――2.回想 ――
春だというのに、日差しが強く暑い日だった。
ブラックアーマーズ一軍のマネージャー、はその日も選手たちの間を走り回り忙しそうにしていた。一軍、つまりレギュラー専属のマネージャーは一人しかいない。コートを引き、洗濯をし、プロテクターを拭き、スポーツドリンクやタオルを選手に配り……その他様々な仕事がある。
休憩時間になっても、は休む暇もない。一体、あの細い体のどこにあんなパワーがあるのか。それともあいつは、止まったら死ぬ生き物なのだろうか。嵐はいつも、そう思う。
「暑いなあ、もう」
などと言い、はジャージを脱いで短パンになっていた。惜しげもなく、足をさらす。彼女が動くたびに足の筋肉が動く。ふくらはぎの丸みを帯びたラインは太陽の下、まぶしかった。いつの頃からか、嵐は気がつけばの足を目で追っている、という日が続いていた。その日も、そうだったのだ。
しばらくして、目の前にその足が近づいて来た。くびれた足首と大きなシューズにギャップがある。ひざには土が少しついていた。
「さっきからぼうっとしてるけど、大丈夫?」
突然あらわれた顔にドキリとする。が座り込み、嵐の顔を覗き込んだのだ。小顔の、整った顔立ち。目は大きく、まつ毛は長く、唇はぷくっと弾力がありそうだ。その顔を見て亡くなった母を思い出した。母とは似ていないのにもかかわらず。
「大丈夫だ」
渡されたペットボトルのスポーツドリンクに口をつけ、から目をそらした。
「良かった。暑いから、具合でも悪くなったかと思っちゃった」
が地面をけって去る音がした。他のメンバーにも配りに行ったのだろう。実際、後ろの方で高山や宇佐美らが礼を言う声が聞こえた。
「嵐くん、来月度のコート申請出してくるから、あと三分たったら練習再開しておいてね」
昨日作成しておいた書類の締め切りがその日までだった。連盟支部の事務室まで走って行くの後を、九官鳥の九ノ助が追う。九ノ助は嵐と、高山と、にしか懐かない。練習の間はが面倒を見ていた。
九ノ助とかけっこをするように走る。あの足は陸上選手の足ではないか。マネージャーをするより、学校の陸上部に入った方が彼女のためになるんじゃないか。しかし嵐は一方で、にマネージャーを辞めてほしくないと思っていた。有能なマネージャーだ。九ノ助も懐いている。他に誰が彼女の代わりになるだろう。それに、あの足が動くのを見れないとなると寂しくなる。そう、寂しいのだと気づいて嵐は我に帰った。一体、何を考えていたのだ。気を取り直し、立ち上がって大声を張り上げる。
「練習再開!」
その日の練習は日が暮れるまであった。しかし嵐は、皆がシャワーを浴びて帰った後も自主トレーニングを続けていた。いつも嵐に付き合う高山は、家の用事があるからと言って帰った。一人、グラウンドに残り新たな必殺技を完成させるべく特訓する。辺りが暗くなり、連盟支部に灯りがつき始めた。
遅くなったので用意をして帰れと連盟の職員に言われ、仕方なくボックスに戻った。もう事務室も閉まっており、廊下も足元灯を残して他は暗い。また練習に夢中になってしまった。ボックスのカギはまだ開いているだろうか。ぼんやり考えながら廊下を進み、ボックスに着く。
「だれかいるのか」
ドアの隙間から灯りがこぼれている。ドアを開けると、そこにはと、九ノ助がいた。
「遅くまでお疲れ」
少しムスっとした声で、嵐にタオルを投げつける。はまだ乾ききっていない髪をくしゃくしゃにしていて、裸足だった。
靴と靴下を横に放り出し、自分はパイプイスに座って足を揺らしていた。
「あまりムチャしないでよ、もうすぐ試合なんだから」
「だから、練習していた」
それを聞いてはため息をつき、イスの下に置いてあったバッグからタオルを取り出した。足をまげてかかとをイスに乗せ、足を拭き始めた。整った指、爪。窪まった土踏まずのラインがきれいだ。ふっくらとした、ピンク色のかかと。くびれた足首。いつの間にかの足に魅入っていた。
「私だって待つの大変なんだから」
足を拭き終わり、タオルをバッグに投げ入れてから今度は靴下をはき始めた。短いソックスがその足を隠してしまうのが惜しい。
「早く着替えて来て。さっき警備のおじさんが来て、早く帰れって言われたし」
そう言われ、あわてて足から目線をそらし、更衣室に向かった。それからにさっきから言われっぱなしなのに気づき、仕返しに何か言ってやりたくなり、
「貴様こそ、太い足をいつまでもさらしてんじゃねえぞ」
更衣室に入ってドアを閉めると、後ろで嵐に何か叫んでいる声がした。気にせずに、着替えた。しかし先程の嫌味は自分がの足を見ていたことを暗に言っているようなものだ。相手は気づいていないようだが、しかし言うべきではなかったな、と後悔する。
更衣室を出ると、が「フトイアシ」と喋ってからかう九ノ助と追いかけっこをしていた。普段はマネージャーでテキパキしていて、しっかりとした雰囲気をかもし出しているのに、こういう場面を見ると本当に自分と同じ学年かと疑ってしまう。
嵐に気づいた九ノ助が、彼の肩に止まって、そのかけっこは終了した。は嵐を見て、さすがに先程までの行動を見られて恥ずかしいと思ったのか、頬をピンク色にそめ、
「じゃあ、出るわよ」
と、ボックスの鍵を取り出した。見ると、まだ短パンのままだ。そのまま帰るらしい。少し、安心した。
帰りは、夜道で危ないのでを家の近くまで送ることにした。
「ファンの子がこの場面見たら、私、殺されるよ」
と言いつつも、笑いながら、素直に嵐と並んで歩いた。いつも遅い日は高山と一緒に三人で帰るのだが、その日は二人。
俺の方こそ、のファンに見つかったら殺される。
さすがにそんなことは言えない。
今完成させようとしている必殺技のこと、チームメイトのことなどを話し、時々九ノ助が喋って……二人でも気まずくなることのなく、割と楽しく帰れて、なんだかくすぐったいような気分になった。