ナイトメア

 弾平たちとの試合以来、嵐は父と仲直りした。少なくとも、したつもりだ。

 朝食、夕食も一緒にするようになったし、会話も多くなったと思う。しかし、どこかぎこちない。もちろん、父は自然に接してきている。時折見せる笑顔も、昔見た者と変わらない。



 オレの方が、ぎこちないのか。



 母が亡くなって以来、父を憎んできた。話し掛けてくる父を無視し、顔を合わさないようにしてきた分、今になって仲良くしようにも、どうすればいいのか分からないのかもしれない。

 弾平たちに負けてから五日目の朝。

「嵐、今日は練習何時までだ?」
「いつも通り、九時ぐらい」

 すると、父はあからさまに、がっかりした表情を浮かべた。

「今日は、早く帰ってきてほしいんだよ」
「どうして?」
「うむ。うちでしばらく預かることになった子が今日来るんだよ」

 ガタン、っと大きな音をたてて嵐はイスから立ち上がった。コーンフレークのボウルからミルクが飛び、テーブルにぴちゃりと落ちる。

「うちで預かるって、そんな話聞いてねえぞ?!」

 驚きのあまり、仲直りしたのも忘れて父に食いかかった。そんなことも気にとめず、コーヒーカップを持ちながら、もう片方の手で嵐に座るようジェスチャーで言う。

「仕方ないだろう。こっちも急だったんだから。友人がね、フランスに行くはずだったんだが、行く予定していたその子供が急に行きたくないって言い出してね。急遽、うちで預かることになった」

 ワガママな奴だな。
 嵐は甘えん坊に育った小太りの男子を思い浮かべた。

「で、それでどうしてオレが早く帰ってこないといけないんだ?」
「決まってるじゃないか。今日はその子の歓迎会だ。中沢さんにご馳走つくってもらおう」

 中沢さんとは、この家のお手伝いさんだ。
 嵐は、居候が来ることですっかり嬉しくなっている父を見てため息をついた。こっちの事情も聞かず、勝手に子供を預かるなんて。だめだ、こんな父と仲良くできる自信がない。
 嵐は、ダイニングから出て、ユニフォームや教科書がつまっている大きなカバンを持ち、家を出た。





 しかし、練習が終わると嵐はすぐに家に帰った。
 夕方の六時。いつもより早い帰宅にチームのメンバーは何かあったのかと心配した。たしかに、何かあった。居候が来るのだから。

 玄関を入ると、父のクツの他に、女物のクツがあった。中沢さんのにしては、若すぎる。



 もしかして、居候というのは……。



「嵐、遅かったな。待ってたぞ」

 ダイニングのドアを開けると、誰がそんなに食べるのかと言うほどたくさん用意した食事がテーブルに並んでいて、父と、女の子が席についていた。女の子は入り口に近い方にいて、こちらに後姿を見せている。

 父の言葉で気がついたのか、立ち上がり、こちらを向いた。体の細い女の子だ。黒くて長い髪に、黒いワンピースが肌の白さを強調している。

「は、はじめまして、嵐くん! 私、っていいます。よろしく」

 そう言って頭をさげ、その後で手を差し出してきた。握手、ということだろうか。仕方なく嵐も右手を出す。は、笑顔で手を握って、それから離した。

「今、ちゃんがどうしてフランス行かなかったか聞いてたんだ」
「やだ、おじさん、恥ずかしいからもう言わないで!」
「ははは、じゃあ二人だけの秘密にしよう」
「約束よ!」



 なんだ、この雰囲気は。
 まるで、オヤジとが本当の親子で、オレが居候みたいじゃないか。



 不機嫌になりながら、嵐はいつもの席についた。の横だ。
 それを合図に、いただきます、と父とが手を合わせて食べはじめた。嵐も箸を動かす。テーブルの上を見ると、どれも嵐の好きなものだった。

「そうだ、嵐。食事が終わったらアトリエに来なさい」
「何か用か?」
、という名前でもう気づいていると思うが、ちゃんはかの有名な画伯の娘だ」

 気づくも何も、画伯なんて知らない。

ちゃんを預けるからって、わざわざ彼が描き下ろしてくれたんだ。後で見せてもらおう」
「オレはいい。興味ない」

 芸術家の息子だが、それを思わせないくらい嵐は芸術にあまり関心がない。むしろ、関心を持とうとしなかった。母は、父の芸術家魂によって父に看取られることなく死んでいったのだから。それが母のためであったと知った今でも、芸術に関心を持とうとは思わない。

「そんなこと言わずに、見てよ。超レアなんだから。十年後には億単位でオークションに出せるくらいよ」
「こら、ちゃん。芸術を何でも金銭的な価値で置き換えるのは良くない」
「ごめんなさい。でも、お金の価値で言う方が分かりやすいんです」

