白昼堂々
その日、は非番であったので京都河原町通りを歩いていた。
一人ではない。
新選組八番隊々長、藤堂平助と一緒である。共に非番だというので河原町で評判の甘味処に行くのだ。
藤堂は唯一、の正体を知る人物である。
。新選組に身を置く隊士だ。総髪、後ろにたらした大たぶさ、それに前髪を残すという髪形で、まつ毛の長い美しい目をしている。その姿は女と見間違うばかりだ。
いや、見間違いではない。は女である。
女の身でありながら、男装して新選組にいるのだ。
今まで何度か女と疑わたのだが、新選組で活躍しているうちに皆がを男と認めた。第一、大の男でも入れば毎日ひいひい言わざるを得ない新選組に、女が入るはずがない。そういうことだ。
「はいつも頑張ってるから、今日は俺が奢ってやらあ」
藤堂は笑った。この男も美男であり、と二人で歩いているとよく兄弟かと言われる。周りがそう言うのもあってか、藤堂はを弟か妹かのように可愛がっていた。
「やった! 何を食べようかな……」
もうすぐ店に着く。前を見ていると、向こうの方から異様な男がやってくるのに気づいた。
大男である。
ぼさぼさの髪、しわだらけの袴。桔梗の紋がくたびれて見える。
汚らしい男だ、まさか不逞浪士か? は身構えた。
その男は腕が立つだろう、ということはすぐに察しがつく。歩き方ひとつとっても、すきが無い。
「藤堂先生」
「ああ。あれは、坂本竜馬だ」
藤堂はの言いたいことを察しながらも、穏やかに答えた。
坂本竜馬、という人名を聞いて、の顔色が変わる。
「坂本竜馬って、千葉道場の塾頭の?」
そうだとすれば、江戸で名の知れた剣客である。も江戸にいる頃、そしてまだ女の姿であった頃、その名前は江戸中で有名になっていた。しかし会ったことはないため、見ず知らずの千葉・塾頭を勝手に想像していたものだ。
まず、美男である。すらりと背が高い。笑顔がさわやか。おしゃれ、うんぬん。
しかし今、こちらに近づいて来る竜馬は、背が高いということしかの想像に当てはまっていない。
がっかりした。
竜馬はだんだんとこちらに近づいて来る。私服であるため、二人が新選組隊士だと分からないらしい。しかし、
「おお、おまんは藤堂やか」
藤堂に気づいたのか、手を振ってこちらに駆け寄って来た。
なんて大胆な男だ、とは驚いた。新選組隊士と分かっていて話し掛けるとは。
「覚えていて下さったのですか、坂本さん?」
藤堂は嬉しがっていた。確か、藤堂も千葉門出身である。もっとも、竜馬は桶町道場、藤堂はお玉ヶ池道場だ。それでも塾頭の竜馬に一度か二度は教えを受けたことがあるのだろう。藤堂が竜馬に憧れていても不思議ではない。
しかし、「坂本さん」はないだろう。相手は土佐を脱藩しているかもしれない不審人物なのだ。はムッと眉をひそめた。
そこで竜馬がを見て、ほお、と声をあげる。
「まっこと、きれえな女子ぜよ。新選組におるのがもったいない」
「女子?!」
は顔を真っ赤にした。竜馬に一目で女だと見破られたのである。
「さ、さ、坂本さん! は、お、女じゃない。そんなことを言うのは、し、失礼じゃないですか!」
藤堂は焦りながら竜馬をたしなめた。その慌てた様子であれば「その通りは女です」と言っているようなものだ。前に同じようなことがあった時も、藤堂はそんな調子だった。嘘がつけないたちなのだ。だからは藤堂の補足として、自分で自分が男だと述べようとした。ところが竜馬は、
「男じゃったがか」
と、信じた。
バカだ、とは思う。を一発で女と見抜く洞察力を持っていながら、藤堂の言うことは疑わずに信じるとはどういうことだ。
それがこの男の良さなのだろう、と気づき、は可笑しくなってきた。必死に笑いをこらえる。
竜馬は頭をかきながら、に女と間違えたのを詫びた。本当にすまないことをした、という様に謝る。その様子が、エサのおあずけを喰らった飼い犬のようなのだ。大人の武士らしくもない。はまた笑いをこらえた。
