Angel Eyes

――4.クラブ・ボックス ――

 があらかじめ、嵐が昨日体の調子が悪いと言っていたと有り難い嘘をついてくれていたため、メンバーから心配されこそはすれ、責められるようなことはなかった。

 今日も遅くまで練習をし、ボックスに戻った。もう廊下は暗くなっている。
 そして、ボックスを開けるとが一人でいた。
 高山は先に帰っていた。久しぶりにボックスでと二人きりだ。
「遅くなったな」
 そう声をかけても、はうん、と返事をするだけでこちらを見ようとしない。机の上にあるファンからの手紙や差し入れに目を通すのに精一杯なのだ。とりあえず、着替えに更衣室のドアを開く。に相手してもらえないのか、九ノ助も一緒に入った。



 着替えて、ボックスに戻るとはまだ手紙に目を通していた。
 嵐はの斜め向かいに座り、差し入れの山を見る。嵐から見て机の右側が、嵐に宛てたもの。左側が高山宛て。真ん中は宇佐美だ。そして、の横のイスに置いてあるのが、に宛てたものだ。マネージャーであるにもかかわらず、人気がある。それはの容姿によるものだろう。
「あーあ」
 読み終えた手紙を横のイスに放り出し、机の上に突っ伏した。
「黙ってたのになあ、あの彫刻のこと。恥ずかしいよ」
「彫刻?」
「うん。さっき言ったけど、おじさんにモデル頼まれたやつ。市内の美術館でおじさんの作品展があって、そこで展示されてるの。嵐くんなら、もう見てるよね」
 顔をあげて、嵐の方を見るの瞳は、潤んでいる。
「いや、見ていない」
 嵐は、嘘を言った。あれを見たというのを知られたくはなかった。
「よかったー」 安堵と共に、は笑顔になった。「嵐くんだけには、見られたくなかったのよ」
「オレにだけは?」
 何を言っているのだろう。どういう意味だろう。考え込む体勢に入ろうとしたところでが、彫刻のことについて説明しだした。それは裸で、体育すわりをしたポーズのものだと言ってはため息をついた。
「ファンレターくれるのは嬉しいけど、あの彫刻見ましたっていうのは勘弁よ。どこからそんな情報引き出したのかなあ。もう」
 もう、の所で立ち上がり、ファンレターや贈り物をカバンに詰め込み始めた。
 あの彫刻を、他にも見た奴がいるのか。そう思うと、忘れていた苦しみが嵐の胸の底から湧き上がってきた。あの、巧妙に彫られた足や、全身を見た奴がいる。当たり前だ。父の作品展だから、一日に数百人の人があれを見ていることだろう。しかし、モデルであるを知っている者がそこに含まれているとなると、そうなると、苦しくなる。
「もう遅いし、帰ろうか」
 そう言われて、嵐は立ち上がった。
「ファンレターとか、差し入れとかは? 持って帰らなくていいの?」
「いい。返事を書いている暇はない」
「食べ物もあるのに?」
「欲しかったら、やる」
 もったいないなあ、と言ってが嵐の方に近づき、嵐宛ての山から菓子類を選び出した。下ろした髪がさらさら流れて、嵐の腕にふれた。菓子は全部で六個。どれもが手作りのクッキーやカップケーキといった類のものだ。選び出すの人差し指に、バンソウコウが巻きつけてある。
「嵐くん、モテモテ」
 と、頬をふくらませ、両手で菓子を持ちながら言う。
「指、どうした?」
 聞くと、はそっぽを向いて、机に置いてあるカバンに菓子を詰め込みだした。
「誰かさんがおモテになるから、私がこういうことになるんです」
「どういうことだ?」
「嵐くん待ってる間に、通算七通目のカミソリつきレターをいただきました」
 自分のファンからの嫌がらせか。なぜ、にそういうものが来るのだ。マネージャーで、B・Aの一軍メンバーと仲がいいからか。
「すまない」
 何かを言わずにはいられなかった。自分のせいでの身に傷がついたのだから。
「嵐くんが謝ることないよ。でも、ファンの中で好きな人いないの?」
 どこからそういう話の流れに持っていけるのか。不思議だ。ファンクラブメンバーでも、名前と顔が一致する者がいないのに、どうして好きになることができるのだ。そう言うと、は、
「そっか。好きな人がいるんだったら、ファンに公表しといてほしいな。じゃあ、矛先がそっちに向くのに」