 やはり、この二人にはついて行けない。嵐は、これからのことを考えながらため息をついた。





 だいたい、あの女はいつまで家にいるつもりだ。同じ屋根の下で、今まで会ったことのなかった人と暮らす。しかも、女の子だ。



 ふざけるな。



 学校も、同じだろう。家は、時間をずらして出ないと。もちろん、一緒に住んでいることは秘密にしてもらう。

 九ノ助をカゴから出し、部屋の中を自由に飛び回らせ、自分はベッドで仰向けになっていると、コツコツと部屋をノックする音がした。

「入っていい?」
 の声だ。
「ああ」

 返事をすると、ガチャっとドアを開けた。すると、九ノ助が何者かとそっちに飛んでいく。たぶん、足で引っ掻くだろう。九ノ助は嵐と高山以外には懐かないのだ。

「きゃあ、何? 鳥?」

 案の定、入ろうとしてきたに九ノ助は襲い掛かった。ばさばさと羽の音がする。

「ダレダ、ダレダ」
「九官鳥? もう、目の前でバサバサさせるのやめてよ」
「オマエ、ダレダ」
よ。よろしく。だから大人しくして」

 鳥に自己紹介する奴はそういない。変な奴だ。しかし、そろそろ九ノ助を止めた方がいいな。と、嵐はベッドから立ち上がった。

「九ノ助?」

 ありえない光景だった。
 九ノ助が、大人しくの腕にとまっていた。初対面の者に懐くはずのない、九ノ助が。
 は、九ノ助の頭をなでている。

「やっと、落ち着いてくれた。この子、九ノ助っていうの? かわいいね」

 そう言って、天使のような笑顔を見せる。その横で、照れくさそうに見えなくもない九ノ助。



 お前はムツゴロウか。



 少し引いている嵐に、は近づいて来た。

「何か用か」
「うん、アトリエ来ないかなって思って」
「さっき行かないと言っただろう」
「やっぱりそうかあ。残念」

 そうだ、ここで言いたいことは言っておかないと。そう思って、なぜか九ノ助も一緒に部屋を出て行こうとするを、嵐は呼び止めた。

「学校だが、オレと同じなんだな?」
「うん、この近くのでしょ? よろしくね」
「そのことだが、登校は別々にしよう。オレが先に行く。お前が後から家を出ろ。いいな?」
「えー、どうして?」

 普通、男子と女子で一緒に行くのは嫌だろう。こいつは、何か変だ。

 嵐は調子が狂うのを感じつつ、どうしてもだ、と言い切った。

「それから、学校ではオレとは初対面ってことにしろ。一緒に暮らしていることを言うのは言語道断」
「むずかしい四字熟語知ってるんだねえ」
「分かったのか?!」
「うん、わかりました。登下校は別々、絶対に一緒に暮らしてることを言わない……でもね、」

 が、顔を曇らせた。何か問題でもあるのだろうか。どうした、と嵐が聞くと、九ノ助の頭をゴシゴシこするようになで始めた。見ているこっちがハラハラする。

「そのうち、知られるかもしれない」
「知られないように、するんだろ?」
「うん、だけど、知らない間に知られたらどうする?」
「……は?」

 何のことか分からない。嵐がどういうことか聞こうとするとは、なんでもない、と言い、九ノ助を置いて部屋を出て行った。





 翌日。



 転入の手続きを取るため、は父と早めに学校に行った。前から連絡はしてあるけれど、一応挨拶に行かないとな。そう言って父はスーツを着こみ、張り切っていた。長髪とヒゲにスーツは似合わない。などと思いつつ、嵐はとりあえず安心した。これで、初日から一緒に暮らしていることがバレる危険は去ったわけだ。

 いつもよりゆっくり朝食を食べ、嵐は家を出た。



 教室に着くと、ほとんどの人が教室にそろっていた。朝の会が始まる十分前。いつもよりざわついているのは、気のせいだろうか。

「おい、嵐、聞いたか?」
 友人が、席についてカバンを下ろしている嵐の元に来た。
「転校生が来るんだってよ。それが、すごく可愛い子でさあ」

 もう、噂が伝わっているとは。しかし、あいつは可愛いのか? 昨日は何も感じなかったが……。
 嵐は教科書やノートを机の中にしまいこみ、イスに座った。

「で、その転校生うちのクラスじゃないだろうな」
「わからねえ。同じ学年らしいけどな」

 どこからそんな情報を手に入れてくるのだろう。この友人のことが嵐には、未だによく分からない。
 あいつが同じクラスになる可能性は低いだろう、と嵐は思った。この学年は全部で四クラスある。確立で言えば四分の一。めったに当たりクジを引かない数字だ。



 ガラ、っと教室の戸が開き、先生が入ってきた。一人で、入って来たのを確認して嵐は胸をなでおろした。
 立っていた者は、あわてて席についた。静かになったところで、先生が朝の会を始めると言った。日直が起立、礼の合図をし、皆がそれに従う。そして、いつも通りの、平和な朝の会が始まるのだ。

「そうだ、今日は皆に新しい仲間を紹介する」

 先生の言葉に、皆がざわついた。中には調子に乗って、待ってましたと叫ぶ奴もいる。というか、友人だ。

 冗談じゃない。最悪だ……。

 浮かれているクラスの中、一人、沈んだ表情をしている嵐。

「御堂、どうした? 顔色悪いぞ?」
「いえ、なんでもないです、先生」
「なら、よかった。じゃ、さん入って来なさい」

 ガラっと戸が開く。
 皆がそこに注目した。やがて、歓声があがる。



 なんだ、このノリは。



 興奮するクラスで、一人冷めた顔をしながら教壇を見つめる嵐。
 は、とことこ歩いて先生の横に立った。

です。よろしく」



 悪夢だ、と嵐は思った。


 はい、なぜか嵐で始めてしまった連載モノです。
 ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
 さんは、この後どうなるやら。・・・つづきます。

      冬里