わざわざ彼が描き下ろしてくれたんだ。後で見せてもらおう」 芸術家の息子だが、それを思わせないくらい嵐は芸術にあまり関心がない。むしろ、関心を持とうとしなかった。母は、父の芸術家魂によって父に看取られることなく死んでいったのだから。それが母のためであったと知った今でも、芸術に関心を持とうとは思わない。
「そんなこと言わずに、見てよ。超レアなんだから。十年後には億単位でオークションに出せるくらいよ」 やはり、この二人にはついて行けない。嵐は、これからのことを考えながらため息をついた。
九ノ助をカゴから出し、部屋の中を自由に飛び回らせ、自分はベッドで仰向けになっていると、コツコツと部屋をノックする音がした。
「入っていい?」 返事をすると、ガチャっとドアを開けた。すると、九ノ助が何者かとそっちに飛んでいく。たぶん、足で引っ掻くだろう。九ノ助は嵐と高山以外には懐かないのだ。 「きゃあ、何? 鳥?」 案の定、入ろうとしてきたに九ノ助は襲い掛かった。ばさばさと羽の音がする。
「ダレダ、ダレダ」 鳥に自己紹介する奴はそういない。変な奴だ。しかし、そろそろ九ノ助を止めた方がいいな。と、嵐はベッドから立ち上がった。 「九ノ助?」
ありえない光景だった。 「やっと、落ち着いてくれた。この子、九ノ助っていうの? かわいいね」 そう言って、天使のような笑顔を見せる。その横で、照れくさそうに見えなくもない九ノ助。
「何か用か」 そうだ、ここで言いたいことは言っておかないと。そう思って、なぜか九ノ助も一緒に部屋を出て行こうとするを、嵐は呼び止めた。
「学校だが、オレと同じなんだな?」 普通、男子と女子で一緒に行くのは嫌だろう。こいつは、何か変だ。 嵐は調子が狂うのを感じつつ、どうしてもだ、と言い切った。
「それから、学校ではオレとは初対面ってことにしろ。一緒に暮らしていることを言うのは言語道断」 が、顔を曇らせた。何か問題でもあるのだろうか。どうした、と嵐が聞くと、九ノ助の頭をゴシゴシこするようになで始めた。見ているこっちがハラハラする。
「そのうち、知られるかもしれない」 何のことか分からない。嵐がどういうことか聞こうとするとは、なんでもない、と言い、九ノ助を置いて部屋を出て行った。
いつもよりゆっくり朝食を食べ、嵐は家を出た。
「おい、嵐、聞いたか?」
もう、噂が伝わっているとは。しかし、あいつは可愛いのか? 昨日は何も感じなかったが……。
「で、その転校生うちのクラスじゃないだろうな」
どこからそんな情報を手に入れてくるのだろう。この友人のことが嵐には、未だによく分からない。
「そうだ、今日は皆に新しい仲間を紹介する」 先生の言葉に、皆がざわついた。中には調子に乗って、待ってましたと叫ぶ奴もいる。というか、友人だ。 冗談じゃない。最悪だ……。 浮かれているクラスの中、一人、沈んだ表情をしている嵐。
「御堂、どうした? 顔色悪いぞ?」
ガラっと戸が開く。
「です。よろしく」
終
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冬里