 と言って、伏し目がちになった。頬までかかりそうな、長いまつ毛。のその一言が、嵐の中で大きくこだました。さっきから、こっちの調子が狂うようなことばかり言う。
「帰ろう」
 珍しく、嵐から促してボックスを出た。がカギを閉める。その横顔はどこか悲しそうだ。スカートから伸びている足は、相変わらず形が良い。
 二人とも、黙って廊下を歩いた。暗い。足元灯と、非常口の緑のランプがついているだけだ。
 受け付けでカギを返して、連盟支部から出た。もう、暗い。が一人で帰るのは危ないだろう。最近、女の子を狙った通り魔の事件が全国各地で多発しているらしい。
「遠回りになるし、私はここでいい」
「いいや、送る」
 無理にそう言って、二人で並んで歩いたが、今日は黙ったままだ。この状態はつらい。が言ったことや、あの彫刻をいろんな人が見たことが重くのしかかり、胸の中でうずまく。せめて何か喋らなければ、苦しくなるだろう。
「あのね、」が沈黙を破った。「私、あの彫刻のモデルになったけど、裸になってないのに、みんな勘違いして。ファンレターで、本当に裸になったさんを見れたようで嬉しかったです、みたいなこと書いてきた人がいっぱい、いて……」
 は、父の前で裸になっていなかったのか。その衝撃が強く、が泣いていることに気づいたのは、少し経ってからだった。それから、その手紙を書いた奴らに対する怒りが徐々に湧いてきた。
 の肩が上下に、小刻みに震えている。その肩に手をのせ、立ち止まらせた。すると、が静かに、嵐の胸によりかかった。泣いている。
「ごめんね」
 近くに、の頭がある。手が、自分の胸をふれている。体全体が、自分に触れている。鼓動が強く、激しくなった。どうにかしそうだ。ふと、強く抱きしめたい衝動にかられた。そんなことをしたら、いけない。道には二人しかいないが、しかしがどう思うか。
 そのは、まだ泣いていた。嵐のTシャツをつかんでいる。それを見て、どうでもよくなった。両腕を背中に回し、抱きしめた。の肩がビクっと大きく震えたが、すぐに治まって、身を預けた。
「ドキドキする。私、嵐くんのこと好きだから」
 さらりと言うに、また調子が狂わされた。泣きながら、か細い声で自分のことが好きだと言う。夢を見ているみたいだ。
 今、この瞬間、を独占できたような気がして、七対零で試合に勝った時のような気持ちになった。嬉しいのだ。父も、彫刻を見たファンの奴らも、こうやってに触れたことはない。
「嵐くんは?」
 そう言って見上げてきた。涙に濡れた目が街灯に照らされていて、輝いている。天使のような目だと思った。
「私のこと、どう思ってる?」
「オレは……」
 どう答えて良いか分からずに、しばらくとまどった。頬が熱い。
「やっぱり、他に好きな人がいるんだね」
 自分の胸から離れようとするを、さらに抱き寄せた。逃げられるようで、怖い。こういう大胆な行動に出られるのは、辺りが暗いせいか。
「オレは、の足が好きだ」
「足?」
 さっきまでか細かった声とは打って変わって、高い、いつも通りの声だ。
「どうして、足なのよ?」
 自分を見上げて、怒っている。もう、涙は乾いていた。ここまできたら、もう何をやってもいいような気がする。ぷっくりと形のいい唇に、自分のを重ねた。すぐに、離す。
「ひゃあ」
 驚いて、は離れた。
「びっくりしたじゃない」
「さ、行くぞ」
 嵐は、歩き出した。待ってよ、と言ってもついて来る。
「あ、嵐くん、さっきの……」
「うるさい」
 やってから、心臓の音がうるさくなった。顔全体が熱い。
 しかし、これでを独り占めできるのかと思うと、嬉しくなった。そうだ、あの胸の苦しさはを独占できなかったから苦しかったのだ。
 機会があれば、また父の作品展に行っても良いと思った。あの、の彫刻を、今度はよく見ることが出来るだろう。

Angel Eyes:完

ここまで読んでくださり、ありがとうございました、様。
あんまり考えずに書いたので、嵐ファンの方にとっては不満だったりするかもしれませんが、感想(苦情も含めて)があれば、BBSか拍手でお願いします。
      冬里

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