「けんど、めえった」
土佐弁を使われても意味が分からない。悪さを親に見つかった少年のような表情を浮かべているので、困った、ということらしい。
「おんしは男だと言うが、俺ぁ、おんしを女子だと思っちょったががやき、おんしに惚れてしもうたがぜよ」
顔を赤らめている。しかし土佐弁なのですぐに意味が把握できない。
「さ、坂本さん?」
藤堂が驚きの声をあげた。見ると、竜馬より藤堂の方が顔を真っ赤にしている。竜馬の言ったことの意味が分かった途端、はこらえきれずに笑い出した。
そのくせ、何が可笑しいのかは具体的に分からない。たぶん竜馬の様子が、およそ剣客に似つかわしくないからだろう。それに、不思議とは竜馬の人柄に惹かれつつある。 に笑われて、恥ずかしくなったのか、
「ほんなら、いぬるぜよ!」
土ぼこりをたてんばかりに走り去って行った。
はその後ろ姿を目で追う。行ってしまった、というのがどことなく寂しい。
「不思議な人だったろう?」
藤堂の言葉にうなずいた。藤堂が自分の立場を忘れて「坂本さん」と呼んでしまったのが分かる気がする。
竜馬の背中がだんだん小さく見えていく。行こうか、と進もうとする藤堂にうなずき、後ろ髪引かれる思いで前を見ようとした。
その時、道の向こうで竜馬がこちらを振り返った。そして、通行人を押しのけながらもの凄い速さで走って来る。はその場で固まったように動けなかった。
「、ゆうたかのう?」
大声で言うので通行人が皆、振り向いた。はうなずく。
「おんしゃあ、船は好きなが?」
唐突である。しかし、
「はあ、好きですよ?」
は即答した。船というより海が好きなのだ。あの広い海の向こうには何があるのだろう、と子どもの頃はいろいろと想像したものだ。その海の向こうから、黒船がやって来た。今は周りと同じように尊皇攘夷を称しているが、は黒船みたいな鉄の塊がどうして海に浮かぶのかを知りたい、と密かに思っている。
「船も、海も好きです」
もう一度答えた。
「ほんなら、決まりじゃあ!」
ぱっと明るい笑顔を浮かべたかと思うと、に飛び掛ってきた。とっさに身構えて攻撃に備えたものの、気がつけばは竜馬の肩にかつがれていた。
「坂本さん、に何をするんですか?」
藤堂が叫んだ。竜馬は歩き出しながら、
「は死んだ、っちゅうことにしとけ! 俺あ、に世界ちゅうもんを教えちゃる」
藤堂が何を慌てているのか分からない、といった風だ。も、自分がどうなっているのか分からない。
「は土佐脱藩浪人に斬られて死んだぜよ。遺体は鴨川に落ちたゆうておけ」
「そんな、ムチャですよ!」
「知らん!」
そんな藤堂との問答を早く切り抜けようと、竜馬は走り出した。はその振動で、ゆらゆらと波のように体を揺さぶられていた。
しばらく走った後に、竜馬は走りやめて歩きだした。
「おんしは女じゃったがか」
を担いでいる間に気づいたのだろう。
「はい」
返事をすると、竜馬は笑った。
「大胆なことをしますね。新選組隊士を白昼堂々と拉致するなんて」
「のせいじゃきに」
すねたような声で言う。はまた可笑しくなってきた。まったく、この男のやることは突拍子もない。そのくせ少年のような面を持っている。
――なんというか、かわいい。
新選組では大騒ぎになるだろう。しかし、この不思議な男について行くのも悪くはないとは思った。
「いつまで担いでるつもりです? 重たいでしょう?」
「いんにゃ」
まだこのままでいると言う。はその言葉に甘えることにした。
落ち着いてみると、なんだか海の匂いがする。
それが坂本竜馬からする匂いなんだと気づいた時、はこの男がなんとなく愛しく思えてきた。
白昼堂々:終
なんでヒロインをわざわざ新選組隊士にさせてるのか意味が分かりませぬ。
でも、まあ、新選組も海援隊も、というおいしい立場狙いでよろしくです。
冬里
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